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4.黙示録を追うもの【連載小説・キッスで解けない呪いもあって!】


「大丈夫かい、君? これ君のワッフルかな」

 海外のビジネスマンなのか、仕立ての良さそうなスーツに流暢な英語だ。スマートな身のこなしで渡されるワッフルの紙袋に

「あ、ありがとうございま……す」

 つられて英語で礼を言いながら、時生の目線はみるみる上に向いた。

 ーーデッカ!!

 そこには時生が最も苦手とする人種ーーやたらと笑顔の大男がいた。なぜ苦手かと言うと

「小さい子が転んだと思ったら、暫く動かないから心配したよ。この眼鏡も君のかな? さあ、かけてあげよう……」

 この様に笑顔の大男というのは、何故か上から目線でチビをやたらと構いたがるからだ。
 この男も甲斐甲斐しく拾った眼鏡を時生にかけようとしゃがんで顔を近づけてきたので、時生はあわててバイオリンケースで顔を隠しながら、礼を言いつつ眼鏡を引ったくった。また目を見られてタブレット男の二の舞になるのはごめんだ。
 だが結局のところ今度も

 ーーしまったぁぁぁ…

 と思う。自分の学習能力はいささか問題かもしれない。
 男の動きはピタリと止まり、その目はケースに括り付けられた黙示録に釘付けだ。余程の本愛好家なら半分に引き裂かれた本を見たらこれくらい驚くかもしれないが、コイツはそうじゃないだろう。
 
 ーーあー、コイツはたぶん……ジャックと豆の木の大男、かな。

 目の前の男を見上げながら、時生は慣れ親しんだワードを使って、まだハッキリしない頭を回転させ始めた。
 どうやらフラついてる場合じゃなくなったらしいから。
 時生はあまり閉じたくない目を、ゆっくり閉じた。
 そして再び目を開くとーー
 そこは時生が脳内に作り上げた映像記憶図書館、『アウロラ公国図書館』だった。
 天井まで聳えるオークの本棚が果てが見えないほど並び立ち、乳白色の柔らかなタイルと緑のケルト紋様が美しい館内では、時生の友達であるペンギン達が忙しそうに立ち働いている。
 ここには時生が生まれてから目にした全ての映像が保管、分類されていて、それらを時生はいつでも自由に閲覧出来た。ただ一冊を除いては、だが。

「英語で話しかけるなんて、よく僕が日本人じゃないってわかりましたね。僕見た目はほとんど日本人だって言われるんですけど、僕の事、知ってるんですか?」

 時生が現実世界で大男相手に会話している間にも、脳内ペンギン達はバタバタと動きまわり、

「え? あ、ああ……もちろん知らないよ。私が英語しか喋れないんだ。すまないね」

 見事な連携で、ある棚の上の方から一冊の本を取り出した。それをハシゴで待機していたペンギンが受け取り滑り降りると、降りた先にいたペンギンがトボガンで本を背に乗せ時生の元まで持って来て、館長ペンギンがあるページを開く。ページの見出しは『ジャックと豆の木の大男』。

「ロシア人なのに? それにあなたは日本語だって流暢に話せるでしょう?」

「……なに?」 

 ケースに括り付けられた黙示録に気を取られいた男の仮面が剥がれかける。
 脳内ペンギン達は何冊もの本のページを次々と開いていく。そこには様々な国の人物写真とプロフィールが事細かく記されており、『アリババと40人の盗賊』や『オオカミと七匹の子ヤギ』と言った童話のタイトルがつけられている。

「あなたはロシアの工作員で、そちらでポケットからあなたに銃口を向けているのは中東の傭兵さん」

 前屈みの大男は左後方を流し見て、黙示録に伸ばす手を止めた。

「僕が見て照合する限り、今この場にはあなたを含め、ざっと五カ国の工作員がいて、その本を狙ってます。日本国内の公共の場で他国と争うなんて、そんな馬鹿な真似、できませんよね? 折角平和な世界が保たれてるのに色々と問題でしょ、あなた方も、あなた方の雇い主にも。それからーー」

 時生は自分でも不思議なほど落ち着いていた。脳内図書館に入り、考えをまとめ上げていく時はいつもこうだ。しかし、こんな状況でも落ち着いていられるなんて……。いや、これは落ち着いていると言うよりむしろーー楽しんでる?

「僕があなた方を知ってるって事は、英国もあなた方の情報を持ってるって事です。だからここは大人しく、そのまま引き下がった方が賢明です」

 目の前の大男は物凄い形相で時生を睨みつける。
 反対に時生はにやける顔を隠しきれない。大男を意のままに操るのは兎に角最高だ。
 とは言え状況が最悪な事に変わりはなかった。
 黙示録が戻ったところでーー

「貴様、MI0エムアイゼロ……ペンギンズか?」

「まさか、僕は『アウロラの民』の一人にしかすぎませんよ」

「ハッ! じゃあ貴様みたいなチビなど物陰に連れ去って仕舞えば呆気なく方がつく。他の工作員達も俺の足元にも及ばない。どのみちコレは俺がいただく事になる」

 そう言う事だ。
 5人の工作員ないしは諜報員、ないしは傭兵……ともかく! それらを相手にここから上手く逃げおおせなければ、次は人目のない所で捕まって、結局黙示録は奪われる。

「王子のお付きの見張りなんてつまらない役に腐ってたが、どうやら今日の俺はついてるらしい。まさかお前みたいなチビが黙示録を持ってるなんてな。一先ずこれはお前に預けておいてやるよ、チビ」

 大男のせせら笑った顔がグイと近づき、時生が悔しさで顔を歪めた時だった。

『オージ、イヤホンをそいつの耳に着けなさい』

 それまで押し黙っていた眠り姫の言葉が時生の身体中に響いた。
 それは不思議な感覚だった。
 実行を押されたロボットのように、声を聞いた瞬間、時生はポケットからイヤホンを取り出し、ポンッと男の耳に嵌めていた。
 そのあまりに自然な動きに、大男は一瞬何が起こったのか分からず、慌てて手を左耳にやった。その瞬間、

『チビチビうるさい、このバカ男っっっ!!!』

 眠り姫の罵声が男の耳で鳴り響き、「ぎゃっ!!?」と情けない悲鳴をあげた大男は思わず時生から飛び退き、床に尻餅をついた。
 すんでのところでイヤホンを外し、眠り姫の声を漏れ聞いた時生は今度こそ吹き出した。自分こそチビチビ言ってた癖に。
 このチャンスを逃すわけにはいかない。
 時生はバイオリンケースをヒョイと背負うと、ワッフルを抱えて駆け出した。ただし、床をのたうつ大男を気分良く見下ろし、この一言を言ってから。

「だから二軍扱いなんですよ」

 それは余計な一言だった。
 気づけば時生は飛び起きた大男に首を締め上げられていた。
 助けを求めたくとも再び声が出ない。人は大勢いるのに、屈んだ大男の陰に隠れ、時生の苦しみに誰一人気づかない。一瞬意識が薄れる中、時生は怒りで我を忘れた男の目にあの闇をーー恐怖を見た気がした。
 が、不意に首が楽になり肺に雪崩れ込んだ空気で時生はゲホゲホと咽せ返る。

「私の国の民が世話になったようで、お礼申し上げます」

 それは嫌になるくらい王子らしい王子の声だった。



 

 


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