ドーナツ 十四個
彩は通知が鳴りっぱなしの携帯電話の電源を切って壁に投げつけた。
剛くんもミルクも安藤も、みんな変だ。
ずっと笑顔でずっと黒いドーナツを食べ続けて彩にも食べるようにしつこい。
外に出ると街の人達もドーナツを食べながら歩いていて、知らない人なのに食べてと差し出してくる。
「彩、お友達が来てるよ。降りてきて一緒にドーナツでも食べようって。」
階下で呼ぶママも変だ。
このまま部屋に閉じこもっていても、やがてあの変なドーナツを食べさせられるかも知れない。
何が起こっているのか分からないけれど、あのドーナツを食べちゃいけないような気がする。
彩は床に落ちた携帯電話を拾ってリュックに入れた。着替え、財布、お菓子も入れて中学の頃のテニスシューズを履くと窓から通りの様子を見た。誰もいない。
静かに窓を開けて、足音を立たず慎重にベランダへ出ると通りから見えないように身体を低くしたまま車庫の屋根へと移動する。車庫の屋根からもう一度周囲を確認して、一番近い桜の木へ手を伸ばした。
細い枝を引っ張って、出来るだけ足を伸ばす。枝の根元側の少しでも太い所を足掛かりに、もう片方の足で車庫を蹴ると桜の木に抱きついた。顔を細い枝や葉がかすめる。
落ちないように少しづつ。でも出来るだけ急いで桜の木を降りる。
地面に足が着く頃には手が痛くて、手袋するべきだったと思ったけれど、もう戻る気にはならなかった。
とにかく逃げよう。
ドーナツを食べていない人を探そう。
彩は走り出そうとして車庫の前の自転車に目を止めた。
鍵がかかっている青いのが二台。もう一台の赤いのは確か安藤の自転車だ。
安藤の自転車は前のカゴに輪になった自転車の鍵が入ったままだった。
ーごめん、安藤。自転車使わせてね。
心の中で謝ると、彩は赤い自転車に乗って力強くペダルを漕ぎ出した。
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