10.「境の国」の眠り姫【連載小説・キッスで解けない呪いもあって!】
暗闇を抜けた先。
そこは――勢いで宙を舞う時生が見たものは、上から差し込む光に溢れた巨大な空間、メトロ駅「境の国」のホームだった。
脳内図書館やボッチメトロの大階段ホールのように、乳白色の柔らかなタイルと緑のケルト紋様の飾りタイルが高い天井まで続き、二階部の回廊はアーチ石で飾られ、その中央の大階段の上には巨大なアンティーク時計が大小様々な時計に囲まれて動いている。
そして、時生がいるのは
「オージ!!」
白シャツに緑のタイ、緑のタータンスカートに黒のハイソックスと茶色のローファー。
まさに制服である事をものともせず、時生を受け止めようと両手を広げてホームを仰向けにスライディングしてきた、女子高生の真上だった。
「うわっ!? あ、あぶな……!」
避けたくとも、飛び出した勢いで浮いてるだけの時生に自由落下以外の選択肢はない。
だが、それは問題ではなかった。
問題は敵がいるこの状況――にも関わらず、時生の緑の瞳には彼女しか写っていないという事だ。
時生を映し出している明るい琥珀色の瞳。
かわいいおでこにのってる好奇心いっぱいの眉
元気よく広がる明るい茶色のレイヤーボブ。
その右サイドに小さく編まれたをノット編み。
時生を呼ぶ大きな口。
勢いよく突き出された長い両手。
包み込むために曲げられた長すぎる両脚。
そのすべてが時生の目を捉えて離さない。
「――見つけた」
その自分の声を聞いた時、時生は初めてわかった。
自分がなぜこの村に来たのかを。
『大きくなったら見つけてね』
6年前、小さい女の子だったこの眠り姫としたあの日の約束を、果たしに来たのだ。
この蕩けるような琥珀色の瞳をずっと探し続けていた。ずっと、ずっと、記憶の底で思い描いてきた――
と、
――む、ギュゥゥゥゥゥ……!?
急にリアルな肉感が時生の全身を包み込んだ。
滞空時間が尽きて観察時間は終了。
ボスンッ! と彼女の体の上に勢いよく飛び込んだ時生は、そのままラッコの様に抱き合った状態で大きな大理石の柱にぶつかり漸く止まった。
同時にホームで演奏していたケルトバンドの『ジョン ライアンズ ポルカ』も最速テンポを駆け抜け、ジャ、ジャン! とばかりに終わる。
だが代わりに
「うわぁぁぁぁぁぁ!!!?」
「きゃぁぁぁぁぁぁ!!!?」
2人の悲鳴が構内に響き渡り、大時計のボーンという音が鳴り響いた時、ホームに停車していたボッチメトロが発車した。
そう。メトロはちゃんと駅に停車していたのだ。
ただしそれがわかるのは、ペンギン猫と一緒に飛び降りた者だけ。
飛び降りなかった者、つまりこの場合中東の工作員は、ドアが開き皆んなが走り続ける電車から暗闇に飛び降り再びドアが閉まった、と思い続ける事になる。彼にとってこの駅は存在することもなく、玉子のようなつるんとした車体と共に、あっという間に過ぎ去って行った。
だがそんな事は今の時生にとって、全く、本当に、ちっともどうでもいい事だった。なぜなら
「なんで助けたのに悲鳴あげるのよっ!?」
「だだだだだって、めちゃくちゃや、や、や――!」
――やわらかっ!!!? 女の子ってこんなに柔らかいの!? え、え、え、めちゃくちゃ気持ちい――いやいやいやいや、まて! まてよ僕! それ以上考えるな! え、でもこれ、もしかして胸? 僕の顔、彼女の胸に乗ってるの? て、離れろ! これ以上これを体験したら、何罪かわかんないけど、ぜっっっったい犯罪だっ!!
と、初めての女の子の感触に脳内大混乱だったからだ。
「や、や、ってなによっ!?」
――や、や、「や」がつく言葉! 「やわらかい」、なんて死んでも言うな、ぼく!
脳内図書館のペンギン達もどこを探していいかも分からず、みんな手当たり次第に本を引っ張り出し大混乱。そして館長ペンギンが「これだ!」とばかりに開いた日本語辞典の「や」がつく言葉は
「や、や、や――やらしいからっ!!」
「――――はぁぁぁぁぁ!?」
確かに、側から見ると女子高生が小学生男子を寝たまま抱きしめて、「ボク、お姉さんとイイことしない?」という図に見えなくもない。
「助けてもらっといて、うら若き乙女になんて事言うのよ、この――」
真っ赤になった眠り姫は飛び起き、時生の両脇を抱えて顔の高さまで持ち上げると
「この、この、この――スケベチビ!!」
「な、な、な、僕のどこがスケベなんですかっ!? それからチビは余計ですっ!」
東京駅での口喧嘩再び、だ。そこに
「もう! こんな時におやめなさい、2人とも!」
「姉ちゃんいい加減にしろよ!」
と、時生同様バイオリンケースを担ぎ、眠り姫と同じ制服を着た男女2人――多分さっきの通話相手であろう、男子の方は眠り姫と同じ明るい茶色の髪に同じ騒々しさ、女子の方は黒髪ロングの和風美人――が止めに入ったが止まらない。
「私の胸に顔埋めたでしょ!」
「それはっ……不可抗力です! それから埋まるほどではなかった! 乗っただけです!」
「埋まるほどではないってなによっ! 私の胸が小さいってこと!? 自分も小さいクセに!」
「あ、また小さいって言った! だから僕は歴とした21歳の成人男子――」
だが時生がそう言いかけた時、2人の鼻先を何かがかすめ、ドスッ! と大理石の柱に刺さり、終止符は打たれた。
「そこまでだ」
見ると若い銀髪のロシア人が弓に2射目を番えて2人を狙っているその後ろで、車内で銃を突きつけていた角刈り大男が、同じ様に弓を番えてタカフミを後ろからホールドアップさせている。
「お嬢ちゃん、そのチビが背負ってる黙示録とあんた達の村の黙示録をもらおうか」
気づけば男女2人は後ろの柱の影に身を潜め、時生の前には眠り姫が立っていた。
――早い……! ていうか……デッカ!?
抱えられていた時は気づかなかったが、見上げるとこの眠り姫、とにかく大きい。
「どうして私が?」
「おやおや、あんた眠り姫なんだろう? 王子様がどうなってもいいのか?」
「あんた達みたいな奴らにやられるような王子なんて、こっちからお断り」
その言葉にタカフミはブッと吹き出し、時生はギョッとした。どんな姫だよ?
「それにあんた達2人なら、なんて事ないし」
「おやおや、眠り姫はえらく自信家らしい。じゃあ、これならどうかな?」