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将来の選択③夢の第一歩?

さて、大学入学後のねこ。と言えば…
バイトに明け暮れる日々だったかなぁ(;´・ω・)

授業態度もけっしていいとは言えない…。
だって実際子どもにかかわるでもないし、何がどう役に立つんじゃい!!って感じだった。
いや、今思えばもっとまじめに授業を聞いて、単位ももっと取って、資格とかもほかに取っておけばよかったなぁなんて後々思うよね。

めちゃんこ不真面目…とは言わないし、めちゃんこまじめな学生とも言わない、そこらへんによくいる大学生がなんで在学中に夢を持てたのか。今回はそんなお話し。

され、大学時代のねこ。の夢を追っていく。

大学卒業と同時に資格取得のできる4年生の保育系の大学へ進学。
バイトは掛け持ちの日々。
保育系の大学って、なんでか学費が高く奨学金もいただき、うち一つは福祉を目指す学生を対象とした給付型のとある財団。その財団の方々との出会いや繋がりは夢をさらに膨らませて、財団の企画する研修へ参加するたびに意識が上がった。
卒業後の今も繋がっていて、きっと一生モノの出会い。

入学当初は夢というよりも、「仕事」を考えて「保育士」を目指す。
勉強しているうちに、知識だけではなく実際に触れて経験がしたいと思い重度訪問支援と移動支援のアルバイトへ。

アルバイトはいろいろやってて、
保育補助(資格がないと保育士とは言えないの…)、児童館、日本料理屋、パン屋、移動支援ヘルパー、重度訪問ヘルパー、学習塾、障害を持つ子どもの塾etc.
4年間続けたものもあれば、短期間で終えてしまったものも様々。
どれも最初はほんの些細な好奇心から。今では全部やってよかったと思っているし、今のねこ。の糧にもなった。

いろんな人に出会って、いろんなことに触れて、ただ漠然と「保育士」って言っていたけれども、根本の部分で私の幼少期の体験がかなり影響していることが分かった。


私には一人の兄がいる。
兄とは別の保育園に通い、母は兄の保育園の方針などをよく褒めていたし、兄の保育園の話しをよくしていた記憶がおぼろげながら強く残っている。
どちらにも、「障害」をもつ子どもが在籍していた。
私の園では発達障害の子。兄の園では身体障害の子。
先生たちがどのように子どもへ伝えたかというと、私の園では、ちょっと変わった子。兄の園ではどうしたらみんなで楽しめるかを考える。
子ども同士のかかわりは、私の園では、みんなと違うから少し異質に思い仲間外れに近いような感じ。兄の園ではその子もみんなの「輪」の中に入って楽しんでいた。

子どもにとって「障害」なんて言葉はまだ浸透していないし、「目に見えない」部分をどのように伝えるかも難しいと思う。
ただ子どもにとって「保育士」という名の先生たちは、親族以外の初めて身近な「大人」で、初めての「先生」で、親以外の「手本」である。
もちろん先生たちだって「人」だから間違えもするけれど、間違った後の対応の仕方まで含めて、子どもたちはよく見ているし、それがその子の人生の基盤に大きく影響もしている。
ほら、子どもたちはマネしながら学んでいくから。

無意識化の中できっとこの私と兄の園の違いへの違和感だったりを感じていたのかもしれない。
こじつけか?(笑)

この違和感を何とかしたい。私に何ができるんや?っていうのが、最初の夢というかなんというか…。まだこの時点で言語化はできないけど、初めて将来したいことがほんの少し明確になった瞬間。

さてここからどうやってより現実的に、もっと具体的になっていくのか…
いや、本当にそんな漠然としたものがカタチになるんか…?

長くなったので今回はここまで。

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