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この時代に写真を手焼きする幸せ

はいどうも。モノクロフィルム好きの変態です。

私は23歳の駄カメラマン、自称写真家の者です。

いやぁ、iPhoneですら信じられないくらい綺麗な写真を撮っては捨てれる、切っては貼れるこんな時代。Instagramにはもうどれほどの写真が蓄積しているんでしょうね。もちろん、私は撮れるならなんでもいいので、iPhoneのカメラも大好きです。

そう、撮れるならなんでもいいんで、駄カメラマンなのです。フィルムがなくなったら写ルンですを普通に買うし、幼少期は親のガラケーを借りては容量を私のコレクションで侵食させていました。

しかし、モノクロフィルムは最高です。

自分で現像して、自分で写真を作れるのです。

凄い!革新的!!なんて素晴らしいんだ!!

え?デジタルでも出来るって?確かに。言われてみればそうですね。撮ったデータをなんやかんや編集して、コピー用紙を用意してプリンターで写真を作れますね。もっと手軽な方法だとコンビニでもプリント出来る。素晴らしい時代ですね!

勘違いして欲しくないのですが、私は別にデジタル写真を嫌ってるわけでも軽蔑してるわけでも無いです。

ここでのデジタルとアナログの間にある圧倒的な違いは手間と完全性です。

デジタルは余程のことがない限りその通りにうまくいきます。思い通りに撮るということはそのカメラの持ち主の腕に委ねられますが、パシャリと撮ってすぐにどう撮れたか確認が出来ます。写真とにらめっこして、カチカチっとして、ポチッと押せば、ウィーンとプリンターが写真を吐き出します。

アナログは余程のことがない限りその通りにうまくいくことは正直難しいと思っています。(※ここから次の※まで物凄く長くなります。)まずはフィルムカメラにフィルムを入れるところから戦いが始まり(私的に結構な戦い)、撮れる枚数が24から36枚に制限されています。そこから撮り終えたらフィルムをぐるぐる巻き戻して、やっとのことでその36枚前後が手のひらに乗ります。
あぁもう書くのですら疲れますわ。
そこから現像です。フィルムの入ってるあの容器からフィルムを取り出さなければなりません。使い回しのパトローネ(あの容器の本名)ならまだしも、フィルムピッカーでフィルムの先が出てこない場合、力技です。パトローネを破壊します。
やむなく破壊された可哀想なアクロスさんを載せておきます。

あ、言い忘れていましたが、フィルムは光を当てると感光して像を写すのでフィルムをパトローネから出す作業から暗闇で作業します。と言っても、便利なブラックバックという、半袖Tシャツみたいな手だけを突っ込む黒い袋があるので、真っ暗闇の中でやると言うわけではありません。


さてそこから、今度はリールというスカスカのタイヤみたいなシャカシャカ動く丸い専用の物に、フィルムを巻いてあげます。これもまた面倒でたまあにフィルムが駄々をこねて少しも入ってくれない時があるんですね。あまりにも入らないと泣きたくなってきます。


さて、リールにフィルムが入った!!そうしたら、またまた専用の容器、物達に、そのリールごとフィルムをぶち込みます。別にぶち込まなくてもいいです。落ち着いて入れます。

ようやくここで、一旦ダークバックの中を外へ取り出して、いざ、現像のスタートです。
こんなはずじゃなかったんですけど、めちゃくちゃ長文になってしまいます。まだまだ続きます。
3種類の薬品を先程の容器に順番通りに、また時間通りに使いこなす現像。うまくいけば、しっかり写ります。しかし全てが綺麗に写ることはあまり期待しない方がいいです。温度やら手順やら、薬品も自ら希釈して取り扱うので、そりゃあもう十人十色になります。私は何度も何度も現像ミスをしました。初めてやってみてから3年経ちますが今でもやります。(あまりにも詳細を書くとさらに恐ろしく長文になるので割愛します。)
ここまで読んでくれる人いるのかしら。
いやー、やっとです。やっとフィルムが出来上がりました。ここから大体数時間、下手したら1日乾かします。昔の人本当に凄いわ。
フィルムが乾きました。ようやくプリントのお時間です。ところがまだです。長いままのフィルムを写真6枚ずつ切り分けていきます。非常に神経を使います。使ってるカメラのさじ加減で、たまに物凄く隣合ってる写真たちや、写真の境目が見えづら過ぎるものがあります。雑に切ると写真を切ってしまうので、下手に切れません。


ようやく切り終えました。さぁ、プリントです。私は焼くとよく言います。プリントに使う紙は、フィルムと同様、光を当てて感光させ、それを薬品につけて写真が浮かび上がってくるという摩訶不思議なシステムになっています。つまり、また暗闇作業が必要とされます。しかし、プリント用の紙たちは、レッドライト、赤い光には反応しないので、本当に最近の若い子でなければきっとみなさんご存知の暗闇に赤いライトの暗室作業になります。


焼きたいフィルムを選んで、引き伸ばし機にセットします。サイズもピントも写真のどこを写すかの加減も、全て手作業です。F値(当てる光の明るさ)を間違えないように、紙を感光させないように、暗い中で慎重に作業をして行かなくてはなりません
どのくらいの秒数を当てたら、1番良いコントラストが出せるか、テストプリントというものをします。使う紙を細長く切って、5秒ごとに少しずつ写す場所をずらしていきます。最終的に出来上がったテストプリントは、5秒10秒15秒20秒と、綺麗に別れてどこが1番綺麗に写るか教えてくれます。そこから秒数を決めて、ようやく1枚を焼くのです。3つの薬品にムラなく時間通りにつけて、やっとのことで1枚が完成します。


ここでさらに追い打ちをかけてくる手間暇手焼き話。使う引き伸ばし機、引き伸ばし機のレンズ、紙によって、たまに物凄く調整を必要とする一筋縄じゃいかないものたちがいます。マニアックな話になってしまいますが、私が使っているORWOの紙はめちゃくちゃ年代物で、楽しいですが非常に扱いが難しいです。オリエンタルなどはとてもお利口さんに光を吸収してくれますが、家にある引き伸ばし機が曲者で、70秒もF2.8あたりで光を当て続け悪戦苦闘してます。(笑)
話が逸れてしまいました。すみません。
そんなこんなで、ようやく1枚が完成し、薬品を洗うためにお水に入っていた写真たちは、干すなり、必要な場合は乾燥機に入れて、乾いたら、本当の本当に完成します。(※)


ざっと、アナログのプリントはこんな感じですかね。(モノクロ限定の話ですが。)
随分まどろっこしく書きやがって、こいつは一体何を伝えたいんだとお思いでしょう。
私が言いたいことは、不完全性による癒しです。
大体全て思い描いていた通りに行くことは、とても素晴らしいことです。しかし、思い通りに行かないことも尊いことだと、私はモノクロフィルムと出会って気付きました。
そして、途方もなくかかる手間も、時間に縛られる現代に忘れられてしまいそうな、大事な時間なのでは無いかなと思います。
私は写真を撮っていますが、全てが全て私の力では無いと思っています。私はただそのフィルムの手助けをするだけ。シャッターを押してあげるだけ。巻いてあげるだけ。現像してあげるだけ。そこからフィルムはそのフィルムの運命を辿るだけなのです。
初めてフィルムカメラを借りて、撮り切って、自分で現像したあの時。借りたカメラは壊れていました。現像したフィルムは良くて5枚程度しか写っていませんでした。しかし、その中に私の今までで1番の最高傑作が潜んでいました。今でも最高傑作です。この時心が揺れ動く瞬間を確かに体験しました。壊れた私と引き合った壊れたカメラが、私の大好きなピアノをまるで現実離れした神様のように切り取っていました。フィルムの運命が私の人生と共鳴しました。


見出しにも書いた、この時代に写真を手焼きする幸せとは、このような出会いがあるからです。
拙い文章で私の感動を伝え切れているか不安ですが、私はこの手間に物凄い幸せを感じています。
自分の写真とこれまでも向き合える時間をくれて、そこに新しい出会いや感動を届けてくれる手焼き写真。
写真を薬品につけて、その液体に揺らめく赤い光を眺めている時間は、生き急ぐ世の中からさようならが出来る安らぎの場所なのです。
私はこれからもどんなに時代が私を置いてけぼりにしたとしても、モノクロフィルムを手放すことはないでしょう。
以上、フィルムに魅せられ取り憑かれている、ちっぽけな私の写真話でした。

P.S. 偉そうにここまで書いてしまいましたが、あくまで私はまだフィルムを始めて3年の初心者なので、書いてあること全てが正しいとは限りません。むしろ間違っていること、おかしいなと思うところがあれば、ご指摘して頂けると嬉しいです。

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