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トンボは私
ゴミを捨てに行く途中、道路の端にひっくり返っているトンボを見かけた。近づいて少し観察し、ゴミステーションにゴミ袋を入れ、帰りにまたトンボを見た。6本のか細い足を空に向け、見事に固まっている。ジ・エンド。そんなふうに。
このあとほかの昆虫や鳥などの肥やしになるのか、風雨の中で朽ちていくのか知らないが、トンボはトンボの一生を毅然と全うしたように見えた。
私もそうなんだよな、と、家までの短い道のりで考えた。生まれてきて、生きて、死ぬ。ただそれだけのこと。とても単純。何のために生まれてきたかとか、人生における課題とか、臨終の床で振り返ったとき幸せだったと思える生き方を、とか、そんなものは本来ない。繁殖を目的に生物は生まれてくる。次代を残して死ぬ。
出会いの少ない深海で効率よく繁殖するために、卵巣と精巣の両方を持つ魚がいるという。同種と交配するときに、互いの体に精子を送り合い、それぞれの個体の中で受精、出産するのだ。ブラボーと讃えるべきか、執念におののくべきか。
メス猫の受精率は95%だそうだ。交配すればほぼ確実に懐妊する。春と秋に繁殖期があり、年に2回で10匹以上の子猫を産む。そのように繁殖率をできるだけ高めて子孫を残し、一生を終えるのが生物だろう。
交配相手と出会えなかった魚や、受精に至らなかった猫はどうなるか。敵に食われるか寿命が尽きるかして、息絶えるのだろう。
私も同じだ。ある日生まれ、いま生きていて、ある日死ぬ。あのトンボのように。
私なんて、裸で山奥に放り出されたら1ヶ月も生きられないに違いない。早々に熊に見つかり、食われるのがオチだ。安全に過ごせる家と食べ物を得ているおかげで、毎日のほほんとしていられる。
命が危機から遠いところにあるから、余計なことをいろいろ考えるのではないか。生きる意味とか、課題とか。
人間にも山で暮らしていた時期があった。獣の毛皮を身にまとい、自給自足で生きていた。価値を作り、貨幣を生み、家を建て、家賃やローンができ、お金を稼がねば生きていけないようになった。いつのまにか。国民の三代義務は納税、教育、勤労である。本当に? それを果たすために私は生きているのか?
いろんなものを作り過ぎたと私は思う。ルール、義務、権利、目的。PV、知名度、順位、価値観。
あなたは何を果たすために生まれてきたのか? よりよい生き方とか何か?
そんなものはない。ただ生きて、寿命が尽きればグッバイだ。ジ・エンド。あのトンボは私だ。
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