夜に書く文章という物は大概に人様に見せられるものじゃない
まず書いておくけれどこの文章を読んで不快になったり、嫌悪感を抱いたり、怒りを覚えても全て事実で僕の根源であるから知ったことではない。
まあつまりは「余計な口を出すな」ということで、じゃあなぜ文章化したかといえば単純に脳内の整理を付けたいからである。
耳がいい、目端が利く、気が利く、周りの事をよく見れる子です
頭がいい、大人びている、理解力が高い上、応用もできる
成績表や教師によく言われるのはそんなことばかりであった。
子供の時分、幼稚園年中くらいの頃
父は僕をよく殴ったし、外に放り出したこともあった
はじめこそ殴られるのは痛かったし、家に入れないのも怖くてよく泣いてはいたが、慣れたらそうでもなく、父の平手に反射的に殴られる向きに顔を向けてあまり痛くなくなっていたし、家を追い出されてもそのまま遊びに行くなんて胆力も身に着けていた
殴られても痛くないので泣かなくなったし、外に追い出されてもむしろ向こうが探す羽目になるから余計に父は怒った。
父が家にいないときは母が家にいたが、僕はおおむね一般的な母親という物を知らない。
ダイニングでタバコを吸い、ラジカセで流行りの曲を流し、テーブルを一人で占拠し、掃除も洗濯も料理もしない母だった。
幼稚園にも迎えに来ない、送りもしない、朝食も作らない。
今でいう育児放棄という物なのか、単純に若かったからなのかは知らない。
食事はスーパーの袋に山のように入ったカップ麺だけだったが、それが当たり前の僕には苦痛ですらなかった。何なら今でもよく食べるし美味いと思ってる。
耳がいいと聞こえてくるのは父や母の相互に対する「浮気」という愚痴
ドラマなんかでよく扱われてた題材だし、当然のようにそれが不貞だとも知っていた。
表情、空気、所作、声色、視線、すべてから父母の感情は読み取れた。
才能って言うのは案外そういう極限だから生まれるのかっも知れないなと今にしては思う。
結局その後父母は離婚をし、引っ越しもすることになり、新しい母親を迎えることになった。
新しい母という物にはさすがに理解が追い付かなかったが、連れ子3人の父を受け入れた義母は狂っていたのか莫迦だったのかわからない。
義母はかなりヒステリーを起こしやすい人で、不意に感情が爆発する人だった。
怒っているときに「言い訳をするな」と教育されてきた僕は思ったことしか言わないものだから謝る必要がない時は絶対に謝らなかったし、向こうが間違っていると思ったらそれを指摘するくそ生意気なガキだったと思う。
しばし義母の逆鱗に触れ、僕の大事にしているラジカセやゲームやらしょっちゅう壁に投げられてはいた。
いわゆる「いうこと聞かないなら人質。ならぬ物質(ものじち)」作戦だろう。
これは存外に僕に効いた訳だが、まあその話は今は関係なくて、義母のヒステリーに対して父がなだめる事はよくあった。
それでもやはり義母の口から出る言葉は「私の子供じゃない」とか「私の子供を産ませてほしい」だった。
当然当事者は聞こえていないと思っていただろうが、聞こえていた。
家族間の話や、その後義母が自殺して死んだ話なんかは過去の記事に台本という形にしてあるのでここではもう書かないが、以下本題。
何が書きたかったかというと、つまりは、僕にとって「女」という生物はそれこそ4歳のころから「禄でもない自分勝手な生き物」だったわけで。
「大人」は何も偉くないという価値観だけが育まれてきたということ。
子供にとって親や教師は絶対的な存在であるように子供達は錯覚するが、実はそんなこともない。
母親は、父親は偉大かと言われたらそんなこともない。
ただ自分勝手に生殖行為をして、労働力を作りたいエゴイストでしかない。
だから僕は女という生き物に対して長年の間復讐のようなものに近い感情を抱いて、行動してきた。
自慢だが顔はいいし目端は効くし気も効くものだから当然モテた。
付き合う付き合わない区別なしに欲のはけ口として女を使ってきたし、都合の良いように扱ってきた。
こう言えばこの女は喜ぶ。こうすればこの女は言うとおりになる。こうすればこの女は文句を言わない。
クソみたいな価値観の人間がそこにいた。
純粋な恋愛をしたことがないのか、情熱にほだされて脳が施行を停止するような恋愛をしたことが無いかと言われたら噓ではある。
実際に8年間アプローチし続けても全くなびかない女もいた(その間もとっかえひっかえやっていたのだが)
ただ8年後には手中にその女はいて、ようやく成就したその恋の感想は「結局女は盲目になるのだな」というつまらない感想しか生まれずに、その関係は8年という歳月を清算しないまま3か月もたたずに終わった。
結局のところ何が言いたいかと書くなら、なんとなく昔を思い出して、女という生き物が嫌いで、それゆえに道具でしかなくて、干支も3周した僕にとっては人生に必要のない物になっていたのだなと実感したというお話である。
了