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ドーナツ 二個

紙袋には口を閉じた保存袋が入っていた。中身はキッチンペーパーで包まれていて、大きさ的にじゃかいもかと思った千鶴はキッチンペーパーを開いて戸惑った。
黒く、ごつごつとした塊。
「何これ…ドーナツ?」
一つ手にとって割ってみる。ぽろぽろと屑を落とした断面から強く甘い香りが広がった。
松田さんの家は通りを一本隔てて六軒ほど離れている。手作りのドーナツを配るほど近所では無いし親しかったとも聞いていない。
何だか薄気味悪く感じて黒いドーナツはそのままテーブルに放置し野菜を持って台所へ行った。
野菜の土を洗い流していると父の咳が聞こえてきた。最初は心配した苦しそうな咳にも千鶴は慣れてしまって今では大丈夫かと声を掛けることも無くなった。千鶴の背後で父は咳き込みながら台所へ来ると冷蔵庫を開けて飲み物をコップに注ぐ音がした。
「薫、あの黒いのは何だ。失敗したのか。」
薫は長女の名だ。結婚して車で三時間ほどの所に住んでいるが、姉からは滅多に電話も掛けてこない。それでも父には長女の方が記憶に残っているらしく、私は千鶴だよと名乗っても首を傾げられるだけだ。近くで面倒を見ているのは私なのに。
「松田さん、分かる?公園の方の。ほら、いつも花柄の服着てる人。」
花柄の服、でようやく父があぁと返事した。
「その松田さんからさっき貰ったの。」
「松田さんから?どうして。」
「知らないけど、沢山あるから近所に配ってるって言ってたよ。」
野菜をザルに入れて振り向くと、父はコップと黒い塊を持って立っていた。
「黒いのはチョコレートか何かだな。甘くて美味いぞ。」
「食べたの?」
目の前で父が黒い塊にかぶりついた。蜂蜜のような濃厚な甘い香りが台所を漂い千鶴の鼻先をくすぐった。黒い塊に誘われるように父に近づいたが指先にあった黒い塊はもうすでに父の口中に入れられていた。
もぐもぐと噛む口元についた黒い屑。その黒さはチョコレートだろうか。ココアかも知れない。先程は確かに薄気味悪く感じた黒い塊が何故か酷く美味しそうに感じられ、どうしても食べたいという欲求にかられた。父と二人、テーブルに駆け寄ると黒い塊を両手に持ち口元から涎を垂らしながら争うように貪り喰った。
あぁなんて甘くて幸せな味。
薄暗い室内にむしゃむしゃと咀嚼音が続いていた。


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箔玖恵
え!?サポートですか?いただけたなら家を建てたいです。