うつのおかあさん-18 地雷のはなし
この話をナンバリングでするのかどうかは悩んだのですが、一応日記というか、日常の書き散らしとして。
ヲタクとして生きている限り、ほぼ全ての人になにかしらある可能性の高い『地雷』について。ここでいう地雷とは『どうしようもなく苦手だから見聞きすると死んでしまうもの』を言う。
簡潔に言って、私の地雷は2つだけ。
・首吊り
・首絞め
だけです。それで人が死んでも死ななくても、できれば見たくない。でも全く無理なわけではないから、即死の地雷ではない。むしろそれよりグロくても他はなんでも大丈夫。
ではなぜか。
簡潔に言って、祖母が首吊りで死んだから。
私が前に話した「祖母のというひと」に出てくる祖母は、母方の祖母。今回話すのは父方の祖母のはなし。
父方の祖母、その人は自死をする5か月前に夫を亡くしていた。心不全だった。それから離れに息子夫婦が住んでいるとはいえほぼひとり暮らしの状態になり、きっと寂しかったのだろう。さらに自分の病気も発症して、痛みに耐える日々だった。
それが苦痛だった、と、遺書と言うには簡素すぎるメモ帳の切れ端に書いてあった。
でも私がそれを大きく話さなかったのは、祖母の自死をマイナスの意味で引きずっているからではない。いや厳密に言えば地雷になっているのだから引きずってはいるのだけれど、そう、私は彼女の自死について聞いたときに「そっか」としか思わなかったのである。
この祖母というひとは、長野の田舎で生まれ、長野の田舎に嫁いだ根っからの田舎育ちだった。長野の豪雪地帯に住んでいるので、私が祖父母の家に行くのは夏だけだった。毎年の夏休み、お盆に行くと、畑で取れた沢山のおいしい野菜でもてなしてくれた。とても優しい祖父母だった。亡くなるまで息子たちの誰より背の高かった祖父と、背が低いしおまけに腰も曲がっている小さな祖母の組み合わせが、私は好きだった。
けれどこの祖母、なにかにつけて
「おれのことは荷物になったら姥捨山に捨ててくれてええからな」
と言う人だった。
それを聞いた誰もが「そんなことは言うな」と怒ったり笑ったりしていたけれど、私は幼い頃から『ああ、あれは本心だな』と真面目に聞いていた。
だっておばあちゃんはそういう顔をしていた。
長野県に、いやそれ以外の地域にもある昔話、姥捨山をご存じだろうか。
それは名のまま、老いて仕事もできなくなった老人を、口減らしのために捨てに行く山があった、という伝承だ。ホラー映画の題材になったりもしている。祖母の中ではその昔話が未だ生きていて、みんなの足手まといになるくらいならそうしてくれと言っていたのだった。
だから私は祖母の自死を知ったとき「そっか」としか思わなかった。
祖母の自死について、伯父は自分を責めていたし、周りは「病気に耐えられなかったんだ」とか「祖父がいなくなって寂しかったから月命日に死んだんだ」とかいろいろ言っていたけれど、私だけは、多分私だけあの場で祖母の死を『人間としての尊厳を守るために死んだんだな』と思った。
それを今まで旦那以外に話したことはない。言わねばならぬ機会もなかった。
祖母はもういないのだから本当の理由は分からない。けれど私は、彼女が自分の思う『みんなの足手まとい』であることに耐えられなかったのではないかと思っている。だってあんなによく言っていたじゃない。
でも平成(当時)の時代に姥捨て山は存在しない。自分で行ける健康な足もない。だから首をくくったのだ。そう思う。
自分が誰にも迷惑をかけない方法を、祖母なりに考えて行動しただけ。自分の中で許せる『生きていていい範囲』を超えてしまったから死んだだけ。
それを私は『人間としての尊厳を守るための死』だと思っている。だから驚かないし咎めない。祖母らしい最期だったと、私は思っている。
ただ祖母の、首をくくった痕を見た時のインパクトはすごかった。変色とか、陥没とか、オブラートに包むと、すごかった。それ以来私は首吊りや首絞めの描写を目にした時にあの首の痕を思い出してしまう。もう条件反射のように。それはきっと一生治らない。
だから、偶然見る分には大丈夫な地雷。あ~見ちゃったなあ、で済む。けれどできれば見たくない。
最近始めたTRPGでは特に、セッション中にプレイに集中できなくなってしまうだろう。PCとしての動きができなくなるかもしれない、たとえそれが一瞬のラグだとしても、私は避けたいと思った。だからプロフにも地雷表記をした。
ねえおばあちゃん、おばあちゃんの選択を私は受け止めるよ。他の誰がそれを嫌悪しようとも、私は肯定するよ。
だから痛みのない世界で、おじいちゃんと仲良くしててね。
私は大丈夫、地雷は避けて通ればいいだけだから!