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ヒーローとしての「プリキュア」(ひろがるスカイ!プリキュアに寄せて)

ひろがるスカイ!プリキュアを観ました。

前回HUGっと!プリキュアを観て、その感想などを記事にしたのですが

その際に、次に観るならひろプリ(ひろがるスカイ!プリキュアの略称)がいいのではないかという話を聞き、ちょっと間が空いたのですが、無事観ることができ、凄く感動をしたので、またそれについて綴ってみようと思います。前の記事でも書いてますが、僕はプリキュアシリーズを数えられる程度しか通っていないにわかなので、そのにわかの感想だと思って聞いて頂ければ幸いに思います。よろしくお願い致します。
ストーリー上のネタバレを含みますので、未見の方はご注意下さい!


「ひろがるスカイ!プリキュア」(以下、ひろプリ)はシリーズ20周年記念作品と銘を打たれた作品であり「ヒーロー」をテーマにした作品であることが、ひろプリの特徴的な部分と言えます。今までジャンルとしては「変身ヒロイン」を軸として、ある種他のヒーローものとは違った路線で進んできたプリキュアが、敢えて「ヒーロー」をここで打ち出しているところに20周年を迎えての、制作陣の意欲とメッセージを感じてアツいなと感じました。

平和な【スカイランド】に大事件発生!?
まだ幼いプリンセス【エルちゃん】がアンダーグ帝国の怪物につれさられてしまった!勇敢な少女【ソラ】はプリンセスを追ってふしぎな穴へ。その先はなんと別の世界の【ソラシド市】につながっていて……!?
『テレビ』? 『自動車』!? それって魔法の道具ですかっ!?!?
でも驚いているひまなんかない!早くプリンセスをお城に帰してあげなくちゃ……!ふたつの世界を飛びまわれ!プリキュアたちの冒険がいま始まる!
「ヒーローの出番です!」

公式HPあらすじより


ひろプリは、ヒーローを目指すスカイランドの少女ソラ=ハレワタールが、突然迷い込んでしまった別の世界、ソラシド市虹ヶ丘まひろと出会うことから物語は始まります。スカイランドと敵対する国「アンダーグ帝国」の手から王国のプリンセス・エルを守る闘いの中で、2人はそれぞれキュアスカイキュアプリズムへと変身する力を手に入れます。また、今はソラシド市に訳あって暮らしている、人間に姿を変えられるスカイランドのプ二バード一族の夕凪ツバサ、まひろの幼い頃から知り合いで、保育士を目指す聖あげはもまた、ソラとまひろの闘いを見守り、応援していく中でキュアウイングキュアバタフライとなり、戦いに身を投じることとなります。やがて、アンダーグ帝国との闘いは激しさを増していき、最後にはプリンセス・エルもまた、今まで守られてきた分、それを返すようにキュアマジェスティとなって、実は今まで秘められていた力を発揮し、5人のプリキュアが協力して闘っていく、それがおおまかなひろプリのあらすじとなります。


ひろプリはとにかく「ド王道」のヒーローものとして話が展開されていきます。「熱血」と称してもいいくらい、それは真っすぐヒーローの物語です。「力の強いものこそが正義」という理念を持って理不尽に襲い来るアンダーグ帝国を、プリキュアたちが「力だけが全てではない」と跳ね返していく構図は見てて分かりやすいし「こういうストーリーだったら、こういうことをやって欲しい」ということを全部やってくれるような構成は、見てて気持ち良いくらいです。ソラのヒーローとしての成長と挫折、仲間との絆が互いを成長させていく展開、スカイランドとアンダーグ帝国の対立の過去が明らかになる終盤の怒涛の情報量など、ベタといえは野暮かもしれませんが、うまくベタを散りばめつつこちらを飽きさせないのは、アニメとして面白かったですし、数見ていないのであれなのですが、プリキュアシリーズ初見でも入って行けるような作りになっているように感じました。

同時に、ひろプリは過去シリーズからすると新しい試みも幾つかやっていて、例えば夕凪ツバサはレギュラー出演としては初の男性のプリキュアであるとか、聖あげはは初の成人のプリキュアであるとか、また、プリンセス・エルが赤ん坊の状態からプリキュアになる、というのも過去にはなかった事例になっています。もちろん、最初に書いたように「ヒーロー」をテーマに打ち出していることも、異例のことと言えます。ただ、このあたりが特にノイズ(この部分が作品の中で目立ってしまう)になることはなく、あくまでストーリー上でピタリとハマっているというか、わざとらしくなく、あとからそう感じさせるくらいになっているのもひろプリの凄いところの一つと言えます。20周年としての挑戦と、作品としての強度の両立が為されている、それがひろプリの作品の価値を高めているのだと思います。

では、ひろプリが20周年で敢えて「ヒーロー」をテーマに打ち出すことで描きたかったこととは何なのか。それがこの記事で僕が書きたいことです。


ひろプリはプリキュアたちの中でも特にソラを中心に進んで行くのですが、ソラは幼い頃に助けられた経験から「ヒーロー」というものに強い憧れを持ち、自分の内に強い「ヒーロー観」を持っています。「相手がどんなに強くても正義を貫く」「困っている人は何としてでも助ける」など、それはいわゆる昔ながらのヒーロー像とも言えます。序盤の印象的なエピソードとして、5話「手と手をつないで!私たちの新しい技!」において、自分に続いてプリキュアになったましろに、ソラが「ましろさんは闘わないで欲しい」と告げる場面があるのですが、これも彼女のヒーロー観から来る言葉であり「闘うのは自分だけでいい」「大切な人を巻き込みたくない、傷ついて欲しくない」という想いは、これもまた昔ながらのヒーロー像であり、彼女の信念を示すセリフと言えます。しかし、ましろはそんなソラの言葉を跳ね返し、ソラのために強くなろうとプリキュアになり、共に闘う道を選ぶことになります。孤独に一人で闘わなくていい、支え合って闘えばいい。ひろプリの構成は、ソラの根本にあるものをヒーロー像をベースとして、それをふまえて(もちろん否定するではなく)「プリキュアが見せたいヒーロー像」を見せていくものになっているように思えるのでした。

プリキュアがプリキュアに変身するきっかけのシーンというのは、シリーズの中でも重要な意味を持ちます。ひろプリにおいては、ソラはエルを守るために、ヒーローとして強くなって多くの人を助けるためにキュアスカイへと変身します。ましろは、そんなソラを助けたいという想いからキュアプリズムへと変身し、また、ツバサは「鳥なのに空を飛べない一族」というコンプレックスに苦しむ中、エルを何とか助けたい一心が自身をキュアウイングに変え、翼を手に入れます。あげはは、自身が担当する保育園が襲われた際、子供を守るためにキュアバタフライに変身します。最後に、プリンセス・エルは、今まで自分を守ってきたプリキュアたちが窮地に陥った際、それを助ける為にキュアマジェスティに変身します。それぞれは繋がっており、ソラの「ヒーローになりたい」という気持ちに奮い起こされるように、それぞれが「誰かの為に」プリキュアに変身していく流れになっているのです。

23話「砕けた夢と、よみがえる力」僕はこのエピソードが本当に好きで、2回観て2回泣いてしまったのですが、それはそれとして、この回は先ほどあげた5話に対するアンサーのような話になっています。アンダーグ帝国の手の者によって、自身をかつて助けてくれた、心から尊敬するシャララ隊長を怪物に変えられてしまい、闘うことから逃げてしまったソラが挫折し、プリキュアになる力を一度は失ってしまうのですが、そこで5話とは逆にましろが「ソラちゃんは闘わなくていいよ」「ソラちゃんはずっとヒーローだったんだよ」と言葉を贈り、闘いに臨むことでソラが勇気を貰い、立ち直ることとなります。これは、ソラがあのときましろに力を与えたように、ましろがソラに力を与えるという構図で、ここにあるのも「誰かの為に」という2人の強い気持ちです。この場合における「誰か」とは、プリキュアが守ろうとする、もっと大きいもの、例えば世界や、街の人たちではなく、すぐ横にいる「誰か」を差します。プリキュアというヒーロー像は、そんな身近な誰か、大切にしたい仲間がいるから強くなれる、闘っていけるヒーローなのだとひろプリは見せてくれたのでした。

この「プリキュアにおけるヒーロー像」を表す、ほとんど答えのようなセリフが一つ、登場します。それは最終話手前の49話「キュアスカイと最強の力」において、キュアマジェスティが自分を犠牲にしてキュアスカイとキュアプリズムを倒すべき敵の元へと送り出す際に放ったセリフです。

ずっと不思議だったの、どうして私たちは5人なんだろうって。
私はね、こう思うの。大きなプリンセスは、一人だった。
辛かったんじゃないかな?
一緒に闘う仲間が欲しかったんじゃないかな?
一緒に泣いて、笑って、励まし合う仲間が…!
だから、彼女の使命を受け継ぐプリキュアは、私たちは、5人なんだよ!


自分を生み出した、いわば先代のプリキュアであるキュアノーブルを想って、マジェスティはこう叫びます。キュアノーブルは一人でスカイランドを守るために闘った存在で、その本意は直接明らかにならなかったものの、マジェスティの言う通り「共に気持ちを一つにする存在があれば」という気持ちから、エルに力を託し、尚且つその力は一人で背負うものにしなかったのかもしれません。プリキュアを、一人にしたくなかったのかもしれません。事実、その力を受け継いだ5人は共に泣いて、共に笑って、励まし合って、アンダーグ帝国に立ち向かって行きました。「5人である意味」は、確かにそこに輝くこととなったのでした。

孤独に、一人で闘い続けるのもヒーローです。周りの存在が大切だからこそ、自分で全ての敵をなぎ倒す、それもヒーローです。一人で背負うからこそ強くなれる事実が、そこにはあります。プリキュアは、過去のどのシリーズをとっても、人数に変動はあれど、決して一人のときはありません。2人で手を取って、あるいは5人で一緒になって、闘い続けてきました。側にいる、手を繋いでいる「誰か」があるから、彼女たちは強くなれた。ソラも、おそらく一人でも強くなれたとは思います。正義の心と信念をもって、自分の思うヒーローになれたのかもしれません。けれど、周りの仲間の存在があったからこそ「誰かの為」にという気持ちが芽生えた。そもそも正義の形は様々で、シャララ隊長が「ヒーローは何が正しいかについて、考え続けなければならない」とソラに言う場面があるのですが、一人ではないからこそ手に入れられたものは、ソラも、そして他のメンバーにもあったはずだと思います。ひろプリは、20周年目のこの作品において、プリキュアにおけるヒーロー像は「一人ではないことが強さ」になるものだと「ヒーロー」をテーマに打ち出すことで、改めて提示したのではないでしょうか。ひろプリの物語を見て、僕はそう感じたのでした。


ひろプリをメインキャラクターを起用した劇場版作品「プリキュアオールスターF」においても、ひろプリの延長線上のようなテーマが描かれていて、ネタバレを避ける為、直接的な言及はしませんが、こちらでも「プリキュアが果たしてどんなヒーローであるのか」「プリキュアはどうして一人ではないのか」についての答えが打ち出されていて凄く良かったです。Fはシンプルに物語としても面白くて、オールスターは過去作を知らないとあんまり入れなさそうかもしれなというイメージがあったのですが、知らない立場でも楽しめたのと、自分が観てないシリーズのハイライト的な場面がフューチャーされるところでグッと来てしまい「いや、こんなの観たくなるだろ」とまんとなってしまい、面白かったです。ネタバレを避けたのは、普通にこれを観て欲しい気持ちからなので、これはこれとして単体でおススメしておきます。


「白か黒で答えろ」という難題を突き付けられ
ぶち当たった壁の前で僕らはまた迷っている 迷ってるけど
白と黒のその間に無限の色が広がってる
君に似合う色探して やさしい名前を付けたなら
ほら一番きれいな色 今君に贈るよ

Mr.Children「GIFT」より


ひろプリを観ている間、自分の中にはずっとミスチルのGIFTが頭に流れていました。ひろプリの中で、プリキュアはアンダーグ帝国側から「力が全て、強い者が正義」という言葉をぶつけられます。謂わばそれは「強いか」「弱いか」の2択の考え方であり「負けたもの、弱いものは『間違いである』」に繋がる思想とも言えます。しかし、実際人の強さについてはそんな簡単に語れるものではなく、強さにも種類があり、弱さにも種類があります。勝ち負けで正しさは決まらないし、見る角度によっては、何が正しくて何が間違いかも変わってきます。「ひろがる」のタイトルには「広がる世界」の意味もあるそうなのですが、ソラがヒーローとして成長していく過程で、一人ではなくなることで「視界が広がる」「視界が晴れ渡る」ことは、物語の厚みを増すとともに、こちらに「一人ではないことで、見える新しいものがある」というメッセージを与えてくれているのかもしれません。一人でいたら気付けなかったかもしれない虹も、きっと日々の中にはあるのだと。


もう一つ、作中で印象に残っている場面があります。最終回において、全ての黒幕であり、アンダーグ帝国の闇の力の化身であったダークヘッドは、自分の力を発揮してくれる『器』(体)を探して、スカイランドからソラシド市に乗り込んできます。ここで、最後の決着を、スカイランドという物語の起点となる場所ではなく、敢えて現実世界、自分たちが生きる世界により近いソラシド市において付けることには、意味があるように思えるのでした。ダークヘッドに対して、ソラはこう言い放ちます。

誰かに取りつこうとしているんですか?
無駄です!だってここは、素晴らしい世界ですから!
あなたの入れ物になるような
あなたの力を欲しがっているような人は一人もいません!


作中において、アンダーグ帝国の者はプリキュア以外、あるいはプリキュアにまだなっていないキャラクターに対して「脇役」「外野」という言葉を用います。個人的に、この言い方がずっと引っ掛かるというか、言葉としてはちょっとトゲが強いなと思っていたのですが、最後に現実世界でこのセリフを聞いたとき、これが一気に観ている側に向かってくるものであると思うと同時、腑に落ちるものがありました。はぐプリのnoteに書きましたが、はぐプリのラストにおいて、プリキュア以外の全ての人たちが「プリキュア」になることで「プリキュアが、人々のなりたいと思う理想である」と訴えかけてくるという場面があるのですが、ひろプリのこのシーンは「この世界に存在するもの、全てが主役」であり「それぞれの強さを持っている」よって「誰かに支配されるものではない」と訴えかけているのではないかと思うのでした。誰もが「誰かの為に」強くなれる可能性があり、それはプリキュアというヒーロー像が示したものへと繋がります。最後に、一気に作中のメッセージがこちらに向くように感じたこの瞬間は個人的にすごくグッと来て、またひろプリという作品に対して、気持ちが強くなったのでした。



以上が、僕がひろプリを見て感じた部分、刺さった部分、自分なりにまとめてみたものです。改めて、20周年作として、アニメとしてど真ん中な物語を据えつつも、そこにシリーズの核心を埋めている構成が凄いなと思いましたし、真っすぐに喰らってしまったので、観て良かったと思います。冒頭にも書きましたが、シリーズを全然追いかけていない立場としての感想なので「プリキュアとは何ぞや」と語るには説得力が弱いとは思うので、そこはご勘弁頂ければと思います。ひろプリは、周年作のバイアスを抜きにして、話として個人的にはかなり楽しめたので、ネタバレをしてしまった上であれですが、観てない方いれば、シリーズ追っていれば感じるものもあるでしょうし、追っていなくても楽しめると思うのでおススメです。


長文駄文、失礼致しました。ありがとうございました!

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