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共感させてもらえない映画:『もののけ姫』

みなさま。お久しぶりです。

今さっき、noteを開いたら「はじめて1ヶ月記念のバッジ」をいただきました......。自他共に認める三日坊主であるように、1ヶ月ほとんど更新していません。自分の怠惰というか、続けられない性が嫌になります。

まぁ、締め切りがあるわけじゃないし気軽に続けようと思います。

ちょっとでもクスッと笑えたり、ツッコミたくなったりしたら是非是非コメントしてください。お友達欲しいです。

***

はい。ということで、今回ははじめて映画について書いてみようと思います。

私自身、多くの映画を見てきたわけではないのですが、見終わって「こんなもんか」という感想を抱くことが多いです(どの口が言う)。

自分でツッコンでおきましたが、一人っ子で培われた妄想脳で予告を見てから展開とかを想像しちゃうんでしょうね。

この自粛期間でNetflixに加入していたこともあり、色々映画を見よう!と試みました。

そして、緊急事態宣言が明け映画館の営業が再開されるニュースと共に「ジブリを映画館で」という記事が流れてきました。

私の中で<映画館で映画をみる=叔母に連れて行ってもらったジブリ映画>でした。叔母がジブリ作品が好きで(私のためを思って連れて行ってくれていたのかも?)、地元のイオンシネマに手を繋いで連れて行ってもらった記憶が色濃く残っています。

なんだか、これは絶対に「ジブリを映画館」で見なくては、と直感で思いました。

バイト終わりの金曜日、フラッと雨の新宿に途中下車してゴジラがいるあの映画館へ向かいました。三重から上京してきて、3回目の東京の映画館。「相変わらずチケット高いな」と思いながら『もののけ姫』大学生1枚を選択。

地元の映画館だと学割で1000円なんです。ちなみにスシローは1皿100円。東京は1皿110円だったのは本当に衝撃でした。東京の物価、いと高し......。

というか、値段はさておき、私にとってもっと重大なことが!

そ・れ・は・・・

初ひとり映画なのです!!!!!!

めっちゃ緊張した......。ひとりっ子のくせに(せいで?)とてつもなく寂しがりやなので、ひとり〇〇はほぼできない人間なのですが、ここにきていきなりのひとり映画。レベル飛び級しすぎ!と思いながらも、「ジブリを見なきゃ」という衝動が勝ちました。

おトイレを済まして、ひとりで半券を握りしめ、「ひとり映画には慣れていますよ」風に係りの人にチケットを渡したら、「まだこの会場は準備中です」と言われ撃沈。恥ずかしかった......。

なんとか気をとりなおして着席。まだ緊張していたから浅めに背もつけずに座わりました。

周りを見渡すと、案外ひとりで来ている方が多くて、ほっと胸をなでおろしました。それからやっと背もたれに深く腰掛けて、雨がしゅんだ靴も脱がせていただいて(お行儀悪くてごめんなさい)。

大好きな予告編が始まり、これまた大好きな「映画泥棒」を見て、いよいよ『もののけ姫』が始まりました。

『もののけ姫』が公開された1997年に、私はまだ生まれてもおらず、細かいあらすじも覚えていませんでした。意外と腕が切り落とされたり、首がはねられたりとショッキングなシーンが続いて、「おおっ、かなりグロテスク」と思いました。

細い内容はネタバレということで割愛しますが、見終わったあとの感想は「宮崎駿は日本の宝」でした。

***

とにかく、余韻がすごかった。あんな高揚感、ここ最近で味わったことがない。その興奮は、映画館を出て一層強くなった雨に濡れても全然冷めなかった。

何がすごいって、あんなにグロテスクな生々しいシーンもあったはずなのに、最終的な感想が「美しかった」しか残らなかった。

景色が、人が、動物が、音楽が、全てが美しかった。

『もののけ姫』を見ながら泣いたけれど、その涙は悲しいとか悔しいという感情が揺すぶられて流れたものではなかった。あまりに美しいものを見て、意図せず泣いているという。声が震えたり鼻水が流れたりする感覚がないまま、目から涙が流れているだけだった。もしかしたら、美しすぎて目を閉じる隙がなくてドライアイになって涙が出たのかなと思うくらいだった。

この悲しいとか悔しいを感じさせないのが、この映画のすごい点だった。

宮崎駿は、私たち観客がスクリーンの中に入ることを一歩も許さなかった。

本当にすごいつくり方だなと思ったのが、アシタカがハッと目を見開くカットの次に、森の風景が360度うつるシーンになった。このカット割りの流れだと、360度の風景はアシタカが見ている先の風景だと思わない?「あー、いまアシタカの目にはこんな美しい風景が見えているんだな」と思って見ていたら、その風景の左端からアシタカがフレームインしてくる。

驚き桃の木。すごくない??

これってつまり、その風景はアシタカの目線じゃないのよ。私たち観客の目線でしかないの。

宮崎駿から「アシタカがどんな景色を見たか、そしてその景色を見てどう感じたかなんて、君達観客に分かるわけないよ。分からせないよ」と言われている気がした。

私たちは勝手に人の気持ちになり代わってしまいがち。確かに相手の気持ちを思いやる想像力は大事だけれど、結局想像しかできなくて、いつも誤差があって、相手の気持ちを一語一句言い当てることも代弁できることもできないことに改めて気づかされる。

「映画」・「フィクション」・「アニメーション」というジブリ作品の中で登場人物の気持ちになることなんて不可能だし、そうすることは正しい鑑賞の仕方でないことをガツンと教えられた気がした。

私たちはスクリーンの前に深く腰掛けて、ポップコーン食べている「観客」でしかないのだ。

だから、どんなに妄想したって想像したって登場人物には成り代われない。

そんなことはしてはいけない。

映画に入り込んで、登場人物に共感して、泣いたり怒ったりするんじゃなくて、「座っているお前らはこの映画を見て、どんなことを感じたのか、お前がどう思ったのか。それを考えろよ!」と脳内でちっちゃい宮崎駿にガンガン怒られた。

共感させないという点で共通していて、もう一つすごい魅せ方だと思ったのが、この映画に敵と味方がいないことだった。

『もののけ姫』は人間と動物(自然・神)との戦争の物語だから、良い者と悪者をつくって、悪者を圧倒的に悪く見せて観客に敵だと思い込ませ、良い方(大抵主人公)側の味方につけるのがふつうだと思う。

けれど、『もののけ姫』にはそのつくり手の意図が全く見えなかった。

どの登場人物にも、良いところと悪いところが等しく描かれていた。

例えば、もののけ姫の敵であるエボシは、鉄砲をつくるために木々を伐採しそこに住んでいた動物(もののけたち)を次々に殺す。

けれど、エボシが雇っているのは娼婦として売られていた女たちで、エボシは何人もの労働者を養い、そして自分自身、人間が生きていくためには森を敵にする必要があった。

もののけ側も人間からの攻撃に立ち向かって、実際何人もの人間を殺している。でも、それも森を守るために必要だった。

こんなの、どっちも悪いし、そしてどちらも悪くない。

唯一私が感じたとったのは、その憤りだけだった。

その憤りは、もののけ姫も、アシタカも、エボシも、もののけ達だって、人間だって、全員が感じていた。

その登場人物の気持ちをはじめて共感させようと、分らせようしたのが、最後のエンドロールだった。

声の出演者と制作陣の名前だけが流れるエンドロールで、どうなってこの登場人物の心情に共感したか。それは音楽だった。

映画を見ながらは、ただその映像の美しさに涙したが、エンドロールではじめて登場人物の心の苦しさがひしひしと伝わってきて共感して悲しくなって苛立って泣いた。

本当に不思議な体験だった。

最後のエンドロールで流れたのはオーケストラ調で演奏されていて歌詞もないのだけれど、自分が生きるために何かが死ななければならない。それが決して正しい道ではないとわかってはいるけれど、他の道もなく進むしかない。そのどうしようもなさ。それが痛いほど伝わってきた。

そして音楽が変化するのと同時に、その音楽が表しているであろう場面が脳裏に巻き戻ってきた。

ドラムが徐々に大きくなって、シンバルの音で一気にテンポがあがるところでは、戦いにいくもののけたちの我を忘れた場面が蘇ってきたし、鉄琴やフルートで静かにもの悲しい曲調に変われば、共に生きていたものが亡くなった悲しみを噛み締めるシーンがはフラッシュバックした。

映像自体でも、魅せ方でも、音楽でも、全てが訴えかけてくる、フィクションなんだけど、これはドキュメントなんだなと感じさせる作品だった。

きっと宮崎駿の目には、森がああいう風に見えていて、月夜がああいう風に見えているだなって思った。

彼はこれをつくったのではなくて、記録しただけな気がする。

だから、それを見た私たちはキャラクターがどう思ったか、作者が何を伝えたいのかの正解を見つけるために考えるんじゃなくて、私自身がどう思ったかを考える必要があると思った。

そういう作品をつくっちゃう宮崎駿。凄すぎる。映画やアニメーションのあり方を覆しまくってる。

「こんなもんか」なんて、微塵も思わなかった。

公開されているあと3作品。

どれも見に行こうと思います。

1人映画も慣れるもん。

***


P.S.

ジブリ作品は女の子が主人公なことが多いですよね!

今回の『もののけ姫』でも、最後にサン(もののけ姫)が「アシタカのことは好き。でも人間のことは許せない」っていうんです。

この一言。かっこよすぎません?

好きであることも許せないこともハッキリと伝える。

サンの中で、アシタカ=人間じゃなくて、アシタカはアシタカ。人間は人間。好きは好き。許せないは許せない。

全部自分の気持ちを理解できていて、かつそれをハッキリと伝えられる強さ。

ジブリが描く女の子の強さをお手本にしたいなと思いました。



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