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勝つことよりも。

向かいに座っている女性三人は、子どもが同じ運動部に所属しているママ友のようだ。
どうしてわかるかというと、電車に乗り込んできたときから、話題がもっぱら部活動の顧問についてだったからである。

彼女たちの子どもは小学生のころからその競技をつづけており、親も活躍を期待している。しかし、現在の顧問の教員は未経験者のため、実技指導をすることができない。
三人の保護者はキャリアの短い顧問より競技に詳しいと自認しており、練習メニューや試合・合宿のスケジュール、試合時の采配、キャプテンやレギュラーの決定にも疑問と不満を隠さない。子どもも自分たちより下手な顧問をなめてしまっているという。

「やったこともないスポーツの顧問をやれって言われて、先生も気の毒だとは思うけど」
「先生にとっては部活はボランティアみたいなものだもんね」
と一定の理解を示しているかのようなことを口にしながらも、「お飾り顧問」「ド素人」といったフレーズがさらりと出てくるところに三人の本音が窺える。
結局、「顧問の指導力不足で、子どもたちが能力を伸ばせずチームが結果を出せないでいる」と言っているのだった。

「他のママも集めて、顧問を替えてほしいって学校に言ってみようよ。無理なら、外部から指導者を連れてきてもらうとか」
目を閉じて聞きながら、驚いた。その要望は中学校の部活動に求められる範囲のものなのか。
しかし、“熱心”な保護者はここまで介入してくるのである。顧問の教員が置かれている立場を想像したら、思わずため息が出た。

ルールもよく知らない競技の部活動の顧問になるのはどんなに気が重いことだろう。しかしさらに大変なのは、本務を後回しにして練習を見るから平日はもちろん残業になり、土日も少なくとも一日は練習や試合で潰れることだ。
私などはこれを考えただけで、自分は中学校の先生にはなれないやと思うのだが、そうして自分や家族のための時間を割いて顧問を引き受けてくれる教員がいるから、今日まで部活動が存続しているのである。しかしそのことに、子どもだけでなく大人も気づいていない。
保護者に練習内容を知らせれば「こんな練習では勝てない」と改善を求められ、試合が終われば先発メンバーの人選や采配の根拠を問われる。そこに顧問に対するリスペクトはない。
こういう保護者から及第点をもらうには、顧問はどれだけのプライベートな時間とエネルギーを捧げなくてはならないことか。嘆きたいのは教員のほうではないだろうか。

わが子のために環境を整えてやりたいという気持ちはわかる。しかし親としては、その前に必要なことがあるんじゃないか。
「先生は技術的な指導はできなくても放課後の練習を見てくれて、コロナが流行るまでは朝も休日も部活させてくれたでしょう。先生にも大切な家族がいて、ほんとは少しでも早く家に帰ってゆっくりしたり自分の子どもと過ごしたりしたいところを、あなたたちのためにがんばってくれている。みんなが部活をつづけられるのは先生のおかげなんだよ」
と教えてあげてほしい。そして、「もしあなたが先生の家族の立場だったら……」を想像してみるよう促してほしい。
誰に支えられていまの自分、いまの生活があるのか。子どもがそれに気づき、素直に感謝できる人間に育つことは、「中学校の部活動で好成績を収める」という経験以上に彼のこれからの人生に豊かさと幸福をもたらすと思うのだ。


【あとがき】
三人の保護者は他人の耳目のある場所であれだけ遠慮なく話していたくらいだから、家ではさらに言いたい放題なのでしょう。それを聞いていたら、子どもが顧問の教員を見下すようになるのも無理はない。
たしかに、未経験の顧問では心もとないと感じる場面は多いでしょう。技術的な指導をしてもらえず残念なのもわかる。
でも、ちょっと想像してみてほしい。自分が顧問の教員の家族の立場だったら……?
「夫(妻)は部活のために毎日残業して、休日にも学校に行っているのに、下手だからって生徒からも親からも空気みたいな扱いをされている」
「僕たちはパパ(ママ)と一緒に過ごす時間が少なくても、部活だからしかたがないって我慢しているのに、いてもいなくても同じ“お飾り”って思われている」
なんて、やりきれないのではないでしょうか。
ないものにばかり目が向き、あるものには気づかないというのは、決して幸せなことではないと思います。