トイレトレーニングの遅れと違和感から判明した5歳児の脊椎脂肪腫。
これは長い上に重い話となりますので、オススメはしません(笑)ただ、ネットの情報が少ない案件だと思ったもので、どこかで同じ症例に苦しむ方の参考のひとつにでもなればと考えまして、ひっそりとお話を残しておきます。
私が1ヶ月活動をお休みするのは5歳息子の手術と術後の入院の為です。病名は「二分脊椎による脊椎脂肪腫」症状は、脊椎が二つに分かれその先に脂肪腫というものが出来ていまして、神経を引っ張っている状態です。これにより下肢の機能に何らかの障害が起こる事があるんですね。息子は排便障害の疑いがありました。
判明に至るまでに私が見逃したサインは、育児によくある「オムツが取れるの遅いな~」です。どうしてもう少し早く気付くことが出来なかったのかと己を責めましたが、これには長い長い経緯があります。もし、同じ様な道を辿っている方がどこかにいたなら、どうか私の失態を踏み台にして早く気づいてあげて欲しいと切に願っています。
元々息子には生まれつき疾患がありました。
生まれた翌日に「心臓に穴が空いている」と医師から告げられました。「心室中隔欠損」と言いまして100人に1人程の確率で現れる心疾患のひとつです。そう考えると割と確率高いですね。私も子が患うまで知らなかったんですけれど。
成長と共に穴が塞がる子も多いのですが、大抵は2~3mm程なのに我が子は新生児にして7mm。大きすぎる為にまず塞がらないだろうと言われた通り、5年経っても塞がる事はありません。そして私は以前別記事にも書きましたが、息子を産む前に3回連続で流産を経験しています。いずれも心拍停止。その後4度目に命を繋いで産まれた息子の心臓に異常があると告げられた時、その経験からかどこか覚悟もありました。正直私にとってはお腹で40週持ちこたえ、産まれてきてくれただけで奇跡の子です。
さて、そんな奇跡の息子は生後2日で産院から救急車で医療センターへ運ばれNICUに入り私も追いかけ転院しましたから、今回は5年ぶり2度目の入院となる訳です。幸い食いしん坊だった子は母乳も飲め発育も悪くなかったので10日程で退院し、朝晩の投薬と冬場は命に関わるRSへの感染を防ぐ為のシナジス筋肉注射を月に1回。あとは定期的に診察を受ける経過観察を2歳まで続ける事だけとなりました。週に2回が2週に1回になり、月1回になり、2ヶ月に1回になりと、少しずつ診察の回数も伸びてゆき……3歳からは年に1回検査と診察を受けるまでに成長した。いずれ手術は必要になるかもしれないが日常生活を普通に過ごせるようになったのだと、私はすっかり油断していたのです。まさか心臓ではない箇所を先に開く事になるとは、全く予想もしていなかった。
実は先に述べた流産の経緯から、私は息子妊娠中は専門医に通い、通常より多くの検診を受けています。連続流産には「不育症」という診断がつくんですよね。不妊に比べたらまだまだ認知度が低いです。確たる治療法もなくただ、次にダメだった時は直ぐに検査が出来るからという理由で、週に1度往復3時間かけて検診に通いました。安定期に入るまで……既に上の娘は年中児、これまでと違って悟られたらショックだろうと気づかれない様に細心の注意を払いつつ、毎日「いつダメになるのか」の感情と戦う妊娠期間。そこを経て出産後も心配尽きぬ通院の日々、息子が3歳になった時……最初の流産から七年、精神的にギリギリの状態だった私は解放感から気を抜いたのです。更には情けない事に、上の子を産んで2年程これまた育児ノイローゼ気味でしたから九年……それはもう必死で己が生きて子を生かしてきました。身体も心も疲れきっていて、立ち直る為に何かをしたかった……少しだけ、少しだけ自分の好きな事してもいいかなと趣味に気を取られたんです。
これがなかったら、あと1年……息子の違和感を早く見抜けただろうか? いや、その前に私が精神的に潰れたかな……と、過ぎた事を悔やんでも仕方が無いのですがやはり多少の後悔は頭を過ぎります。
さてそんな懺悔をこぼし、本筋に戻ります。
この経緯をもって私の感じた違和感「オムツが取れるの遅いなあ……」の、いわゆるトイレトレーニング問題に繋がります。
息子は全ての発達が人より遅めでした。
首すわりが3ヶ月遅れ、歩くのが半年、お喋りは1年……少しずつ少しずつ平均より間隔は開いてゆく。それでも最終的には何とかなるんですよね。全て「人よりゆっくりめなだけ」だと、困るまでには至らない。
そして発育に関しては問題なく、大きくはなくとも発育曲線からはみ出す事なく育ちました。逆に6歳上の娘は健康体であれども常に食べず、育たず、曲線をはみ出し私をハラハラさせたものでした。
だから、トイレトレーニングについても「遅いだけ」だと考えていましたし、相談を持ちかけたかかりつけ医の先生も、よくある事だと疑わなかった。おねしょなんて小学生になってもする子はしますしね、よく聞く話、よくある話……その考えもまた私の判断力を鈍らせました。
根本的な考え方が間違っていたのです。
身体的な機能障害の可能性を失念していた。
不思議な事におしっこの方は4歳あたりで失敗が減っていきます。何せ遊びに夢中になればトイレなんて行きたがらないのが子供です(笑)これまた小学生2年まで失敗していた上の子がいますので(これ書いたら怒られそうだから内緒で)、まあそんなもんかな……程度の認識しか私にはなかった。困る時にはオムツしておけばいいや~夜もそれなら乗り切れるし、いつか終わるよね、と。いかにも楽観的な考え方で過ごしていきました。私はその時趣味に夢中だった、そして長い絶望の日々を越え生きた我が子を手に入れた安堵感もあった。全てが油断から始まっていた事は否めません。
4歳頃1度園から指導が入ります。
「1度受診した方がいいのでは?」と。
ここまでおもらしをしても気にならない子は珍しい……特に排便には違和感がありますと、ここで私は医師に相談してもいいんだと知るんですね。いや……なんかこう、トイレトレーニングやおもらしの問題って小児科でわざわざ受診して聞いていいものかさっぱり分からなかったのですよ。熱がある訳でも不調でもなく、しかも赤ちゃんの育児相談でもないでしょ。三歳児健診も終わっちゃって、誰に相談していいのか……もう時期を待つしかないと考えていたのです。幸いというかなんというか、息子はこれまた風邪を引きやすい体質です。喘息傾向もありまして、気圧や気温の変化に弱く、鼻水や咳で夜中に吐く事も多かった。そりゃもう薬を切らすと悲劇なんで、しょっちゅう小児科に出向いています。病状重い時はトイレの悩みを話す余裕がないのですが、お薬貰う多少鼻水が出た機会を狙って先生に相談してみました。
……でもね。
ここでは「良くあること」であり「いふん症」であると診断されるんです。便秘気味に近い診断ですね。上手く排便できないのだから、この時点での先生の診断は適切だったのだろうと思います。便を柔らかくする薬や漢方薬など頂いて時を待つ……という形となりました。
だから私はまた「待ち」の体制に入る訳ですが、ここから先がキツかった。おもらしをする子の親の悩みの何が辛いって、やはり片付けですよね。これで少しずつ病んでゆく人も多いらしいです。勿論私もです。しかも息子はおしっこじゃないんですよね……毎回毎回漏らされて、時にトイレ中汚されて、予想もつかない排便のタイミング。この年で四六時中オムツは流石に無理がある。どうしてこの子は漏らしても平気なの? それすら教えてくれないの? わざとなの? 少しずつ少しずつ苛立ちと負担が石のように積もってゆく。叱っても仕方がない……そんなの分かっていてもどうにもならないやるせなさ。これは経験した者にしか分からないかもしれません。最後に残る醜い自分への後悔、なんて酷い親なんだろうと後悔に泣くまでワンセットです。1日何度も何度も漏らされた日は自分でも思い出せない程精神状態はグラグラでした。仕事も増えてきて、趣味の世界でもやりたい事が次々と出来てきた。通常ならもうそろそろ手が離れ自由になる時間もあるだろうに、私にはそれがない。成すべき事を阻むかの様な息子の発達の遅れ。既にトイレトレーニングは平均より2年……3年遅れようとしているなんて、いくらなんでも遅すぎると。
もう精神的にキツイ、先生何とかなりませんか、私ダメだと分かっていてもこの子を叱り飛ばしてしまうんです……そう、かかりつけ医に泣きつきました。正直に。
先生はおもらしの治らない子のお母さんは大抵同じ事を言うと……あなたの気持ちを汲み取って一度総合病院を紹介しようと応えてくれました。まだ私も先生もこの時点では「時を待つ」為の母親のメンタルケアを重視する方針だったのです。
でもその数日後。
私は決定的な一言を息子から聞く事となります。
いつもの様にうんちを漏らされて、疲れきった私は「どうしてトイレに行かないの!」と言ったんです。すると叱られた息子は「くさくなったらトイレにいくんだよね?」と答えた。
衝撃的でした。
目の前に稲光が光りましたね。
「ああ……」と。
お分かりでしょうか?
つまり息子は排便の予兆も感覚も身体で感じていなかったのです。臭いで判別していた。出しても気づかない理由はこれかと。だからこそ排便前にトイレに行くなんて出来る筈がなかったのです。悪いのは彼じゃない。母として観察力も洞察力も追いつかなかった私なのです。
そして……その仮説をもって息子のお尻を洗い流していた時、私はもう1つの可能性を思い出します。彼のおしりの上、そこに生まれつき出来ていた「くぼみ」についてです。
これまた心臓病の判明より数日後新生児の際、退院間際に告げられた事だったのですが、臀部近くにある皮膚の陥没は先天性皮膚洞(ディンプル)という症状。一応成長したら時期をみてMRIを撮った方がいい……そう言われていました。そんな話をすっかり忘れていた。ここはお尻の上、もしかしてこのくぼみの奥に原因があるのではないかと。突拍子もない仮説かもと思いつつ、次の受診でかかりつけの小児科医に相談してみたんです。
すると「それを知っていたら話は別だ」と言われます。ここで私は先生に情報を渡し損ねていた事に気づくのです。お腹をめくったり背中を見せたり……何年も診察を受けておきながら、臀部まで見せた事はなかったのですよね。なんて迂闊だったのだろう私。
息子のくぼみを診察した先生は速攻紹介状を作って下さいました。そして医療センターでMRI検査を受けた結果、脊髄に異常が発見されたのです。
二分脊椎と脊椎脂肪腫。
これは症状がない人もいます。心臓の心室中隔欠損も同じですが……そのまま日常を送れる場合も多いので、大切なのは症状が出ているのかどうかを判断する為の「観察」だったのです。私が至らなかったのはここに尽きる。
特に乳児期は判断がつきにくいので、話せるようになってきた幼児期が重要だった。発見は早いに越したことはないのに、いくら言葉の遅れがあるとはいえ……もっともっと子供と丁寧に話をして、聞いていたら私は気づけたのではないかと考えるのです。
「もう産まれて五年経ってしまった」
息子に診断が下った日の脳神経外科医の言葉が脳裏から離れない。一刻を争う手術ではないのです。命に別状があるものでもない。それでも、早ければ早いに越したことはない。
私はその場で即手術に同意をしましたが、その時11月。クリスマス、年末年始、そして1月の末にある息子が楽しみにしている「作品展」これを終えてから、手術したいと同時に考えました。速返答した私に医師も面食らっていましたけれど、選択肢はどう考えても一つでしょう。
この手術は確実に治る保障の無いものです。改善の確率は四割。この先悪くならない為のものなのです。脊髄の癒着をできる限り除いても、もう伸びてしまった神経は戻らない。再び癒着が起こる事も想定される。この先下肢にどんな影響が現れるのか分からない。それでも成長する前に少しでも癒着を脂肪腫を取り除かなければなりません。
7時間はかかる手術、そして術後2週間の入院。申告を受けた際、一言も嘆かず泣きもせず一気に春までのスケジュールを組み立て、なるべく仕事にも趣味にも影響がないようにと考えた自分を心底冷たい人間だと思いました。私は子どもの一大事に自分のやりたい事もまた、譲れないのです。それでも手術と入院期間はひたすら息子にだけに向き合おうと決めました。
以前上の子の育児の際、子どもだけに集中し自分の楽しみを一切諦めた私は育児ノイローゼになりました。辛く苦しく、毎日が泥のように重かった。そのせいか子どもを可愛く思う余裕もなかった。だからこそ今度は自分の楽しみも作りつつ、肩を張らずに育児をしようと考えました。その甲斐あってか、二度目の育児は楽しく、子どもたちを可愛く思って過ごせたのです。けれどもその息抜きの趣味や仕事に気持ちを注ぎ過ぎた事は否めません。いつしか子どもたちと遊ぶ時間より作業を優先させる様になってしまった。私はどうにもバランスの悪い人間です。何事も程々……が苦手なんですよね。
そのあたりを反省しつつ、子育ての幸福を手に入れられた有り難さを、自分は今一度心に刻まなくてはなりません。人の一生はその言葉の通り一度きり。時は等しく誰の上にも降り積もる……私にも子ども達にも。
私が今目指すのは「あなた達の為に諦めた」と子どもに言わない人生です。「あなた達がいたからこそ全てを諦めず過ごせた」最期の時に自分の元に産まれてくれた子どもたちに、心から感謝できる人生を過ごしたい。お母さんいつも辛そうだったなんて絶対に思わせない。いつも楽しそうな人だった……己の母がそうであった様に、そう思って欲しい。
この二年で私の母もまた血を吐き倒れ、胃がんの手術と、昨年末には乳がんの手術を受けました。それでも母は変わらず私たちに楽しい行事を企て、孫のプレゼントを買い、そして自分も美味しいものを探し歩き、旅に出ています。ある意味とても強い人です。まあ、子供の頃から長女である私には厳しくそのあたりを恨んだりもしましたが、今は懐かしいだけ(笑)
どうにもならない事は誰にでもあります。ならば負に囚われずプラスを見つめて増やせばいい。等しき人生の比率は己の心の持ちようひとつですよね。
一時期先の見えない不安な日々に、私は検索魔になりまして……そりゃあもうネットで調べまくったものです。新生児期と連続で流産した時期、どこかに同じ事に悩む人はいないかと、その人はどうしたのだろうかと。
今はもう、その様な検索をする時間もないので、全くネットで調べなかった事も今回の病状を見抜く事が遅れた要因でもありますが……
そんな訳で、己の恥をここにひっそり綴っておきます。どこかで検索して私もだと、もしかしてと、でもこうすれば検査できるのね、相談できるのね……の、参考にして頂けたら幸いです。
生活できるけれども、この子は育てにくいの。はっきりと病気って訳じゃないけど、苦しいの……そんな時は、自分の違和感をとことん突き詰めて相談してみて下さい。それを先延ばしにしても私はあまりいい結果にはなりませんでした。この先で償っていく予定です。
ひとまずは、入院日までにインフルエンザにかからせない事と、少しでも楽しく過ごさせてあげる事でしょうかね。とは言え全てのわがままを聞く訳にはいかないので、適度に叱りつつ。そして弟が産まれてから実に頑張ってくれた娘の気持ちも考えなくては……そんな当たり前の事を今更ですが痛感しております。
情けなくも至らない母親の一人語りですが……どうかこれを読んだあなたのお力に、少しでもなれますようにと祈りを込めて。
2020.02.21
しまねこ拝