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初詣 誓い抱負も なにもなし
智満寺という場所に、初詣に行ってきました。
2024年、突如として現れたうつ状態によって、やはり私の脳はまだ完全ではないこと、そして、頑張りすぎは良くないことを自覚したのでした。
私の脳は、非常に正直で、重い負荷をかけてしまった時はすぐにフラッシュバックや幻聴が始まるので、無理をしているのだな、ということが分かります。このような脳の特性は、将来、学者としての仕事をこなすためには若干心配ではありますが、、、私は、そのような脳をもつ自分に合わせた生活スタイルをこれからも続けようと思います。
私が尊敬している物理学者、数学者の方々には、奇行をしていたとされる「変人」が多いです。中2の時の私は、ただ「かっこいいな」と思っていたのですが、彼らにもまた、そうした行動をとらざるを得なかった特異な発達があったのではないでしょうか。
バックボーンが通っていれば変人ではない
今でも毎日10時間睡眠は欠かすことができず(欠いてしまうとフラッシュバックや幻聴などが始まってしまう・・・)、何か思いつくと会話中であれ何であれ数式や図、アイデアを書き殴り空想に耽り(この空想を疎かにすると学問などできない・・・)、思考のうまくはまらない感覚が5回続くと昼間であっても寝てしまう(無理をして起きていると大きな選択のミスをしてしまう・・・)私は、もしかすると変人かもしれませんが、、、。今では「変人」は褒め言葉だ、と思っています。
「変人」というのは、私が私らしい生を歩んでいる証拠なのですね。
無論、他者に迷惑をかけないことだけは心得ています。それは第一原理としたうえで、それ以外を疑った時に見えてくる自由度を使っているのです。
むしろ私の場合は、生理的な営みや空想の欲求に従わなければ、後々になってそれが妄想やフラッシュバックとしてコントロール不可能な形で暴発したり、体調不良で動けなくなったりし、逆に他者にもっと大きな迷惑をかけてしまうのですね。だから多少その瞬間を犠牲にしても、空想や睡眠を優先しないといけないというわけです。
これも一歩間違えると他者への迷惑となるため、私は、本当にきわどい境地を歩んでいるのだな、とつくづく思います。
そのような私には、抱負や新年の誓いは、とても無理なことです。今年は100%地震が起こらない、とか、今年は絶対にインフルエンザにかからない、と誓うことと同じようなことで、私は自分の自然に従っている以上、誓いも抱負も立てられず、流動的に考えるしかないのです。
ただそこにあるだけ。それが、私がここまでの発達の末に身に着けたことです(無論、それも変わることとは思いますが・・・)。
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初詣 誓い抱負も なにもなし
そこにあるのは 澄んだ山際
2025年1月5日・Nekotchi