モモを久しぶりに読む〜時間ってなんだろう〜
今日はなぜだかわからないけど、ひさびさに、エンデのモモを読みたくなった。
モモのページをパラパラめくっていた。
だいぶ前に読んだから、細かいところまで覚えていなかったけど、いま読むと、こんなシーンあったんだ、と驚いた。
どこにもない家にいる、時間をつかさどるマイスターホラ(hourの賢者)はモモに語る
ろうそくは燃えると光になる
音を聞くために耳があるように
光を見るために目があるように
時間を感じとるために心がある
心を感じとれなければ、時間はないも同じ。
心臓の音、それが時間。
心臓がいつか鼓動をやめてしまったら、時間はおしまいになる。
おまえの生きた昼夜と年月すべての時間をさかのぼって、人生を逆にもどっていって、ずっとまえにくぐった人生への銀の門にさいごにたどりつく。
そしてその門をこんどはまた出ていく。
そのむこうは、あの音楽が出てくるところだ。でもこんどは、おまえもその音楽にくわわる。
そして、マイスターホラとモモは、時間のみなもとを見に行く。
大きな丸天井の真ん中にあいた丸い穴から、光の柱がまっすぐ下におりていてそのましたには、まるい大きな鏡のような黒い池。
水面近くには、大きな星の振り子
水面からのびる大きな花のつぼみ
振り子が遠ざかるにつれて花はしおれはじめる。
振り子が池の真ん中に来ると花は散りつくし、また別の場所に、つぼみが浮かび上がる。花は次から次へと咲いては散る。
先ほどの光の柱は、光だけでなく、音も聞こえる。宇宙の音楽。星々の声。
太陽と月とあらゆる惑星と恒星が、自分たちのほんとうの名前をつげていることば。
そして、それらの名前こそ、〈時間の花〉のひとつひとつを誕生させ、ふたたび消えさらせるために、星々が何をしているのか、どのように力をおよぼしあっているのかを、知る鍵となっている。
モモは、星が話してくれたことを友だちに話していいか、マイスターホラに聞く。
話していいが、できないだろう、待つことができないといけない、とマイスターホラ。
地球が太陽をひとめぐりするあいだ、土の中で眠って芽を出す日を待っている種のように待つことだ、ことばがおまえのなかで熟しきるまでに、それくらい長いときがひつようなのだ。
モモは風変わりな女の子で、モモに話を聞いてもらうと、みんなじしんをとりもどせたりする。
モモは、宇宙の音楽をききとり、星々の声に耳をかたむけることができる。
時間がない、ひまがないと言わせる、灰色の時間泥棒たちから、時間をとりもどし、みんなに時間とは何か、ほんとうに生きるとは何かをおしえてくれる。
あらためて読むとすごい。
宇宙の音楽、星々の声のシーンは、まるでうまれてきたときの私たちのホロスコープの天体がわたしたちに語る音楽だ。
それはどんな音楽なんだろう?
私たちの心臓が時計だとしたら、誰かや何かと、出会って時がはじまり、時がとまったように感じたり、また動きはじめる、その音を感じとっているだろうか。
時間が早いと感じるとき、きっと心で感じることをやめているのかもしれない、こころをなくすこと、忙しいということだから。
エンデのイマジネーションがすごすぎる、いまあらためて読んで思った!
ホロスコープのことも書いてあったんだなぁ。
こうやって、また、同じ本を読み返すと全く違ってみえるから、おもしろい。
はてしない物語も大好きだったけど、また読んでみようか。
今日、モモを読めて良かったな。
あぁ、そうだ、最近壁掛け時計を街であまりみない、って話をこの前聞いて、なんでかな、って思ったから、なんかモモを思い出したんだ。
今日もよい時間を◯