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青春の後味

私はいま、電車とバスを乗り継いで職場に通っている。そのため、「どうして通勤に小一時間もかかるところに就職したの」と同僚によく不思議がられる。
たしかに、スタッフの多くは車かバイクで通勤しており、自宅から三十分圏内という人がほとんどだ。病院はいくらでもあるから、わざわざ遠くを選ぶ理由が思い浮かばないのだろう。

私は教育体制がしっかりしているところに就職したかったので現在の病院に決めたのであるが、十代の終わりまでその町に住んでいてノスタルジーがあったことも少しは関与している。
毎日、自分が通っていた小学校、中学校、高校の前を通るのだが、変わらない建物や通学途中の子どもたちを見ると、懐かしさとちょっぴりせつない気持ちに包まれる。

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ところで、長く暮らしていた町で働いていると、当時の知り合いと思いがけず“再会”することがある。
近所に住んでいた人だったり習い事の先生だったり学校の同級生だったりが、患者あるいは患者の家族として突然私の前に現れるので、びっくりしてしまう。
といっても、何十年かぶりであるから顔を見ただけではわからない。名前に覚えがあり、カルテの年齢や住所を見てはじめて、やっぱりそうかとなる。

年に一度か二度そういうことがあるのだけれど、「むかしお世話になった○○です」「同じクラスだったんだけど、覚えてる?」と私から名乗ることはない。
誰だって自分を知る人に健康や生活の状況を知られたくはないし、処置やケアで身体を見られるのも嫌だろう。こちらとしても相手が私と気づいていないほうが気を遣わずに済むし、仕事の中にプライベートな要素は混入させたくないという思いもある。

今月の初め、足の骨折で緊急入院してきたのは中学時代の同級生のAくんだった。
「本日担当させていただく看護師の蓮見です」
あいさつしながら、さりげなく顔を確かめる。
三十数年ぶりの対面だから、道ですれ違っても気づけないくらい変わってはいた。でも、よく見たら面影が残っている。そう、こんな感じだった……。
Aくんとは一年生のときに同じクラスで、一緒に委員長、副委員長をしたことがある。部活も同じバレーボール部。
しかしながら、ちゃんと話をしたことは数えるほどしかない。さすがに私のことは記憶にあるだろうが、こちらは常にマスクをしているし、苗字も変わっている。Aくんに「もしかして……」と思われることはないと思うと、気は楽だった。

それでも、今回はこれまでにないやりづらさがあった。
手術までの数日間は足の痛みが強かったのと安静指示があったのとでAくんは自力で動くことができず、保清と排泄の援助をしなくてはならなかったからだ。
四、五十代の若い男性患者への身体に触れるケア、たとえば着替えや清拭、入浴、陰部洗浄やオムツ交換、便秘時の処置は知り合いでなくても気を遣うものだ。こちらは仕事だから抵抗ないが、される側ははずかしいだろう。
そのため、できるだけ男性看護師に頼むのだけれど、無理な場合も少なくない。
だから手術後、順調にリハビリが進み、Aくんが自分で身の回りのことをできるようになっていくのをほっとしながら見ていた。

短いエンピツ線

看護師が受け持つ部屋(患者)は毎日変わるのであるが、Aくんが退院する日の担当は私だった。
松葉杖で歩く彼の荷物を持ち、病院の玄関口まで一緒に行く。装具を着けた足は靴を履けず、迎えを待つあいだ、指先がとても寒そうだ。
「足、寒くないですか」
「大丈夫です。家、すぐそこなんで」
そうなんですね、と答えたあと、心の中でつぶやく。

知ってるよ、ついでにあなたの実家も。だって、三十五年前のバレンタインデーにチョコを渡しに行ったもん。
友達には「えー、あんなまじめがいいのお?」と言われていたけど、まともに目も合わせられないくらい好きだったんだから。三年間ひとすじだったんだから。
あ!そういえば、返事もお返しもくれなかったよね。いまさらだけど、ちょっとヒドイんじゃない。チャイムを押すとき、どれだけ勇気がいったと思ってんの……。
イケナイ、余計なこと思い出しちゃった。

目の前に一台の車が止まった。降りてきた若い男性を見て、思わず言ってしまった。
「そっくり……ですね」
「え、そうですか?あんまり言われたことはないんですけど」
ううん、本当によく似てる。あの頃のあなたと。

病棟に戻り、Aくんがいた個室をのぞいたら、ベッドの上に脱いだ病衣がきちんと畳んで置かれていた。
こういう人だったな、と笑みがこぼれる。
私、知らなかったよ。初恋って、青春って、何十年たってもあまずっぱいままなんだね。

【あとがき】
Aくんの部屋を掃除しようと入ってきた看護助手さんが驚いていた。退院するときにこんなふうに布団や病衣を畳んでいく男の人はめったにいませんよ、と。
「ジェントルって感じの人でしたね。朝食のお茶を配りに行ったとき、『今日退院なんです。お世話になりました』って言ってくれたんですよ!」
すてきな男性になっていたことがわかって、うれしかった。ありがとう。