キラキラの記憶
先日、作家の林真理子さんが日本大学の次期理事長に決まったというニュースが流れた。
前理事長による脱税事件などの不祥事を受け、七月から新体制を発足するにあたっての人事であるが、林さんは二〇一八年に日大アメフト部の悪質タックル問題が起きたときから「日大のオレ様体質を変えなければ」と言っていた。
「日大というところはとことん根が腐っている。理事会を解体しなくては根本的解決にならない。こうなったら私が立候補する。もちろん無給でやる。母校のためにひと肌もふた肌も脱ごうではないか」
と書いていたのだ。
林さんは日大の芸術学部卒。エッセイにはたまに大学時代の話が出てくるが、卒業生であることに誇りを持っていることが伝わってくる。
大学運営に携わったことのない人間になにができる、お飾りで終わる、という声も聞かれるが、「地に落ちた母校の信頼をなんとかしたい」という林さんの思いは本物だ。
なにかを守りたい、大切だと思う気持ちほど大きな原動力、推進力になるものはない。もし私が日大の学生だったら、あの記者会見を見て心強くうれしく思っただろう。
ところで、林さんの「愛校心は誰にも負けないつもりだ」を聞いて、ふと思った。
愛校心、か。私はどうだろう?
寄付をしたこともない私がそれを語るのはおこがましいかもしれない。でも、母校への愛着はしっかりある。
少し前、書類を整理していたら、大学名入りの未開封の封筒が出てきた。開けてみると成績証明書であった。就職活動のときに会社に提出するために何通か発行してもらったのだろう。
それを見て、子どもが言った。
「ママって頭いいのかと思ってた……」
あらま、こんな成績とってたんだ、と自分でもびっくりだ。……いや、当然か。学校、サボってばっかだったもんな。
大学のすぐそばに住んでいたのに授業にも出ず、いったいなにをしていたか。私の大学生活はサークル活動と恋愛、この二本立てだ。
そのサークルに入るためにその大学を選んだから、四年間サークルにどっぷり浸かった。
週二回の例会が二十一時に終わったあと、近くの食堂で晩ごはんを食べ、誰かの家に移動して朝までつづきをするというようなことをしょっちゅうしていた。午前に必修の授業があると這うようにして行き、そうでない日は起きたら学食でお昼を食べ、ついでに講義を受けたり受けなかったり。
例会に合宿、大会出場、テスト明けの打ち上げに追いコン。楽しかったことばかりじゃない。マンモスサークルゆえの運営のむずかしさがあった。上を目指す派と「強くなるより楽しみたい」派がぶつかり、サークル分裂の危機もあった。そこが私の居場所だった。
FacebookにはOBの多くが登録していて、この年になっても誕生日にはメッセージがいくつか届く。私が同窓会に行くのもサークルのものだけ。
このつながりは私が大学で得た宝物である。
忘れがたい恋もした。
ゼミコンのあと家まで送ってくれたあの夜から、卒業前に「もうすぐ離れ離れになるけど、一緒にこれつけてがんばろうな」とペアウォッチを贈り合ったことまで、昨日のことのように思い出せる。
生まれ変わっても、きっとまた好きになる。
取り柄もない平凡な女の子にカラフルな日々を送らせてくれたあの場所に、本当に感謝している。
人生の中で、人がなにかにうつつを抜かせる時間はかぎられている。だから私は子どもにも、大学に行ったら勉強よりも“青春”をしてほしい。何十年経っても、なにかの拍子に思い出すと宝石箱を開けたみたいにキラキラが飛び出してきて、頬が緩んだり胸がきゅっとなったりする……そんな経験を。
「楽しかったなあ、あの頃」
「あの仲間に出会えてよかった」
「彼のこと、本当に好きだった」
満たされた日々はその先の人生にも効きつづけ、あなたを支えてくれるから。
【あとがき】
内定をもらい、就職活動を終えたとき、「ああ、学生生活が終わるんだ」と胸が締めつけられたのでした。あの四年間は青春そのものでした。