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昔の私にはぼんやりした正義があった

何かの拠り所があるわけでもなく、私の中には私なりの正義があって皆さんにもそうしたものがあるのだと思います。例えば戦争はして欲しくないとか、頑張った人は報われてほしいとかそういう感覚を持つ日本人は多いのではないかと勝手に思っています。

そうした周りも勝手に同じような事を思っているんじゃないかというのも私の仮説ですし、仮説でした。

ところがコロナがやってきてWHOや様々な国や「偉い」と思っている人の対応を見ているうちに自分が思っていた「正義」のありかが空虚な妄想だったのではないかと思い始めました。

それはウクライナ侵攻やガザ侵攻で「人命」ではなく「国益」や「自己利益」を正当化するように見える発言や行動をする人を見た事は拍車をかけました。

昨年から歴史を学ぼうとおぼろげに思って歴史を学びなおしています。
年号や偉人の名前ではなく、国家が侵略や略奪を繰り返してきた事や
そこにある人同士の助け合いなどを・・・です。なので世界史と言う大きな流れから社史という小さな流れまで。大きなうねりとそこに翻弄されながら決断してきた裏側を知るのは面白いです(日立製作所とコマツの社史を読みました。どちらも日本を代表する100年企業です)

別に正義マンになるつもりはないですが、自分の信じていた空虚な真実ではなく自分のベースになるものは自分で見聞きしたりしたものを血肉にしたい。と何か強く思いました。検索できる世の中だからこそ、考える・感じるといういきものとしての本能みたいなものが大切なんじゃないかなとか思います。

冒頭に書いた「みんな正義を持っているのかもしれない」という思いは、
現在「みんな正義を疑っているのかもしれない」という思いに変化しつつ
あります。

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