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岡山県猿神村奇譚(第2話)

 「こう平和が続くと、俺の早打ちの腕前もなまっちまってしょうがねえな。拳銃の手入れでもするか。」
 真備交番の吉岡秀高巡査がひとりごちた。
 吉岡は警察学校を出てすぐに、地元岡山県真備町の交番に配属された。
 真備交番の管轄で過去に起こった大きな出来事といえば2018年に起こった西日本豪雨である。
 年間降水量が少なく「晴れの国」として知られている岡山だが、西日本豪雨災害で最も多い死者を出し未曽有の被害を被った真備町は、実は過去において幾度となく小田川堤が決壊し、そのたびに家屋倒壊などの被害が起きていた。
 当時は吉岡の実家も泥海に沈んだが、幸い両親は堤が決壊したとき真備町におらず、自宅を留守にしていたため無事だった。吉岡はというと、このときはまだ警察学校の学生だったから東京でアパート暮らしをしていたので、故郷の悲劇をニュース速報で知った。
 2021年4月より真備交番に勤務してこのかた、交番の管轄地域で事件性の高いトラブルは一例も起きていない。
 当番にあたる日は朝6時に起床後、同居の母と庭でラジオ体操を行う。油揚げの味噌汁に納豆と白飯の朝食を摂って自転車で交番に向かう。昼は交番の向かいにある手作りパンの店「ルパンのパン」で和牛カレーパンを買ってきたら、自腹で購入し交番に設置したデロンギ社のコーヒーメーカーで淹れたキリマンジャロコーヒーとともに食す。優雅に思われるが当番勤務時間は24時間と長く、彼なりにささやかな贅沢を満喫する至福のひとときがデロンギのコーヒータイムなのだった。
 当番翌日の休日は終日自室にこもり、お気に入りの刑事ドラマ「西部警察」のDVDをランダムに視聴するのを秘かな愉しみとしていた。劇中の渡哲也扮する大門に自らを重ねて鬱屈としたフラストレーションを消化していた。
 平和なのは幸いだが有事の際のことを念頭に入れ、普段は使わない拳銃の手入れを怠りなく行っておかねばならない。
 ガチャン。
 ホルスターから抜いたニューナンブM60 をおもむろにテーブルに置いて、さあお手入れを開始しようというタイミングで、若い男が駆け込んで来るなり床に倒れ込んだ。
 「火!燃えてる!燃えてる!」
 火事なら消防署に連絡すべきじゃないかなあ・・・いぶかしく思いつつ助け起こして改めて訊いた。
 「何が燃えているんです?家ですか?車ですか?」
 「ひー、ひー!」
 狼狽が激しく言葉を発することが出来ない。
 「お水お持ちしましょうか?」
 立ち上がろうとすると、男は吉岡の体にすがりつき叫んだ。
 「人が燃えながら走ってる!」

 吉岡は現場に辿り着くとすぐに黒山の人だかりと化したやじ馬の整理担当に回された。
 現場はスーパーマーケット天満屋ハピータウン真備店駐車場内で、目撃した人の話によると、70代後半と思われる老婆が車から降りるとガソリンらしき液体を頭から被り、自ら火を点け炎上した状態で駐車している車のはざまをぬうように疾走し倒れこんだという。
 事件発生から30分経過してなお肉の焦げた嫌な臭気が漂っていた。
 検視官とともに炭化した骸と対峙した刑事がボソッとつぶやく声が聞こえてきた。
 「これじゃ、身元確認のしようがないな・・・。」
 やじ馬の中に知った顔を見つけた。向こうも吉岡に気づいて近づいてきた。。高校時代のクラスメイトの藤本つかさだった。
 「吉岡君、ご苦労様。亡くなった人、私知ってるかもしれない。」
 「えっ、誰?」
 「私、店の中の休憩スペースでコーヒー飲んでいたんだけど、駐車場で何か叫んでる人の声が聞こえてきたから覗いてみたの。そうしたら拝み屋さんが・・・。」
 「拝み屋さん?」
 「祈祷師のことなんだけどね。子どもの頃、父に拝み屋に連れて行かれたことがあって。お祓いをしてもらったんだけどそのときの祈祷師さんだと思う。」

 「藤本の実家って猿神村だったっけ・・・先週移住者の人が神隠しに遭ったって大騒ぎになって。俺、山狩りに駆り出されて先週行ってきたところだけど。あの村に拝み屋なんて商売やってる人がいたの?」
 藤本はうなづいて、吉岡の肩越しにそっと骸を覗き込みながらつぶやいた。
 「祈祷を受けた本堂もだけど家の中に猫がたくさんいて・・・猫も2匹とか3匹ならかわいいって思えるんだけど、30匹以上いたかな。大量の猫が家の中から外までびっしりと。中に一匹だけ首輪をつけた子がいて、祈祷の間じゅうチリンチリン鳴らしてうろついてた。あの猫たち、いまどうしているのかしら・・・。」
 吉岡が行方不明者の捜索に駆り出され猿神古墳の山狩りに参加したのは、ちょうど一週間前のことだった。その際、村で猫の姿を一匹も見なかった。
 それはそれで不自然さを感じはした。どこの村でも野良猫の1匹や2匹、普通に見かけるものだが、あの村に猫は皆無だった。
 だが思い出したことがあった。
 猿神古墳の中腹あたりに、120センチほどの高さの石碑が建っていた。地神を祀っているのかと思い近づいて、懐中電灯で照らしながら石に刻まれた文字を確認した。
 「猫塚。」
 チリン。
 鈴の音が聞こえた。
 あたりを見回したが、黙々と草を刈りながら進んでいく村人と警察隊の姿しかない。
 (熊除けの鈴か何かの音か。)
 そう思った吉岡だったが藤本の話を聞いているうちに、鈴の音の主は拝み屋の猫かもしれないと思った。

 
 
 


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