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大人の戦い

ここだけは絶対に負けられない。そんな大事な瞬間が人生には何度か訪れる。それが今日だ。

天候は晴れ。雨の中で傘をさしながら、も風情がありそうな雰囲気でいいけれど、青空も私は好きだ。大きく穏やかな湖、少し離れたところに鳥居も見える。澄んだ空気で深呼吸する。

月に一度のこの戦いに、私たちは真剣だった。是が非でも負けたくは無いが、必ず1人生贄というか犠牲者を決めなければならない。先に犠牲者を決めておく事で、私たちは安堵し、無事にこの湖や山奥から生還する事が出来るのだった。

先に犠牲者の順番を決めておくという方法もあった。しかし先に決めてしまうと自分が犠牲となるのが嫌で憂鬱な1ヶ月を過ごし、当日は逃げたくなるだろう。わざわざ身を捧げに行くなど絶対に嫌だ。だから毎月その場で犠牲者は決められる。

誰もが自分が犠牲になるとは考えずに集まり、この瞬間まで楽しく過ごしてきた。しかしもう目的地に着いたし、間もなく集合時間だ。今日ここに集まったグループごとに犠牲者が1人いると思うが、他のグループは最初から決まっているのだろうか。初対面だからどう取り決めて来ているのか知らないが、その場で決めているのを見た事が無い。いつも私たちだけがその場で白熱した戦いにより決めている。他の人達は争わないのだろうか。それとも自ずから身を捧げる羊がいるのか。

とにかく、時間だ。

私たちは輪になってお互いの顔を見た。歩幅を広げて両足でしっかりと立ち、片手の拳をしっかりと握る。「じゃあ、いくよ。」心の準備は出来ていた。もちろん、勝つ準備だ。

「最初はグー、ジャンケン、ポイッ!!」

グー、チョキ。パー。もう一度だ。

大人が本気でジャンケンする様子を、周囲の大人が見守っている。初めて会う他人だが、気持ちは分かると頷く者もいる。やがて1人が負け、今日の犠牲者が決まる。

「あぁ今日は私かぁ。」と落胆する彼女に、遠慮なく「やったー!」「ヨロシク!」とみな声をかける。非情な戦いなのだ。そこへ担当者らしき人がやってきた。

「それでは時間ですので、お集まり下さい。グループごとにお一人、この札を首から下げてもらいます。」犠牲者を明確にするその札には『今日の運転手です』と書かれていた。

「では、酒蔵見学の皆さんはこちらにー」

犠牲者のおかげで心置きなく試飲ができる。来月はワイナリー。絶対に負けたくない。

え!?サポートですか?いただけたなら家を建てたいです。