歌うということ~自分を見つめ解放せよ
楽器店の音楽教室で声楽のレッスンに通い初めて丁度一年たった。歌うことは子供の頃から好きだったし、大学では合唱サークルで4年間、ストイックに美しいハーモニーを追いかけていた。卒業してからは、長らく離れてしまったけれど、それがこんな風に個人レッスンを受けることになったのは、やはり春馬君がきっかけだ。あの頃、春馬君のことを考えて、無性に音楽、特に歌がやりたいと思った。ジャズとかゴスペルとか、ポップスでも、何か新しいことをやってもいいと思って参加した体験レッスン。最初に参加したのがたまたま声楽だった。それが、楽しくって、、。すぐに入会を決めた。
はじめの数回は発声練習のみ、それからコンコーネ50番をやるようになった。これだけでも十分楽しかった。何より学生時代に憧れていた個人レッスンを受けていることに満足していた。でも、夏になって「そろそろイタリア歌曲をやってみませんか?」と言われたときは、思わず笑みがこぼれた。嬉しかった。そして実際に歌ってみると、やっぱり歌詞が付くと気持ちの入り具合が全然違うんだと思った。歌を歌っている、思いを伝えようとしている、という感覚がより強く感じられた。
初めての曲は「Caro mio ben(カーロミオベン)」。音楽の教科書に載っていたのかな、とても有名で、よく知っている曲。ただ、私が持っていたイメージは、弾むような元気な曲。しかし実際は「愛しい女よ」という意味の、とても切ない愛の歌だった。だから、すごく柔らかく、繊細に歌うのが本来の姿。イタリア語の意味や発音や歌い方を教えていただき、その辺を意識して歌うようにしたら、全然違う曲に聞こえた。この曲の世界をわかろう、自分のことのように感じて、その思いを伝えようと思って、歌詞の意味を一語一語調べたり、発音や歌い方を考えながら何度も練習をした。短い曲だけれど、一つの曲にこんなに時間をかけて、こんなに丁寧に、音楽を作ろうとしたことってなかったな、と思う。曲の世界に没頭して全身で表現する感じが楽しかった。
そして、この曲を始めてから3回目のレッスンの本日、先生からOKを頂き、初めての曲が仕上がりとなった。取り組み姿勢や声質を褒めて頂き、自分の曲にしている、と言って頂けたのが嬉しかった。でも、録音を聞いたら、、線が細いなぁ。もっと厚みのある声が欲しいと思った。これは体づくりからかな、と思った。こんなふうに欲が出てきたというのはいいことかな。
私は歌う春馬君がとても好きだ。力をつけようとしていた春馬君の姿勢が好きだ。春馬君の歌の先生によると「春馬君は予習復習は完璧だった」らしい。この記述がとても印象に残っている。私も、この新たな習い事において、そうありたいと思った。だから、練習記録用のノートとして、お気に入りのRollbahnのオフホワイトの表紙のものを用意し「声のノート」と命名した。ここに私の歩みを残そうと思った。でも結局のところ、歌のレッスン内で起きたことは、イメージを伝えあうような要素が多く文字に書き残すのが難しかったり、時間が無かったり、億劫になったてしまったりで、その志は、わずか5回程度で終わってしまった。今は、レッスンの録音と楽譜へのメモで対応しているし、これでよいと思っている。一方、「声のノート」に書いた感想は、今読み直すとなかなか興味深い。特に、冒頭に書いた初心は、ときどき立ち返りたい内容だった。
<声のノート 2020.9.14スタート 春馬君の死に接して私の中で何かを「表現したい」という気持ちがとても高まった。声を使って伝えること、感情を表出すること、思いを込めること、そういうことをやりたい。歌とか、朗読とか、両方だな。自分を表現する手段として、この声を活かしたいな、伸ばしたいな。ストイックな彼を真似て、意識的に取り組もうと思う。ここに記録していこう。表現者としての自分との出会いを。
このノートには声に関することを色々と書いていくつもり。昨年受講したワークショップのことも書かないとネ。そして、このところちょっと押さえていた、自分を出す、表現する、自分の考えを自分の言葉で言う、ことに再度、意識的に取り組みたい。>
初めの頃、歌のレッスンをしているときの春馬君の気持ちをよく想像した。私もそうだけど、レッスン室の壁の向こうに心の目は行っていたんじゃないかな、そこにどんな景色を見ていたのかな、とか。今は、あまり春馬君と重ね合わせることはしないけれど、小さなレッスン室で、ひたすら美しい響きを探すこと、その先の広い世界を感じることが楽しくてたまらない。私にとって、今、歌を習うことは、自分を解放することでもあるかな、と感じている。もっと感受性豊かに。もっと発して。生きているんだから。
次に取り組む曲は「Sento nel core(私は心に感じる)」という曲。これはどういう心情なのだろう。歌詞はこんな感じ。これは、私の中にも憶えのあるものかな。感じて、考えて、そして表現して。
私は平安をかき乱す苦しみのようなものを心に感じる
魂を燃え立たせる一つの松明が輝く。
もしこれが愛でないとしても、やがて愛になるだろう。
(イタリア歌曲集:全音楽譜出版社より)