エッセイvol2 タコスとせつなさの記憶
タコスは私にとって、少し切ない記憶を呼び起こす食べ物である。
高校生の頃、他校の彼氏がいて、彼の学校の文化祭に1人遊びに出掛けた。
その学校は、山奥にあり、乗り慣れないスクールバスに緊張しながら乗り込んで、なんとか辿り着いた。
彼は、おそらく気軽に誘ったのだろう。
遊びにおいでと。
私は、彼に会いたい一心で、遠路はるばる出掛けたのだった。
体育館で行われていた、ちょっとした民族舞踊の出し物を見た記憶がある。
彼は、忙しくしていた。
所属するサークルの出し物やクラスの模擬店やらで、予定をこなす事に追われていた。
日が暮れた頃、ようやく少しだけ時間が取れて、クラスの模擬店で作っていたタコスを持って、人気の少ない校舎裏に会いに来てくれた。
精一杯のオシャレをして出掛けたせいで、日暮れには少し薄着で肌寒く、慣れない靴に、足も痛くなっていた。
当時の私は、タコスという異国の食べ物の知識を持たず、慣れない食べにくそうな食べ物に、少し面食らって、しかも大嫌いなトマトが入っていて、やっと彼に会えたのに、差し出されたタコスをちっとも喜べない自分を取り繕うのが必死だった。
遊びにおいでの誘い文句は、学内を案内して連れ回される、デートを想定していたのに、実際はずっとひとりぼっちだった。
でも、楽しみにしていただろう文化祭を、キラキラした表情で、忙しくて一緒にいられなくてごめんねと言う彼に、その淋しさをぶつけてなじるのは、何か違う気がして、必死で堪えていた。
高校生の彼にとっては、学内で彼女を連れ歩くことで、友人に冷やかされるのが気恥ずかしい意識もあったかも知れない。
自身のコミュニティへと誘っておいて、放置されるのは、結構しんどい。
私は、好きになるとべったりと一緒にいたがる方で、アウェイにノコノコと出掛けていき、引っ込み思案な性格故に、他所のコミュニティに溶け込むのも容易ではなく、なおかつ空気を読んで、淋しいって言い出せない方なので、そんなしんどい思いをよくする方だと思う。
学習能力が低いので、淋しい思いを引きずりながら帰途につく度に、またやってしまったなと思う。
せめてもう少し、快活な性格であったら良かったのにと思う。
そして、自身のコミュニティへ誘った時に、きちんとエスコートをして、放置しない男性は、貴重で、それだけで好感度が高いなと思う。
モテ要素って、そういうところだったりする。
いや、色々と無理。
っていう声が聞こえる気がする。
なんか、すいません。
そういえば、先日1人でラーメン食べに行ってきた。
別に大丈夫。
同僚の女性数人に尋ねたら、圧倒的に1人ラーメン無理派が多かった。
断っておくが、1人が好きなわけじゃない。
不可能ではないという話。
今1人ラーメンなんか、何故無理なのかが理解できないと断罪した男性は、1人ディズニーを想像してみて欲しい。
傍目には、1人にしても大丈夫そうな女だと思われてしまいがち。
大丈夫なのと、好んでいるかどうかは、別問題なのですよ。
楽しいことや嬉しいこと、悲しいことも共有出来たら嬉しいと思う。
他者の全てを理解したり、分かち合うのが不可能だとしても。
タコスを流行らせたいと言った人に、少しでも寄り添いたいな、と思う気持ちから、ハードシェルを買ってみた。
トマトの入ってないタコスを作ってみようと思って早数ヶ月。ガンプラ並みに積んだままになっている。
遠い星空の下で、想いを馳せるより、同じものを食べてその味の感想を言い合ったり出来たらもっと楽しいのにね。