関西人は一日にして成らず
病室を訪ねると、Dさんはラジオを聴いていた。先週も同じ番組を聴いていたなあと思い、「面白いですか」と尋ねたら、意外な答えが返ってきた。
「実はね、話の内容、半分もわかってないのよ。この人たち、とっても早口なものだから」
とおっとりと笑う。Dさんは関西に移り住んで三十年になるが、ハイヒールリンゴ・モモコの“しゃべり”にはまったくついていけないという。耳が慣れたら聞き取れるようになるのかしら、と英会話のリスニングのトレーニングをするように毎週聴いているそうだ。
この話を昼の休憩室でしたところ、若いスタッフが「わかります、何年住もうと関西圏外の人間はネイティブにはなれないんですよ」と頷いた。十八歳で地方から大阪に出てきた彼は、大学の入学初日に洗礼を受けたという。
「みんな初対面でしょ、だから自分のこと話してたら『オチまで遠いな~』って言われたんですよ!自己紹介にオチを要求されるなんて意味がわかりませんでした」
しかし、彼が戸惑ったのはそれだけではなかった。
「会話の最中に『そこはボケなあかんやろ』って、そんなの無理ですよ。芸人じゃないんですから……」
よって彼はかなりの期間、関西弁を操る人と話すときはビクビクしていたそうだ。「オチが弱いわ~」「そこボケるとこやで!」「おもんな」と言われるんじゃないか、と。
大学時代に付き合っていた人は東京出身だったのだが、彼は聞き慣れない言葉に出くわすたび「関西人は関西弁を全国共通語だと思っている」とぷりぷりしていた。私はそれを見て、「へえ、これは方言だったのか」と知るということが何度もあった。
「自分、出身は?」と話しかけられ「そんなこと俺が知るわけないだろう」と怪訝に思ったとか、「ゴミほっといて」と言われたから放っておいたら後で文句を言われた(ほる=捨てる)とかいう話には笑ったが、
「どうして関西人は『蚊にかまれた』って言うんだ。こっちの蚊には歯があるのか?蚊には『刺される』だろ」
と指摘されたときは驚いた。
言われてみればその通りなのだが、周囲もみな「かまれる」だったし、その表現に疑問を持ったことなどなかった。関西から出ることなく生活していると、なにが関西弁特有の言い回しでよそでは通用しないのかがわからないのだ。
惣菜メーカーの企画部にいたときのこと。新商品の発売前日に全国の販売店にプライスカードを送付したところ、関東の店舗から電話がじゃんじゃんかかってきた。「こんなのじゃ売れない。大至急作り直してくれ」と言う。
「どういうことですか」
「こっちでは『ミンチカツ』なんて言わない。『メンチカツ』に決まってるだろっ」
「な、なんですか、そのメンチって……」
「こっちではそう言うんだよ!」
「そちらでは挽き肉のことを“メンチ”って言うんですか?ハンバーグは“合挽きメンチ”で作るんですか?」
「いや、それはミンチ」
「じゃあミンチのカツがどうしてメンチカツになるんですかっ」
「それを言うなら、『ヘレカツ』ってなんだよ。フィレ肉がどう訛ったら“ヘレ”になるんだ。ヒレカツだろ、ヒレカツ」
関東の人がなんと言おうと、関西人にとって「メンチ」は切るものであって(メンチを切る=眼を飛ばす)、カツにするものではない……という主張も空しく、急遽ミンチカツとヘレカツのプライスカードを差し替えることになった。
関西ローカルな話を日記に書くと、「この機会に」と思うのだろうか、身近にいる関西人の独特のノリやコミュニケーションを受けとめきれずにいる関西圏外の人たちからコメントをもらうことがある。
大阪出身の友人が「当たり前、当然だ」と言うとき、いつも「あたりきしゃりき、けつの穴ブリキ」と言います。すごく品がないように思うのですが、関西では日常語なのでしょうか。
関西の人って、「ちゃうねん」で話が始まりますよね。なにも違ってなくても。で、自信満々で話した後に「知らんけど」で終わる。えっ知らなかったの?いま断言してたよね?っていつも思います。
小学生のとき京都に引越しました。「坊さんが屁をこいた!坊さんが屁をこいた!」と叫ぶ声が聞こえてきたのでびっくりして外を見たら、近所の子がだるまさんが転んだをしていました。
後に一緒に遊ぶようになりましたが、子ども心に恥ずかしく、ぜったい鬼になりたくないと思ってました。
大阪出身の元同僚が言っていたのですが、「今朝、駅の階段で転んだのに誰もつっこんでくれないから恥ずかしかったわー」って、大阪では本当に転んでる見知らぬ人に「なにコケとんねん」とか言うんですか?東京人からするとつっこまれたほうがよほど恥ずかしいんだけど。
自分の生活圏にいる関西人についてのこうした素朴な疑問や感想にはくすっと笑ってしまう。
目の前で誰かが転んだら、私たちだって「大丈夫ですか」と声をかける。駆け寄って、「自分、なにコケとん」なんてもちろん言わない。
でも、そういうイメージをちょっと面白がっているところはあるかもしれない。
【あとがき】
「だるまさんが転んだ」の遊びは私も小学生の頃によくしましたが、文句は「坊さんが屁をこいた」か「はじめの第一歩」でした。「坊さん」のほうは往来で女の子が口にする(どころか大声で叫ぶ)にはあんまりなフレーズだと思うけど、当時はなんとも感じていなかったんだよなあ。でもよそから来たら、そりゃあ抵抗ありますよね。