苦手な音への対処法/「かもしれない人」疲れ
聞きたくない音を延々聞かされるのは苦痛である、と前回書いた。例として挙げたのがテレビCM。
大音量の選挙カーしかり、声や音というものは、聞きたくない者の耳にも強制的に入ってくる。家中の窓を閉め切り、布団にくるまって耳を塞いでいたって「あなたの清き一票をなにとぞ!」としっかり聞こえる。打つ手立てなし。ことさらのろのろ進んでいる車が、遠くへ行き過ぎるのをじっと待つしかない。
私は何も四六時中、こういった音声に悩まされているわけではない。同居人のウナさんがつけっぱなしのテレビのそばで、ソファにうたた寝することもある。気にならないときのほうが多いくらいだ。幸いにも私の神経は図太くできている。
それらの音声が、途端に攻撃的な騒音に変わる瞬間があるのだ。
こうして文章を書いているとき。漫画のストーリーやセリフを考えているとき。頭の中で何かを生み出そうとしているときに、テレビから「なんであんたはそんなこともわかんないのよ!」と役者のセリフが聞こえると、そちらへ耳がとられてしまう。
騒々しいファミレスなんかのほうが創作がはかどるという作家や漫画家もいるらしいが、私にはとんでもない話だ。私の耳は小さくて、髪をかけることもできないほど平らである。貧相なのに音声を拾いやすくできているのか、ファミレスなんかでは隣のテーブルの人たちの噂話に聞き入ってしまい、自分の創作など一行も進まない。
静かな家にひとりでいれば安泰だ。けれどウナさんがテレビを見ていたらそうはいかない。気に入らないからと勝手に消すのも大人げないので、こちらで工夫するしかない。
耳栓を試した。効果はなかった。確かに音量は小さくなるが、完全にシャットアウトはできない。小さいゆえに、却って聞き耳を立ててしまうのだ。別に聞きたくもないのに。
自分の好きな楽曲をイヤフォンで聞いてみた。テレビの音声は気にならなくなったが、歌詞が気になる。歌手の心情をついなぞらってしまう。
私の創作はテレビには勝てないのか。悔しい。それでも私はめげなかった。私の神経は太いのだ。歌詞のないピアノ曲を選んだら、ものの見事に解決した。思考がかき乱されずに済んだのだ。ブラボー!
いまこれを書きながら、私は"The best jazz piano"をイヤフォンで聞いている。テレビに負けないほどの音量だ。小さい耳の穴が痛くならないうちに書き上げることがどうやらできた。ピアノ奏者に感謝。
最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。