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春馬君一周忌を越えて

2021年7月19日(月)の早朝、目覚めてすぐ7月18日(日)の出来事を振り返ってつらつらと書いた日記。ひとりごとです。

春馬君の命日。9:00に追悼サイトがオープン、予想以上にコンテンツがあった。内容は、まだしっかり見れていないが、アミューズでの作品を中心に振り返れる体裁。多すぎず、厳選されたコンテンツなのかな、と思う。

昼から、ドリパスの映画へ。道中、ネットを見るが、春馬君関係の記事がだいぶあがっている。ついに歌の先生のインタビューも。それらをちょっと読んでは涙が出る。記事を見れない、というのはあるんだな、と思う。結局道中は英語の勉強にしてしまう。

12:40~秋葉原で、ゲキ×シネ、続けて16:30~は真夜中を見た。ゲキ×シネは、見ていて楽しくなる作品だ。悲しむとか、惜しむとかいう気持ちではなく、楽しめたと思う。本当に動きがきれい。春馬君だけでなく、他のキャストもみな素晴らしく、楽しい作品だ。最後、吉祥寺で見たときにあった「心九郎(春馬君だったかも?)の笑顔(キラリン)は永遠です・・(だったか?)」という表示がなかった。あれは、吉祥寺仕様だったのかな、あの一言がとても良かった、ぐっときたのだけど。なかったのは少し残念。でも、出たら、悲しくなったから、無くてよかったのかも。。次の上映までの30分で、下のプロントでスイカジュースを一気のみ。おいしい!

そして、真夜中へ。がらりと雰囲気の違う。これはこれは美しい映画。映像がとても。ただ、続けて・・は少しきつかったのか、途中うつらうつら。でもちゃんと見た。この話、双子で生き残ったのがどちらなのか、いつもいつも、自分の中で確信が持てない。今日も途中から、真剣に考えながら見たけれど。ある記事で、春馬君とシーシーさんとで、考えが違ったと、後で分かったと書いていたのを見た。それぞれ、どちらだと思ったんだろうか・・。この映画は、作品も素晴らしいけれど、エンデングローグも見ごたえがある。海外との合作となると、こんなにたくさんの人が介在するんだ、、そこにひたすら感動。そこで、主役を張ったのは若干23歳若者であったことにも、感動。全て終わったら18:4.0頃になっていた。夏の夕方の空。なんとなく空の写真を撮っている人が多いような。私も、この日を秋葉原で過ごした記念に写真を撮った。

帰路、山手線の車中からの夕焼け空があまりに美しく、写真に収めたいと思った。丁度上野だったので途中下車した。久々に上野公園へ。夕方だからか、コロナ禍だからか、いつもと比べて人出が少ない、しかも公園へ逆行。車中でみたときより、少し暗くなったその空を見ながら公園に向かって歩くのは気持ちよかった。何枚か立ち止まって暮れなずんでいく夕空を公園の木と一緒に撮った。春馬君を空と結び付けて考える人が多いけれど、私はあまりそんな風に考えたことはなかった。でも、今日は違った。この夕焼け空の、上空へ向かった少し厚みのある雲のある、そこに彼の存在を感じたような気がした。空を見上げていたいと思った。都内なのに広々とした空を感じられる。そして、少し思い出もある、懐かしさを感じる場所でもある上野公園で、この空を見られてよかったと思う。

噴水のところまで歩いて、そのヘリに座って空を見た。そして、これまで見る専門だった、インスタに初めて投稿した。夕焼け空を1枚あげて「初めての投稿。特別な日に特別な映画を見た帰り、車中から見た空に惹かれて途中下車をしました。普段、この空にいるなんて思わないのだけど、今日はそのひとの存在を感じました。」とコメント。フォローしてくださる方はいないので、自分だけが知るものだけど、投稿できたことが嬉しかった。

そこから立去りながら、頭の中で書いた文章の冒頭「私は孤独な人間だ。仕事で大勢の人と関わっているから、一見そうは見えないかもしれない。でも、実際のところ、私は孤独で、ひとりそっと死んでいくんだろう、ということを知っている。でも、それでいいんじゃないか。誰とも共有していない、ひとりだけの、こうしたひそやかな時間を重ねること、それは、寂しいことに見えるかもしれない、私もそう思っていたこともある。でも、それでいいんじゃないか、と思う。春馬君も孤独な人だったんじゃないかと思う。そんな彼と同じならいいじゃないか、そんなこともふっと思った。」。

春馬君を思う活動、いわゆる春活を、一緒にする人、語る友人がいたら、いいなぁと思うもことがしばしばある。私の場合、母がその一人ではある。この一年、二人の共通の話題はもっぱら春馬君だった。それは良かった。でも、私は母に秘密にしていることが、うんとある。本当にうんと(笑。そんな部分も共有できる人がいたら、楽しいだろうなぁ、私が入手できない情報も手に入れられるかな、なんて思うけど、知り合えればよいけど、(以前の推しのときのように)。なくても、いいかと思う。私はひとりだけど、名前も知らない同じ思いの人が、たくさんいるし、ネット上やドリパスのような会場で、その人たち一緒の時間を過ごせる。そういう機会を持ちながら、ひとり静かに、彼を思うことを、続けられたらいいなぁと思う。そうだな、誕生日と命日は、人知れず、どこかで彼を感じられる日を過ごそう。今は、そう思う。

春馬君の人生を思いながら、上野公園から、駅に向かう道中、孤独な私が、私の生きる世界で、残りの人生をかけてやりたいことを想った。それは、やはり未来ある若者を勇気づけることだなぁ。と思う。彼らが自分で、自分の人生に対して、一歩踏み出す、その背中を押せたらいいなぁと思う。彼らを励まし、勇気づけ、安心を与えられたらいいなぁと思う。そこで感じられる、彼らの成長が私の喜びだ、とつくづく感じた。大学4年の教育実習のとき、「生徒の成長が私の喜びです」と言った、F先生。その時は、高校生の自分から見えていた、その先生のキャラと合わなかったため、からかう気持ちで見てしまった。だからずっと忘れられなかった。教師であれば、言いそうな、ありふれた、くさい、表現に思えたし。けれど、教師になって、本当にそうだな、と思う。これは多くの教師の実感なんだな。今は、腹の底からをそう思っている。それが、私の喜びの源だ。

だから、「大切なことは君が教えてくれた」がとても好きだ。あそこに描かれている、教師として、人として成長していく姿に感動するし、うらやましくも思う。(設定的には突っ込み所満載だけど、そういうのを凌駕するくらいの、まっすぐさがに心動かされる。)若いころ、仕事も恋もちゃんとできてなかったから、頑張ってはいたけど、葛藤していたけど、踏み出せない自分もいたから。この時代をもう一度やってみたい、という気持ちをかき立てくれる作品だ(笑

そして再びの帰路。自宅へ帰ってから、春馬君の記事やSNS上のポストがかなり上がってることを知り、見る。空のポストが多いなぁ。やっぱり、翔平さん、鈴木亮平さんはコメント付きで。そしてJUJUさんは、写真のみで。NHKせかほしのも素敵だった。歌の齊藤先生のは、まだ一部のみしか読めない。読むのがつらいということはあるんだね。太陽の子の監督のインタビュー記事。撮影背景が見えてよかった。「全力を傾けます」といったとか、役柄の解釈に対するエピソードとか、読み応えがあった。もっともっと、こういう裏話を知りたいなぁと思う。ある舞台女優さんの、キンキーの初日に送った名刺大のメッセージカードを「勉強机のところに貼って、やる気を出している、〇〇ちゃんも頑張ってね、」と1年以上たってのメッセージで言ってきてくれた、といエピソードが印象に残った。こういうふうに人の思いを大切に受け止められること、それを返せること、誠実なところ、私もそうありたいなぁと思った。

あと、印象に残ったのは、以前情報番組でも取り上げられたロシアの方のインスタ投稿。「やりたいと思うことをやること、人生は大切」ということを強く思うと書いていた。「命こそ宝」がキーワードだった、N先生と同じだよね。生き続けることは、不安も多いし、面倒なこともある。でも、生きていることは、それだけで価値のあることだ。そしてたった一度。いつかは終わる。「たった一度の人生だから」・・これは私のキーワードだけど。だから濃く生きたい。

帰宅してから、夕飯を食べながら、TWO WEEKSを見ていた。やっぱりこの時期の春馬君はかっこいいなぁ。この後が見たかったなあ・・と思うけど、それは思わないようにしないと。
それにしても、映画一気に6時間は、さすがに疲れた。12:00過ぎにはバタンキュー(古い・・)。
そして、目覚めた、翌19日の早朝。起きてすぐ、春馬君のことを想った。そしてここに書いたような、多くの人の反応を反芻した。命日の反応は、私が思っていた以上に大きかった。私自身またまた、哀しい気持ちがよみがえったし、泣いた。記事が読めないということも体感した。そもそも、追悼サイトのコンテンツを全ては見れていない。それに関するSNS上でのコメントも。そのSNS上の人々の反応も色々。でも、いずれにしても、みんなこうして、18日を乗り越えたのかな、と朝イチで思った。それで、この日記をすぐに書きたいと思った。そして書いた次第です。

最後に追記。
世の中にはたくさんの真理があるけれど、「死んだ者が生き返らない」こそ、絶対的な真理だと思う。これまで、頭のどこか片隅で、春馬君が実は生きている、ということを期待していた。でも、一周忌を迎えるにあたり、やはり本当に亡くなったのだな、もう戻らないのだな、ということが分かってきたという感覚だ。この喪失感、むなしさ、そういうものとどう付き合うか、彼を思う多くの人、それぞれの課題なんだろうな。

彼を思うとき、彼のようにきれいに生きたい、と思う。でも、それは無理、ともすぐにわかる。それでも、自分なりに「自分の人生に真摯」に生きられたらなぁと思う。そう、命ある限り、ちゃんと生きていこう。

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