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8.ボッチメトロ【連載小説・キッスで解けない呪いもあって!】
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時間稼ぎにまんまと掛かった。
このままではメトロに乗り遅れる!
「王子、ボッチメトロの入り口はあそこです!」
そこは眠り姫の映像が流れた時、『入り口の班員』と大河内に叫ばれ慌てて動いた人物が立っていた場所――。
時生はぐるりと後ろを向き、大型モニターを指差した。
それと同時に、モニターの後ろ、白い一面の大理石にしか見えなかった壁の一部が地下から来た風に巻き上げられ、白い布を顕にしながら細い入り口の姿を見せる。
「王子早く走って……え?」
「はっ! もう遅……いっ!?」
勝ったとばかりに叫ぼうとした大河内の声が後ろに聞こえる。
気づけば時生は、猛然と入り口に向かうタカフミの小脇に抱えられていた。背中でバイオリンケースの肩紐金具がガチャガチャと鳴り響いている。
「――なっ!? お、降ろして下さい王子! 僕は行かなくてもいいでしょう!?」
「黙って、舌噛むよ! みなさーんスミマセーン、道を開けて下さーい! オージのお通りですよー!」
「ふざけないで下さい!」
すると今度は耳の中でフィドルの定番曲『ジョン ライアンズ ポルカ』が流れ出す。とにかくご機嫌でアップテンポなダンスミュージックだ。
「眠り姫、なんですコレ!?」
『おじさんバンドが王子の歓迎音楽弾き出したの! もうすぐ王子が到着するって、村の皆んながホームで王子を待ち構えてるのよ。急いでオージ! ボッチメトロは黄昏時にしか動いてない。これが最初で最後のチャンスだよ。とにかくボッチメトロに飛び乗って!』
「ああ、もう! だから僕は行かなくていいでしょうってば!?」
タカフミもこの曲を聞いているらしく、いつの間にかイヤホンを着け、鼻歌混じりにスピードを上げた。あれだけ密集していた人々がタカフミの勢いに気圧され道を開けていく。
が、大河内の部下だろう、黒いスーツの男達が道を塞ぎにかかると、タカフミは
「これは掃除が大変だからあんまり使いたくなかったけど……オージ、ペンギン達のトボガン、見たことあるよね?」
「え、あのお腹で滑って移動する? 当たり前です。僕は南極生活3年……って!?」
内胸から取り出した小さなスプレー缶のピンを器用に片手で外して前方の床に放り投げると、時生を軽く宙に放り上げ、その襟首とバイオリンケースを掴んで
「じゃあ大丈夫。ワッフルは潰れちゃうから頭に乗せてー、せーのっ!」
あろう事か時生を思い切り床に滑り投げた。走りながらなので勢いがある上、タカフミが投げたスプレーオイルの効果なのか、恐ろしく早く滑る。おかげで何もせずとも「ぎゃっ!?」「うわっ!?」と部下達は勝手に時生に跳ね飛ばされ道を開けてくれた。だが
「ひいぃぃぃ……死ぬっ! 今度こそ、死ぬっ!!」
デジャブの様な叫び声を上げ、時生はそれどころではない。ワッフルを両手で頭に乗せ、ペンギンというより海老の様に両足を反らせながら腹で猛然と滑っていく時生を待ち構えているのは、硬い大理石に囲まれた、あまりに細い入り口。
ぶつかる――!!!
思わずぎゅっと目をつぶった時、時生は身体がゴゥッと吸い込まれるのを感じた。
目を開けると、そこは時生の脳内図書館――によく似た、巨大な階段ホールだった。乳白色の柔らかなタイルと緑のケルト紋様の飾りタイル。シャンデリアの灯りで照らされているであろう暖かな空間。
ただ一つ違うのは、本棚とペンギンの代わりに、時生の眼下には無数の大階段が連なっているという事。
そう、時生は階段の真上に浮いていた。
が、それは単なる勢いの惰性で、すぐさま
落ちる――!
と思った時には再びタカフミの小脇に抱えられ、大階段の大理石の手摺りを、スノーボードよろしく勢いよく滑り降りていた。
「は、はやっ! し、し……」
「死なないからじっとして! お姫様抱っこは嫌なんだろ?」
タカフミが起用に手摺りのカーブを曲がった時
「王子お待ち下さ……なんです君たちは!」
「いたぞ、あそこだ!」
宮内庁の職員と、各国の工作員が鉢合わせしたらしいのが見えた。
――ここで捕まる訳には行かない。
身体に響きわたるポルカのリズムに励まされ、時生は腹にぐっと力を入れる。
「タカフミ、あそこの8番線からベルが聞こえる!」
「了解、時生!」
『オージ、急いで!』
タカフミが大階段の手摺りから飛び移った、8のプレートが下げられたトンネル階段の先――!
手摺りの切れ目から投げ出され2人がトンネルから飛び出すと同時に、両脇のホームにゴゥッ!と電車が入って来た。
つるりとした真っ白な玉子のような車体に鮮やかなイエローの座席。驚くほど近未来的な車輌だ。
どちらも進行方向は同じ、車輌数も同じ13輌。
プシューッと一息つくかの様にピタリと止まり、一斉にドアが開く。
あまりの展開に、ホームの床に転がり込んでいた2人は一瞬呆気に取られていたが、時生達同様飛び込んで床に転がり散った追手の衝撃で、漸く我に帰った。
宮内庁の職員と各国の工作員、合わせて8人。
静寂は一瞬で終わり、発車のベルが鳴り響く。
「なんだ!? どっちだ!?」
男達が騒いで2人に注目が集まった瞬間、時生はタカフミと目配せすると、大きく左腕を回し、左の車輌を指差して
「右!!」
と叫んだ。
その途端、1人のアジア系工作員が左に飛び乗り、右車輌のドアの前にいたあのドイツ人がニヤリと笑って右に飛び乗った。
ドイツ人の近くに転がっていたタカフミも、黙示録を時生のバイオリンケースごと受け取って飛び乗ろうとしたが、ピタリと止まった。
時生が動きを止め、瞳が緑の熾火のように輝いている。こういう時の時生には何かが見えている。
――僕は何で右と言った?
手摺りから投げ出され宙を飛ぶ時生達を、メトロが追い越していく。そのスローモーションの映像の中で、瞳が緑でお腹だけ真っ白な黒猫、人々の噂の一つのペンギン猫が、右の車輌の鮮やかな黄色い座席にちょこんと座っていたからだ。
――いや、それだけじゃない……。
時生はペンギン猫に集中する。時生を見てなんだか鳴いてるらしい。ナー、ナー、ナー。……3回。
――そうか!
「……の」
もうすぐベルが鳴り終わる。
タカフミはホームを蹴って、座り込んでいる時生を掴むと
「3号しゃぁぁぁ!?」
「さ」の声を聞くと同時に、時生ごと右車輌の3号車に飛び乗った。