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届かない言葉はどこへ

このところ、思わずぼろりとこぼれてしまいそうな言葉を両手で受け止めるような日が続いている。それは愚痴だったり、泣き言だったり、久しぶりの感情でどう説明をつけていいのかわからない気持ちだったり、とにかくたくさんのことを吐き出しそうになっては、ぐむむとまた押し戻して、やり過ごしている。

最近、とても仲の良い友人ができた。まだ出会って(前からまあ知ってはいた人ではあるが)そんなに経っていないのだけど、やることなすこと共感できるので、とにかく会話が楽しい。時に(いや、しょっちゅう)仕事の愚痴もついこぼしてしまうのだけど、とにかく返答が的確で、毎回どこか救われるような気持ちになる。

誰かを理解するということは、本当に難しい。仲のいい人も、親子でも、相手はそんなこと思ってたんだ・・・と愕然とするような反応を見せることもある。良かれと思ってやっていることも、8割はもしかしたら別にやらなくていいことなのかもしれないし、感謝をされるためにやっているわけではないけれど、当たり前のように素通りされたり拒絶されると、なんともやりきれない気持ちになる。

返答やリアクションが的確である、というのは、つまり「自分にとって」の正解であって、別の関係性の人にとったら不正解であることだってあるのだろうなと、このところのいろいろを思い出しながら考える。欲しい言葉は、その時々、その人の状況によって変わる。相手の状況をおもんばかって、ここまでは言っていいかな、と言葉を選んだりするのだけれど、ちょうどそれは人と人との精神サイクルが似ていれば正しく届くけど、そうでなければただのノイズになる。そしてそのノイズは出す方も受ける方も、なんだかんだと疲弊してしまう。

「言葉はね、溜めると、腐ってしまうよ。」
昔読んだ本の一節が、何十年経っても顔を出す。





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広告企画室ネコノテ 矢野裕子
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