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愛か、罰か。

同僚の話である。
あるファミリーレストランの宅配サービスを利用したら、うちの一品に小さな虫が入っていた。公式サイトの問い合わせフォームから写真を送ったところ、すぐに電話がかかってきた。
商品の回収に行ってもよいかと訊かれ、すでに処分したと伝えると、それでも謝罪のために伺わせてほしいと言う。けっこうですと断っても、「どうか直接お詫びを」とあちらも譲らない。困った彼女はなかば強引に電話を切ったそうだ。
「企業はびくびくしてるんだよ。いまどきはなんでもかんでもSNSにあげるから。『こんなのが入ってましたー』って画像が拡散されたときのために、過剰なほど誠意を見せるんだろうね」

たしかに、ちょっとめずらしいことが起こると「いいネタ見っけ」とばかりにツイッターやインスタに投稿する人がいる。
先日、ある県立高校の男子生徒が髪形を理由に卒業生用の席に座ることを認められなかったというニュースがあったが、
「卒業式の後、その男子高校生とすれ違った」
「うちの息子の高校の話で、私もその卒業式に出席していました」
といったツイートを見かけたっけ。
世間で話題になっている出来事とほんのちょっとでも接点を持ったら、誰かに話さずにいられないのだろう。


それはそうと、このコーンロウの一件はとてももやもやした。

テレビで見かける人たちが、
「髪型をあれこれ言うことに何か意味があると思っている頭の悪い教師たちが日本中にいると思うと残念でたまらない」(茂木健一郎さん)
「異文化の伝統に敬意を払うことなく、問答無用に排除する。そんな教育を受けて社会に巣立っていく子どもたちが不憫でなりません」(乙武洋匡さん)
「これただの差別やで。そんなん気付かへんのん教師としてやばいで」(千原せいじさん)
などとSNSで怒ったり嘆いたりしていたが、私とあまりに感覚が違っているので驚いた。
これ、本気で言っているんだろうか。男子生徒がほかの卒業生と同席できなかったのは学校のせいなのか。

報道によると、学校は式の前日までに三回にわたり「髪が長いから切ってくるように」と指導していたという。
同じことを三回も言わせるということは、「従わない」という意思表示だとみなされてもしかたがない。それでも学校は彼が晴れの門出をきちんと迎えられるように、「このままでは式に出られないから、かならず切ってこいよ」と伝えつづけたのだ。
兵庫県教育委員会が会見で、
「(生徒は)『切ってきます』と言った。みんなが気持ちよく卒業しようと、その約束が本人が守ると言いながら守られなかった。(学校は)約束を守ってもらえなかったというところの戸惑い、驚き、その部分も大きかったんですかね」
と言っていたが、まさにそうだったんだろう。当日の彼を見て、先生たちは「どうして……?」と虚脱感に包まれたのではないだろうか。

学校の規定の中には「なんの意味があるんだ?」と不満を感じるものがあるかもしれない。しかし、その一員であるうちは理不尽に思われるルールであっても守らなくてはならない。その場所を選んだのは自分なのだ、それが落とし前というもの。
もしくはルールの見直しを求めて学校にかけ合うか、そんな“ブラック”な校則のないところに行くか。それをしないで、「でも納得がいかないから従わない」を貫くのであれば、なんらかの不利益があるかもしれないという心構えはしておかなくてはならない。

「先生、実はこれこれの理由で明日の卒業式はこういう髪型で臨みたいのですが、どうでしょうか」
とどうして相談しなかったのか。三年間通って、「髪が目や耳にかかっていなければどんな髪型でもオッケー」でないことはわかっていたはずなのに。
「父のルーツであり、黒人としての文化なのに」
と彼は言う。しかし、その髪型にそういう背景があることをどれだけの人が知っているだろう。私の同僚はニュースを見ながら、
「これがコーンロウ?派手な頭だねー」
「レゲエとかストリートダンスの人の髪型だよね」
と言っていたが、先生やほかの生徒の保護者の中にも同じ感想を持つ人がいるだろう。
自分にとって大切なものを他者に尊重してほしいと思うなら、踏むべき手順がある。その労力を惜しんで、当日「特別な日」「ルーツ」を持ち出してもそりゃあ無理だ。
彼の親は美容院代を渡す前に、
「先生から許可を得たのか?特別な配慮をお願いするんだから、事前に相談するのは当たり前だぞ」
と教えるべきだった。

上にリンクを張ったネットニュースの記事は、
「大切な卒業式をみんなと出席させる、そんな人情は高校にはなかったのだろうか」
と結んでいる。しかし、それは人情なのだろうか。
学校だって目をつぶって彼をふつうに出席させたほうが簡単だった。この件がSNSで拡散される可能性を考えて、“身の安全”を図ることもできたのだ。
でもそうしなかったのは、社会に出たらこんなやり方は通用しないことを彼に教えようとしたからではないだろうか。
「たかが髪型のことで、大切な式にみなと一緒に出席させてやらないなんて」
「違反と知っていてその頭で来たんだから、式に出られないのは当然」
彼をかばう人も学校をかばう人も、それをペナルティ(罰)と捉えている。でも、私はそうは思わない。
高校を卒業したら、もう成人。要求をこんなふうに通すことを覚えたらこの生徒のためにならないと、心を鬼にしての措置だったんじゃないか。

対応が不適切だったというなら、どうすればよかったのだろう。
生徒が登校してから式の開始まで一時間かそこいら。コーンロウはワックスを塗ってからきつく細かく編み込んでいくそうだから、その髪ではだめだからといって、その場でほどいて耳にかかる髪をピンで留めて……ということもできない。現場は相当混乱したに違いない。
「二階席に座らせ、名前を呼ばれても返事をさせなかった」についても、生徒、保護者が一斉に振り返り、「あの子、なんであんなところにいるの?」と注目を浴びることになるのをしのびなく思ったからではないのだろうか。

「友人との三年間を締めくくる思い出づくりができなかった」
それは学校のせいじゃない。
自分にとって大切な日はみなにとってもそう。卒業式がこんな形で日本中に知られることとなり、後味の悪いものになったことを残念に思う生徒もいることをよく考えなければならない。
いまは母校の名を耳にするのも苦痛かもしれない。でも、彼の中でこの経験が苦いだけで終わらないことを願う。


【あとがき】
少し前に、大阪の清風高校の一部の生徒が「前髪は眉毛にかからない長さ」で「髪の裾と耳もと全体を刈り上げる」通称“清風カット”を義務づけられる(守れないと退学)のは人権侵害にあたるとして、校則の見直しを求めて弁護士会に人権救済を申し立てたというニュースがありましたね。
ここは私立の高校で、仏教を中心とした宗教教育を行うという特色があるそう。「戒律を守るという精神から校則で髪形を決めている」とのことで、生徒はそれをわかって入学したわけだから、後から人権がどうのと言うのは違うんじゃないかなあ。
……とは思いますが、不満があっても三年間やり過ごそうとする人がほとんどの中で、校則を変えようとする行動力はすごい!