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秘密屋 ー開店前ー

午後の日差しが暖かい。夜には人通りも少なく薄暗い路地もこの時間は散歩や学校帰りの子供達が行き交っていて生活感に溢れている。まだ夜まで時間があるからテーブルに白い布は被せていないし『秘密』と書かれた小さな行灯も出さず、折り畳みの椅子に座りながらぼんやり通りを眺めていると右手に青い紐を長く垂らしながら歩く和服の男性と目が合った。短く揃えられた白髪に対して長すぎる眉毛の下の優しそうな黒い瞳。僕と目が合うと微笑んで軽く会釈し話しかけてきた。

「いい天気ですねぇ。」「そうですねぇ。」

「風も心地いい。」「そうですねぇ。」

和服の老紳士がどこの誰かは知らないけれど、通りかかると必ず話しかけてくる。当たり障りのない会話に単調な返事しか出来ないけれど、老紳士はいつも優しく笑っている。僕もほっこり笑顔で返す。秘密屋から言わせるとヘラヘラ笑顔らしいが老紳士は嬉しそうに呟く。

「笑うとやはりマサヒコに似てるなぁ。」

「マサヒコって息子さんですか?」

ははは、と軽快に笑う紳士。

「息子はマサヒコじゃなくて…えぇと何だったかなぁ。こうキラッとした…ピカッとした名前なんだけど…。」

老紳士は息子の名前をうっかり忘れるほど会っていないのかも知れない。たまに帰ってやれよキラピカ男。

「賢い子でねぇ。いい教育を沢山受けていい大人になってほしいと思っているんだ。だが少し体が弱いから今日は体操教室に行っているんだよ。教室って言っても幼稚園に体操の先生が来てくれるんだから最近は楽だねぇ。」

老紳士の中で息子はまだ幼稚園児らしい。老紳士の年齢から考えて恐らくオジサンのキラピカ男は帰ってきても知らない人になってるだろう。

右の角から若い母親が幼稚園の制服を着た男の子の手を引いて歩いてきた。老紳士を見て驚いたように立ち止まる。老紳士は二人に優しく微笑んだ。

「おや、お帰り。今日は体操教室早く終わったのかい。」

「今日は体操の日じゃないよ。」

「そうだったかな。じゃあ一緒に帰ろうか。…ええと…」

「輝だよ。キラッと輝くでアキラだから覚えたぞって言ってたのに、また忘れちゃったの?」

「すまん、すまん。そうだ輝だ。」

老紳士は輝くんと手を繋いで帰って行く。

「秘密屋さんに宜しく言っておいて…ええと…マサヒコくん。」

僕はマサヒコじゃないけど手を振って答えた。若い母親は僕に軽く頭を下げて帰って行った。

息子の記憶と孫がごちゃ混ぜになっているのかな。けど息子の嫁にしては今の母親は若すぎる気がする。化粧もしていないように見えた顔は十代と言われても驚かない幼さがあった。まぁマサヒコが年の離れた嫁と結婚したのか、彼女がかなり若く見えるだけかも知れない。

考えていると秘密屋がやってきた。まだ明るい住宅街には怪しすぎるほどの真っ黒な服を着て、細く長身の秘密屋はジャックオランタンに似てる。まるで毎日ハロウィンだ。相変わらず僕の明るい金髪や明るい色の服を嫌そうに見る。もう慣れたのでそこは聞かない。

「さっき老紳士が来てさ、秘密屋さんに宜しくって。」

秘密屋が首を傾げた。

「ほら、いつも和服で散歩してる人。」

秘密屋は首を傾げたままだったが

「和服の…あぁ東峠さん。お元気そうでしたか。」

「東峠さんって言うのか。元気そうだったけど色々大変そうかなぁ。息子と孫が区別ついてないみたいだし。けど大変なのは本人より家族なのかな。」

秘密屋は少し目を瞑った。

「なぜ君は東峠さんに家族がいると?」

「なぜって。僕をマサヒコに似てるって言ったし、お孫さんとお嫁さんと三人で帰っていったからさ。」

「マサヒコ!」

秘密屋の言葉をそのまま文字にするならたぶん「ぷっ!マサヒコ!」だ。秘密屋は珍しく吹き出して笑った。身体を『く』の字に曲げ、笑いすぎて出た涙を指で拭うほどだ。

「何がそんなに可笑しいんですか。」

秘密屋は笑うのを堪えたが僕の顔を見てまた笑い出した。なんとか息を整えたものの、まだ少し笑いながら言った。

「マサヒコってのは東峠さんの犬の名前だよ。落ち着きがなくて人懐こくて、元気によく走り回る犬だったなぁ。そういや毛色もその金髪に似てるし、うん、本当だ顔も似てる。」

さぞ美形の賢い犬だったんだと思おう。秘密屋の笑いは止まらないが。


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