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【ハートドリブンの感想】目に見えないものは理解されにくいが、とっても大切なもの。

今日は、アカツキ創業者の塩田元規さんが書いた

「ハートドリブン 目に見えないものを大切にする力」

の感想を書こうと思います。

本の内容は、

こちらをチェックしてみてください。

22歳の「たかしよしき」の感想

①「ネガティブな感情をシェアすること」は悪いことだと思っていた。

今まで読んだ本の中で一番共感する部分が多くて、線をたくさん引いた本だった。その理由として一番大きいのは、原体験が少し似ていたからだ。

「塩田さんは、中1の時に父親を亡くして長男として家族を守ることにシフトしたが、その反動で人に弱さを見せることに抵抗を感じてしまう状態になってしまったのだ。」

僕も少し似ている境遇があった。

中1の時に、母親を亡くしてしまった。三人兄弟の末っ子だった。

実は、僕は母親が亡くなった瞬間に涙を流さなかった人なのである。

その理由は、その真実を受け入れることができなかったからである。

世界1安心感がある母親を亡くしたことが信じられなかった。

そして、父親は母親に「3人息子を大学に入学させること」を誓っていた。

さらに、お通夜が終わって初めて学校に行くとき、明らかにみんなが僕のことを心配そうにみているのがわかった。

自分のことを特別扱いされるのが嫌だったし、みんなに心配をかけたくないと思い、母が亡くなる前と変わらない状態で、

とにかく仲間とバカをやって笑顔になって、母親が亡くなったことを忘れようとしていた。

しかし、忘れることはできなかった。なぜなら、家に帰ったら前と同じように母親がいることはないからだ。

自分のネガティブな寂しさや孤独感を仲間にシェアすることはできなかった。なぜなら、自分の弱さを開示したら、みんなが僕の元から離れていくんじゃないかという不安がとても大きかったからだ。

「もう、これ以上、大切な人を失いたくない。」

だから、僕はネガティブな感情が出た時は、夜道を走って自分を疲れさせて、考えないようにしていた。そしたら、みんなから

「よっしーはいつもポジティブで元気だよね!」

と言われるようになっていた。

それは嬉しいようで、どこか寂しかった。

僕は「弱さ」を開示しなくても今までなんとなくやってこれたが、

就職活動でしくじったことをきっかけに自分のOSをアップデートしないといけないということに気づき始めた。

自分の弱さとモンスターと付き合う時期。

②僕自身が持っているメンタルモデル

「僕は子供の頃、両親が教師だからどこに行っても「塩田先生のお子さん」という見られ方をしていた。だから、何事にも一生懸命取り組み、ちゃんとしていないと親に迷惑をかけてしまうと思い込んでいた。周りから素晴らしいと言われる自分でいようという意識が刷り込まれていたんだ。さらに長男という家を背負う立場で生まれ、父親も早くに亡くなった。だから、より、ちゃんとしていなければ、という思いが強くなっていた。それは、何事にも真面目に取り組むというギブであった一方で、人の期待に応えなければ愛されない」「わがままは許されない」というメンタルモデルを作ってしまった。

byハードドリブン 目に見えないものを大切にする力 塩田元規

僕の中にも強く生きる観念モンスターがいました。

「結果を出さないと努力の意味がない」

ということ。

このモンスターは、塾や学校で成績が良い人が評価されているところを目の当たりにしていて、自分が目標にしていた点数を取れなかった時に、自分を強く責めた。また、部活で結果を残した人が試合に出れるわかりやすい構図。

これは、最初は自分を押してくれるエネルギーになったが、結果が出ていない時はとても苦しくて、自分なんて何の価値も出せないAIに代替可能な人間なんじゃないかとも思っていた。「結果が出ないのは、ただの努力不足」そう思っていて、そんな状態が大嫌いだった。

けど、最近、そんな自分も愛せるようになってきた。

「ありがとう。」と自分に言えるようになってきた。

「仕事は辛いものである」

また、このモンスターも僕の中に今もいる。

仕事は我慢するものだ。辛いものだ。

父親が仕事から帰ってきて「疲れたぁ。はぁ。」とため息を付いているところを毎回、見ると、仕事は嫌なものなのかなと思っている自分がいる。

また、宿題が終わったら、ゲームができるという教育を受けてきたため、「もしかしたら仕事も宿題のようで我慢してやるべきことで、その褒美としてお金がもらえる」

こうやって大人も生きているのかなと思っていました。

仕事は心から楽しいことを選んではいけなくて、

辛いこと、我慢することを選ぶのが仕事だと勝手に思っていた。

けど、楽しいことを仕事にしている人を見て、

少しずつ違和感を感じていた就活時代。

僕も心がワクワクする感情をむき出しに働いている人と一緒に働きたい。

世の中をもっとカラフルにして笑顔を増やしていきたい!!

③自分は偽ダイヤを取りにいっていないか?

偽ダイヤとは、一見、その人を輝かして見せるもの。自分の深いところでは「欲しい」と思っていないのに、「これさえ手に入れば」自分の価値が上がると思って偽ダイヤを求めてしまっていないだろうかということだ。いつの間にか「外側の何か=自分の価値」だと思っていないだろうか。

by 「ハートドリブン 目に見えないものを大切にする力」

僕は取りに行こうとしていた

誰かや何かによって自分の価値を証明しようとすること

人にすごいと賞賛される大学に行きたいと思ったこともある。

「すごい。」と言われる人と仲良くなって、「どやっ!」って言ったこともある。留学から帰ってきて「TOEIC何点なの?」って聞かれすぎて、答えれないのが悔しすぎて、自分の留学の価値はゼロなのかって思うのが嫌で「515点UP」させたこともある。

けどそれは全部、自分が他人から認められるためにやった行動

「すごいでしょ!」って言われるために行った行動ばかりだった

「僕たちは勤めている企業、役職や資格などによって、その人の価値を判断してしまいがちだ。だから、その偽物のダイヤが大切なものだと思ってしまう。でも、本当に欲しいと思っていないものを求め続けるのは苦しいことだ。僕自身、人の期待に応えようと随分頑張ってきた。結果や価値を出すことが自分の存在理由だと思い込んで生きてきた。でも、そこから降りることでようやく、どんな自分もいていいんだと僕自身が認められるようになってきた。」

by ハートドリブン 目に見えないものを大切にする力

就職活動でもそれは起きていた。

みんなが「すごい!」と驚くような企業に行ったら幸せに生きれるんじゃないかと思っていた。けど、それは違った。

「もし、自分が大切だと思っている人が全く関心を寄せなかったとしても、それを手に入れたいと思うだろうか?」

by ハートドリブン 目に見えないものを大切にする力

この問いを自分にした時に、それはただの「偽のダイヤ」だったことに気づけた。自分は思ったよりも他人の目を気にして生きている。みんなが自分のことにとても興味を持っていると思って生きていると感じる。

けど、僕もそこから降りたい。

結果や成果を出すことで自分の存在理由を出すことをやめる。

そのままの自分でも自分がここにいる理由を出していく。

そしたら、もっと自分を開放的に生きていけるんじゃないかと思う。

④無駄、無価値、無邪気こそ大切

ex)心を解放する。アートワーク、裸足のオフィス

「合理的には説明できないことかもしれない。でも、ワクワクする、なんか面白いということがファンを作る。これからの時代「意味があるんですか?」と切り捨てられていたものに価値が宿る。無駄で無価値と言われていたけど、無邪気に楽しめること、そういうものが目に見えない価値になる。感情価値を作る。」

by ハートドリブン 目に見えないものを大切にする力

このメッセージが一番、僕を救ってくれているといっても過言ではない。

だって、就職活動とかで自分の好きだったこととか幸せだった時間を言語化しようと思っても、どうしてもできないところがあって、言語化できないと「なんで?」っていう質問に答えれない。

それっぽい理由を言ってみる。深掘りされる。答えれない。

みたいな。

この本のテーマでもある「目に見えないものを大切にする力」

本当にありがとう。

言語化が上手くできないと、

「自分の思考にもっと「なんで?」って問いかけることを意識して生活してみて!」

ってよく人材紹介会社の人に言われて、合ってそうな感じもするけど、どこか違和感を感じていて。

そこで、本に書いているアカツキさんでは

「会議で雑談の時間をとる」
「全社合宿で行うアートワークと自己表現」
「"ハートドリブンフェスティバル"という周年祭」

もうまさに素晴らしい。

僕はたぶん、

正解がない世界で

自分の好きなものを自己表現できる世界を

作り上げることができたら、

僕はもっと成長できるし、

周りの目を気にせずに生きていけるんじゃないかと思った。

おまけ

僕は小さい頃から、自分が思っていることや感じていることを上手く相手に伝えることができない。自分の中では納得しているけど、それを「言葉」にすると相手には理解してもらえない。

だから、時より相手が理解できないことを逆手にとって、漫才で「ボケ」をしていた。その瞬間は、自分が相手と全く違う思考をしていること意味がわからなさすぎて他の人に刺激を与えていることに快感を覚えていた。

けど、これが日常になるとまた話が別だ。

中高のクラスでは、話を無理やり合わせないと友達はできないと思っていたから、「ボケ」の技術は捨てていた。けど、次第に部活の仲間では「意味わからないこと」を言って笑いをとっていた。

けど、それは自分が本当に意味わからないことを言おうと思って言ってるわけじゃない。

「自分の中では、話が繋がっているのだけど、周りには理解してもらえないし、上手く伝えることができないのだ。」

おそらく、僕の「ボケ」をみたことある人なら実感すると思う。

(逆に言えば、僕がボケれるところは、僕が安心安全だと思っている環境のため、自然体に近いところである。)

自分の思っていることを伝えることが下手だからこそ、

ブログを書き始めたり、

人に会ってみる企画をやってたくさん話してみたり、

動画編集技術で自分の表現したい世界観を表現してみたり、

その手段が好きなんじゃなくて、

自分が言語化できない表現できない目に見えないものを

この世界に表現したい。

そして、自分の本心に素直になっていきたい。

僕はずっとそう思っている。

だから、今もずっと表現する技術みたいなものを学ぼうとしているけど、

本当は自分の思考を絵のようなものに書いて、実際にこの世界に表現させて、多くの人に認めてもらいたいのかなーってたまに思う。

本当にここまで読んでくださりありがとうございました。

よっしーでした。

(この記事の文字数 4670文字)

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