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巡り合わせの、その先にあったもの


人間は、どんなときに音楽を聴きたくなるのだろう。
いいことがあったとき?それともダメダメな自分を慰めるとき?

私はスキマスイッチの推しを始めたことで「耳に入ってくるひとつひとつの音を楽しんで」音楽を聴くことができるようになった。でも昔はずっと後者だった。
自分が大嫌いで、それでも人生は続いていくという事実を受け止めるのが辛すぎて、不完全な自分に開いた穴を埋めるために音楽を聴いていた。無意識のうちに、歌詞カードにへばりついて自分にぴったりくる、励まされる言葉を探していた。
そしてこれから取り上げようとしているロックバンド、マカロニえんぴつの楽曲にも救われた人は多いのではないだろうか。


2020年、第1回目の緊急事態宣言。特に用事もないステイホームの休日。
名前は知っているけど曲を聴いたことのないアーティストをサブスクで漫然と聴いている中で、マカロニえんぴつの楽曲に出会った。

最初は1曲の中でどんどんと色を変えていく演奏やアレンジが気に入って、「hope」と「CHOSYOKU」の二つを聴くようになった。でもファンと言えるほどではなくて、あとはSNSでメジャーデビューの発表やライブなどの活動をなんとなく追っていた程度だった。
そして2022年のはじめ、在宅勤務中に「あ、マカロニえんぴつそういや新譜出したよな」と思って「ハッピーエンドへの期待は(アルバム)」を聴いたあたりから、他のアルバムもよく聴くようになったり、メンバーのバックグラウンドや過去のインタビューなどを追ったりするようになった。


ただ、強烈に好きな楽曲があるわけではなかった。
歌声はエモーショナルで心に刺さるけど、ハマるまではいかない。
ライブは配信で見たことあるけど、生の音に触れたわけではない。
でもこのバンドの演奏を聴きたいと思う。どうしてだろう、その明確な理由が分からないままだった。

そして積極的に応援することにも躊躇があった。それが今人気絶頂のバンドであることと、そのファン層の若さだ。
もちろん魅力があるからたくさんメディアに露出している。ただ私の性格が捻くれているのか、一過性の流行りに溺れてファンになることが好きではなかった。そしてそうやってハマったコンテンツはすぐ飽きる。これは自身の経験が証明している。

そしてメディアでは必ずと言っていいほど「今Z世代に大人気のバンド!」と紹介されるし、Twitterで「マカえん」と検索かけるとプロフィールにZ世代ドンピシャの生まれ歳を書いたマカロッカー(ファンの呼称)がいっぱい出てくる。
ただ私はZ世代を通り越した年齢で、知り合いにこの年代もいないので、ブームや価値観についていけないというのが本音だ。
マカロニえんぴつを好きな自分は否定したくない。でも好きだと堂々と言えなくて、どこか迷いながらおっかけている状態が続いていた。



ここからはライブの話に移ろう。
ライブも、行ってみたいという気持ちはありつつ、初めは行かないつもりでいた。
若い子たちの盛り上がりには勝てないし、まず紛れるのが耐えられないと思っていたから。
でも昨年の秋冬ツアー(マカロックツアーvol.14 〜10周年締めくくり秋・冬ツアー☆飽きがくる程そばにいて篇〜)が発表されて、ファイナルがさいたまスーパーアリーナと知った時、これに行かないと、どんどん彼らは遠いところに行って、全速力で追っかけても姿が見えなくなってしまうのでは、といった不安に駆られた。
そしてバンド初となるさいたまスーパーアリーナ公演の1日目は私の誕生日。もうつべこべ言わず来いよ!と言われている気がしてしまい、観念して長野公演とツアーファイナル(たまアリ2日目)のチケットを取った。



長野公演の客層は、Z世代の中に自分の両親よりちょっと若いくらい?の年齢の方もいらっしゃって、ホッとしながら席につけた。

公演について、まず印象に残ったのは圧倒的な演奏力。
なかなかライブで表現するの難しいよなって思う曲も、ずれることなく見事に再現されている。ほとんどの曲で同期は使っていないそうなので個々のポテンシャルの高さを窺わせた。

また、演出もファイナルのたまアリの大きさを考えて作られたのかな、と思った。
「たましいの居場所」で天井から豆電球が降りてきて、その後の楽曲でも演出に加わるのだが、「夜と朝のあいだ」では流れ星になったり、「星が泳ぐ」では打ち上がる花火の軌跡になったりとその楽曲を視覚的に楽しめた。
そして「街中華☆超愛」では、MCの寸劇?後照明が落とされ、スモークが大量にたかれ、その間にメンバーが中華風の衣装に着替えて再登場する。この曲のためだけに作られたセットと映像。そして最後飛んでくる銀テープ。
ホールの規模で銀テープが飛んでくる公演は滅多にないので唖然としてしまった。

目まぐるしく展開されて終わる、ジェットコースターのようなライブ。
私が普段行くものはゆったりと楽曲を届けるものが多いので、通常2時間だと少なく感じてしまうのだけれど、マカロニえんぴつのライブは密度が非常に濃く、十分お腹いっぱいになった。
そして彼らのライブが好きかどうかを判断する以前に、文化が違いすぎてそこに馴染むまでの間に終わってしまった感じだった。



ということで、実際に楽しめたのはツアーファイナルだった。
上述した演出もアリーナサイズになると迫力がより増していた。
そしてお客さんは1万人以上。ステージに立つのはサポートメンバー含む計5人。まだ声出しはできない公演だったが、たった5人でこれだけのお客さんを盛り上げている。純粋にそれが、すごくかっこいいなと思ってステージを見ていた。
長野公演より圧倒的に若い子が多かったけど、そこは気にならなくなっていた。

そして本編最後のMC。ボーカルのはっとりさんがその場で感じたことや自分の想いを伝えて最後の曲に入るという流れなのだが、この日はこんな話があった。
「最初は自分を慰めるために音楽を始めた。UNICORNに憧れて、上京して声をかけた同級生と、演奏も聞かずにバンドを組んだ。でも初めてみんなで音を合わせた時すぐにできちゃって、なんかがっがりした」
「そこからは大変で、メンバーが一人抜けた時やめてしまうのも一つの選択肢だったけど、そのときにはもうたくさんのお客さんがついていたから、そこでやめるのはその人たちに申し訳なかった。だからお客さんに自分を慰めてもらおうと考え方を変えた。そこからバンドとして動き始めたような気がする」
「あなたたちと一緒に、俺にとってのUNICORNは完成した」

最初ははっとりさんが理想を掲げて引っ張っていたバンドだったのが、長谷川さん、高野さん、田辺さんが離れずついてきてくれて、途中から4人全員が舵を取るようになって。そして自分たちを応援してくれる人たちのために、活動を続けてくれた。
このMCは最後「君といる時の僕が好きだ」という言葉で締められた。メンバーとファンに対しての最上級の愛の言葉。そこから「なんでもないよ、」のイントロのピアノのメロを聴いた時、ボロ泣きしてしまった。自分の「好き」を肯定してもらえた気がした。



そして、あのライブから2ヶ月が経った。
自分を慰めるために音楽をやっていた、というはっとりさんの話は今も強く心に残っている。

昔の私は自分を慰めるために音楽を聴いていた。もし当時の年齢でマカロニえんぴつに出会っていたら、彼らの音楽を好きになったとしても自分を慰めるために「消費」してしまったと思う。
正直に言うと、過去の私は「消費」しきったら、ぽいってそのへんに捨てていた。
だから、彼らにも同じことをしてしまっていたと思う。

しかし最初にも書いたが、スキマスイッチを好きになったことで音楽の聴き方が変わった。
彼らのライブでは、原曲とは違うアレンジを多用して演奏されることが多い。なので、音源が正解というわけではなく、音でたくさん遊べるんだよってことを教えてもらえた。そこから曲を聞く時、歌詞より音を中心に聴くようになった。
これはどんな楽器を使うのだろう、これは生音か打ち込みか、みたいなことを考えることが好きになった。
いいイヤホンを買って、裏でなっている音を集中して聴くようにもなった。

だから、音をたくさん重ねて、1曲の中で色んな景色を見せてくれるマカロニえんぴつの楽曲に惹かれるのも当然だったのかもしれない。


そして、これはメディアで語られるようになっているが、はっとりさんは学生時代スキマスイッチの楽曲をよく聴いていて、スキマが一時期コーナーを持っていた番組でUNICORNのMVを5本流したことで、あこがれとなるバンドにも出会っている。
マカロニえんぴつのファンクラブ内のラジオでも、はっとりさんがスキマスイッチの某曲を口ずさむ瞬間があったりするので、好きなものが彼の中にちゃんも受け継がれているのだと感じたし、私の中にも好きなものがこうして受け継がれている。



どうしてマカロニえんぴつを好きになったのか。書きながら結論が出た。
正直こんなことを言うのはすごく恥ずかしい。最終的にこの言葉に落ち着けてしまうのも陳腐だと思う。でもほかに言葉が思いつかないので言わせてもらう。


私が、彼らに出会って、好きになったのは「運命」だ。
本当はここに書けない個人的なこともある。それも含めて「運命」だ。
自分が人生でとった色んな選択が、色んな「好き」が、最終的にマカロニえんぴつに繋がっていた。

運命なら、人気絶頂だとか若い子にファンが多いとか関係なく、好きな自分を受け入れられる。そう思うとすごく気持ちが軽くなった。



そして運命の出会い、その先には何があるのだろう。
ハッピーエンドへつながっているというイメージだけど、もしかしたら天国よりの地獄かも。
よくよく考えればどこがエンドになるのだろう。解散したらバッドエンドだし。何かの理由で私が手放しちゃうエンドだとそれは運命じゃなかったってことかな。
今は楽しく聴いているけど、この先救いを求めることもあるかもしれない。
色んな環境の変化であまり聴く頻度が下がってしまうかも。

でも、誰も置いていかない音楽を奏でる人たちだから、きっとずっと長く愛すことができるんじゃないかな、と今は思う。
答えはこれからゆっくり探していきたい。
だからこれからもマカロニえんぴつのそばにいさせてほしい。そしてこれからもよろしくね。

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