見出し画像

知者楽水のメルクマール

さて、珍妙なアンドロイド落語家「知者楽水ちしゃらくすい」の最後のはなし、どうぞ笑ってやってくださいまし。

「メルクマール」なんて洒落しゃれた言葉がございます。目印、目標を意味するドイツ語です。実は私はドイツ製。意外でしょう?相棒だった「仁者楽山じんしゃらくざん」もそうでした。ドイツ生まれっちゃあドイツ生まれ、人間っちゃ人間の双子のアンドロイド落語家だったのです。

冷たいロボットの落語家なんて、と製造当初はけちょんけちょんに言われたもんであります。確かに最初は2人とも下手で下手で、数少ないファンも離れていきました。

これじゃあいけない、と私たちは2人で目標を立てたのです。世界一長く落語を続けたアンドロイドになろうと。短距離走が苦手なら長距離走で勝負しよう、という安易な考えでございました。

まぁ想像通り、すぐに2人して息切れです。どんなに鍛錬しても次から次へと高性能な後輩落語家に追い抜かれ、高座に上がれば野次を飛ばされ。こんなものなのか私たちは、と気が緩んで練習にも熱が入らなくなってきた頃でした。酷い戦争が始まったのは。

私たちの身体は再生金属で作られているので、大昔の映画みたいに溶鉱炉にでも投げ込まれなければ死にはしません。しかし人間は違う。あまりに脆い。私たちは落語を取り上げられ、兵士として戦地に派遣され…。

ごほんっ、すみませんね。もう私もだいぶ歳をとったもので、あちこちガタがきております。なにしろ時間もきちんと刻めないもので、相棒の仁者楽山がいつ機能停止したのかも正確に覚えておりません。ああでも今は楽になって、雄大な山のように休んでいる、ということだけは分かっております。ご心配なく。

とびきり辛いことも悲しいことも、私たちは芸の肥やしにしようと決めました。とにかくメモリを消されないように生き残って、また落語をやる。当時のメルクマール、目標でした。お互いに身体のパーツのいくつかは失くしたけれど、その目標はついに達成できたのです。

地べたに2人並んで座り、落語を披露した時はもう、胸がいっぱいになりました。小さな子どもが近づいてきて、笑ってくれたのです。その笑い声が呼び水になり、大人たちも集まってきました。私たちの落語で笑ってくれている。その光景に、私たちもやっと笑えました。

時々、私たちに酷い言葉をかけてくる人もいました。殴りかかってくる人も。そんな人と出会うと、私たちは余計に気合が入りました。もちろん、この人も笑わせてやるぞ、という気合です。喧嘩なんてしても勝てるわけありませんのでね。なんせ身体も気も弱いロボットなもので。

2人で掛け合いしながらの落語も研究しながら、どんどん私たちは有名になりました。双子のアンドロイド落語家、知者楽水と仁者楽山として、幸せな時間が過ぎていきました。気付けば人類も減っていき、最初の目標も達成され、大切な片割れも旅立ち、最後の最後の寄席のお客様はあなた様だけ。最後の人類のあなた様だけでございます。

ふぅ、いよいよ私もいざ飛び立たんとしております。メルクマール、目標。私のメモリの中で激しく点滅している言葉は、ただそれだけなのであります。最後にオチの無い噺で閉めるとは、なんとまぁ。私も未熟者でございます。これにて終幕。

さぁ、座っているのが疲れたろう?こちらにおいで…。お前の手は温かいなぁ。ちゃんと寝て食べて、大きくなるんだぞ。星が好きでも、あまり夜更かししては駄目だぞ。他のアンドロイドたちや動物型ロボットたちに助けてもらって、生き抜くんだ。とにかくいっぱい笑いなさい。お前の唯一のメルクマール、目標なのだから…忘れずに…。



私の腕の中で完全停止した知者楽水は、安心したような表情をしていた。やっと穏やかな水の流れに身を任せることができる。そんな表情だった。

仁者楽山の隣の墓穴へ、彼の亡骸を収めて。涙も流せずに呆然としていると、アンドロイドたちがこういう時は花を供えるんだと教えてくれた。花畑のある丘へ、大勢のロボット仲間たちと歩いていく。

今日はよく晴れているからか、色とりどりの花が元気に咲いていた。太陽が私の首筋を焼いて少し暑い。ぷちり、ぷちりと名も知らない花を摘んで汚れる私の指は、骨ばっている。

「もう子どもじゃないのになぁ」

呟いてしまうと、涙と嗚咽おえつが止まらなくなった。黒猫のロボットが心配そうに体にまとわりついてくる。抱き上げて丘を駆け上がり、思いきり叫ぶように笑った。これが私のメルクマール、目標なのだと太陽に高らかに宣言するように。



いいなと思ったら応援しよう!

水月suigetu
お気に入りいただけましたら、よろしくお願いいたします。作品で還元できるように精進いたします。

この記事が参加している募集