勉強0日目の日記④
勉強0日目の日記を書き始めてはや10日。まだ勉強は始めていない。
あの日のやる気と根性は、まだ私の中に残っている。この日記を未だに書いているのが何よりの証拠。これだけでも自分を褒めたくなる。
謎の自己肯定感だけは健在のようである。
とはいえ、やっと仕事もプライベートも、一つの軽い節目を迎えたので、ほんとうに、やっと勉強を始められそうである。
「動き出しに時間がかかる」と小学校の通信簿に書かれて以来、あまり意識はしていなかったが、私の人生はこうして損をし続けたのではなかろうか。
動き出しが遅くなり、やりたかったということ自体を忘れたり、興味を失ったり。
小学校の先生は、見てくれていたのである。
ありがとう、もう名前も忘れてしまった先生。
ばかやろう、先生から言われたことを「たしかにw」で流した俺。
いずれにせよ、こういう人はやはり多い気がする。私はなんだかんだ、勉強は好きな部類で、始めさえすれば、結構やる。
だけど、やり始めるのが遅いし、明確な目標や方法を考えたいと思う割に、それを実践すること自体はめんどくさいとか思ってしまう。ズボラ人間である。
高校時代は勉強できたのに、大学以降全然勉強できないという人もいるのではないか。大学もテスト勉強はできても、研究は苦手だった。そういう人がいると思う。
私もそのタイプだったと言っていい。
幸いなことに周りの環境のおかげで、研究テーマや手法が割とサクッと決まったおかげで、それなりに行動に移せたが。
結局自分1人では勉強できないという、非自立型秀才というのはいるんじゃなかろうか。
私はこのnoteを書く時、すごく恥ずかしい思いをしている。
現実社会では、常に頑張ってきたように語ってしまうし、人が見てないと勉強できないというのも、自分としては汚点だからである。
しかし、あえて仲間達に訴えたいのは、それでも全然いいんじゃないか!?ということ。
結局勉強は、自分を丸裸にしていく。
自分はどんな性格で、どういう行動原理で動いているのか。
自分のことがわかってきた。
これこそ、努力しようという「意志」の副産物だ。
意志だけあって、行動に移せないのは、全く意味がないと他人は言う。
瞬間的にはそうだが、頑張りたい人は、そんな声に負けず、頑張りたがっていいのだと思う。そして、また失敗する。それでいいのだ。
徐々に自分のことがわかってくれば、なにかいい対処法が出てくる。本当に勉強できるようになる日は近いのだ。
私の場合は、このnoteが、一つの脱出口になると信じている。
恥を忍んで言おう。
私は勉強したいが勉強に取り組めない愚か者である。しかし、勉強したい意志を持ち続け、ついには勉強を始めるであろう人である。
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