ふるさと
しみじみしている。しみじみ、じんわり。
心許せる仲間が集うコミュニティって、やっぱり大事だわ。
誰も話の腰を折らない。
誰もマウント取らない。
しんどい気持ちを思うまま話す人に、わかるよ〜って頷いたり、似た経験をシェアしたり。
「がんばってるね」
「そこまでできてるのすごいよ!」
誰かの苦悩はみんなの苦悩でもある。
環境は違っても心の悩みには共通点が多い。
同じように落ち込んだときが自分にもある。
その苦しさをどう消化すればいいのか。
どうしたら抜け出せるのか。
「やるだけやってさ」
「どうにも無理ってなったらやめればいいんだし」
「つまづいたって何度でもやり直しできるんだから」
共有した悩みには必ず出口が用意される。
「よし、もうちょっとやってみるかな!」と前を向くことのできる勇気がもらえる。
押しつけがましさは微塵もない。
とてもフラットな温かさ。
愛しかない。
モニターに映るみんなの微笑みは、聖母のような愛に満ちあふれている。
この1年、私は漫画に明け暮れた。
商業で描くことを目指し、その世界にやっと片足入れることができた、その代償というのか。
それまで身の回りの人たちだけに向けて描いていた私が、いきなり全世界の読者を相手に想定するようになった。
漫画描いたから読んで〜。
知り合いに見せるだけならそれほど気を使わないのに、「この漫画は日本中、世界中に向けて、私たち出版社が売りに出します」
そう言われた途端、小さな池だった私の世界が唐突に海になった。
描けば描くほど海は広がっていく。
あの小島に住む人にまで届けるにはどう描けばいいか。
地平線の彼方にいる人にも買ってもらえるにはどう表現すればいいのか。
私の目が見ている景色がどんどん遠く広くなっていることに、しかし私はまったく気づいていなかったのだ。
遠くに届けることに注力した結果、数ヶ月かけて修正を重ねた漫画は結局そっぽを向かれた。売りには出せないと烙印を押された。
もっと落ち込んでもよかったのに、私は別の目標をすぐに見つけ、そちらに集中することにした。仕事として引き受けたまったく別の漫画。やはり相手が世界であることに変わりない。
黙々とこなしながら、私はやたらと仲間の作ったZINEを買った。とにかく欲しい。読みたい。理由はわからなかった。
ゆうべのオンライン忘年会で、やっとそのわけがわかった。
私は仲間を欲していたのだ。ふるさとに帰りたかったのだ。
イヤフォン越しにみんなの声を聞いているだけで幸せだった。
一緒に頷いたり笑ったりするだけで心がどんどん満たされていった。
遠くが霞んで見えるほど広がっていた私の視野が、ぐんぐん縮んでいった。
クリアに見える。
これなら、描ける。
がんばってきたし、
がんばっているし、
これからもがんばる。
ここのみんなが私の漫画を読んでくれるから。
たくさんの愛をもらった。
私からも愛を返す。
そのために心を込めて漫画を描くよ。
ありがとう、ふるさとのみんな。