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5.王子とオージ【連載小説・キッスで解けない呪いもあって!】
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「ねえ、アレ!」
「ウッソ! タカフミ王子!?」
「え!? やっぱり東京駅に来てた?」
突如キャアともギャアともつかない悲鳴が一斉に上がり、時生は首を押さえ床の上でゲホゲホと咽せ返りながらも、周囲の痛いほどの視線を感じた。振り仰ぐと案の定、そこにはタカフミのにこやかな笑顔がある。そしてその真後ろには
「次のニュースです。オーロラ公国の王子様が遂に日本国に眠り姫を探しにやって来ます」
そこはよりによって構内の巨大スクリーンの前だった。テレビに映っている王子様本人がにこやかに手を振るハプニングに、周囲は一瞬で大興奮の大混乱。
スマホで撮影する者、奇声をあげる者で大騒ぎとなり、大男は涼しい顔で手首を掴んでいるタカフミをなんとか振り解き、顔を隠し縮こまりながらあっという間に人垣の中に消えていった。
「あれ、お礼をしようとしたのに照れ屋さんなのかな? 良い人に助けてもらって良かったね、時生」
この何事にも動じない、人を食ったような笑顔を見る度に時生はげっそりする。そして更にげっそりするのは、
「ねえ、あれ見て。王子のお付きの子かな? ちょっとさぁ……」
「あー、ちょっとあれは可哀想かも」
抵抗する間もなくタカフミに引っ張り上げられ、横に並んで立っただけでコレだ。
2人は今アウロラ公国の正装を着ている。
着物の様な白銀の胴衣にケルト紋様を縫い取った銀の腰帯を締め、ズボンとブーツは艶めく黒。それはさながら公国のシンボルであり、この正装のモチーフでもある
「本当に皇帝ペンギンみたい……」
騒ぎに集まってきた人々の口から羨望のため息が漏れる。
アウロラ公国唯一の現国民にして王子であるタカフミは、生まれながらに王子だった。
アウロラの民の血を引くと言われるケルト人の中でも家名のある出自。背は高く身体の線も細いのに、弱々しさを全く感じさせない堂々とした立ち居振る舞いは気品を感じさせ、陶器のような白い顔にかかるつややかな黒髪は少々癖っ毛で、怪しげに光る緑の瞳は人々に畏敬の念を抱かせるのに、反して少し口角の上がった人懐っこい笑顔で心を開かせる。誰もが一目見たら目が離せない。
方や時生はと言えば
「ひょっとして王子の影武者とか?」
「バーカ、あんなに違ったら影武者になんないだろ。いいとこ王子の劣化版だな」
チビガリ眼鏡の三拍子で、ソバカスだらけの青白い顔、黒髪の頑固な癖っ毛、眼鏡の奥の緑の瞳はほぼ黒く、薄い唇は頑なに引き結ばれ、なにより人の目に入らないほど存在感が薄い。
パーツは同じなのに、何から何まで正反対。
そんな2人がお揃いのアウロラ公国の正装を着て並んで立っているのだ。これが不幸でなくてなんなのか?
どんどん集まる群衆達の嘲笑に、時生の小刻みに震える手が耳を塞ぎかけた。と――
『――ジ、オージ? ねえ、大丈夫? 聞いてる?』
眠り姫の弾けるような声が、金の粒となって時生の身体中にシナプスのように広がった。手の震えが止まり、頬に血の気がさすのが自分でもわかる。
タカフミが時生の右耳に落としたイヤホンをはめたのだ。思わず「ありがとうございます」と言いかけた時生に、しかしタカフミはこう言った。
「かわいい声だね。彼女がボッチ村の眠り姫?」
その瞬間、時生はしっかりと右耳を押さえて飛び退いていた。そして「しまった!」と思う。案の定、あの全てを見透かすようなタカフミの極上笑顔が待ち受けていたからだ。
あっという間に時生の顔には、血の気がさす以上に血が昇る。
「お、王子だって知ってるでしょう? このイヤホンを僕に渡したのは王子なんですから」
「残念ながら僕は彼女と知り合いじゃないんだ。これを君に渡す様に言って来たのは――英国女王クィーン・メアリだよ」
「え、メアリ女王が!? じぁあ女王は境の国村と繋がっているって言うんですか?」
あまりの驚きに、時生がタカフミに詰め寄ろうとした時――。
「そんな村は無いと何度も申し上げたはずですが」
時生の背後から重々しい声が降ってきた。
恐る恐る振り返ると、そこには日本に着いて数分で苦手になった宮内庁の職員大河内が、時生の肩をガッチリ掴んで能面の様な顔で立っている。
時生の脳内ではペンギン達が『宮内庁職員』と書かれた百人一首の箱をえっちらおっちら担いて来て蓋を開けると、一枚の札が浮かび上がり、そこには『境の国村番役』の文字。と、『身長185㎝』の文字。その情報今いる?
「王子、無断でいなくなられては困ります。さあ、東京駅見学も気がすんだでしょう。迎賓館にお戻り下さい王子、と、お供の――方。さもないと……」
今、絶対「お供のチビ」って言おうとしただろ! と心の中で毒付きながら、それでも時生が大河内の目線を辿っていくと、
「境の国村ってさ、あの都市伝説のボッチ村の事でしょ。地図にも載ってなくて、行ける時もあれば行けない時もあるって言う」
「それ! 村が眠りの呪いにかかってて、行った事を忘れちゃうから二度と行けないって」
「ボッチ村ってアレだろ、国のヤバい事を隠してるって噂のエリア51的な」
「あ、俺も聞いた事ある! 大昔に国が隔離した村」
「だから国がメッチャ補助金だしてメッチャ潤ってるらしいぜ。ズリィよな」
「それ目当てに移住しようとする奴らもいるんだろ? ありえねー」
「俺は村に行ったら願いが叶うって聞いた事ある。だから行こうとする奴が絶えないって」
「お前もだろ」
「それ! 魔女が願いを叶えてくれるけど、呪われて帰れないこともあるらしいよ」
「魔女の使い魔の猫が白黒のペンギン猫なんだって。見たーい!」
「猫じゃなくてペンギンが使い魔なんでしょ?」
「だけどそんなありもしない村に、一国の王子が来るなんておかしくない?」
「『オーロラエッグハント』で一回も日本に来る事なかったのにねー」
「日本の事馬鹿にしてんのかな?」
無数に向けられたスマホの海と、次から次に面白おかしく囁かれる噂話の数、数、かず――。
そこに悪意は無い。だが、大した関心もない。
「ここでこんな事をしていては、輝かしいアウロラ公国の名に傷がつきますよ、ありもしない村の名にも。行きましょう。メトロの入り口なんてありませんよ」
時生の踏ん張りも虚しく、そう言い放つ大河内に捕まれた肩ごと回れ右させられ、よろけた足が一歩踏み出した時だった。
「境の国村がねぇって事はねぇだろう? なぁボウズ」