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ゆうべ久しぶりに父を夢に見たので、思い出話でも書こうかと思う。

いつもふざけている人だった。コテコテの関西弁、大の酒飲みで、阪神タイガースを心から愛していた。とにかくよく飲んだ。赤ら顔、とろんとした目、舌のまわらぬ物言い。休みの日は朝から飲んでいたのではないだろうか。
休みの日、と言っても、子どもの頃の私は父がいつ休みでいつ仕事に出かけているのか、まったく知らなかった。ネクタイを締めたスーツ姿の父を見たことが一度もない。私が高校生の頃、やけに羽振りよさそうにしていた時期があって、母に訊いたら知り合いの紹介で「パチンコの釘師」を始めたようだと教えてくれた。そんな仕事がこの世にあるのを、私はそのとき初めて知った。儲かるらしいが、いまのパチンコはコンピュータ制御されているので、台に刺さった釘の角度を微妙に調整する職人は需要がないかもしれない。ともあれ、父のついた職業で私がこれだとはっきり言えるのは、パチンコの釘師と晩年のタクシー運転手、この二つだけだ。あとの年は父がなにをやって稼いだお金で自分が育ったのだか、さっぱり見当もつかない。

父は美食家だった。団地でかなり質素に暮らしていたにも関わらず、父はときどき家族を自分のお気に入りの料理屋へ連れて行った。覚えているのは、大きなカルビ肉にハサミがついてくる焼肉屋と、夫婦でこじんまりとやっている小さな洋食屋だ。この店でコース料理の最後に出される、奥さん手作りのバニラアイスが私は大好きだった。いつも駄菓子屋で買う真っ白なカップアイスと違い、手作りのアイスは卵色をしている。銀の器に丸く盛られたそのアイスに、家では見ない四角いスプーンをすうっと入れる瞬間、私は最高の幸福感に包まれた。お腹いっぱいになって車の後部座席に座っていると、いつのまにか運転手が知らないおじさんに変わっていることが何回かあった。制帽を取ってにこっと笑うおじさんを怖いと思ったことはないけれど、どこかへ消えた父がいつまでも家に帰ってこないのを不思議に思っていた。

父は私が17歳のとき、母と別れた。私が母に離婚を勧めた。父の酒癖はひどくなる一方で、その世話にほとほと疲れていた母を私が擁護することにしたのだ。私は父を憎むようになっていた。家を出た父がわずか半年後に、私や弟と同世代の子どもを持つ女性と再婚したことを知り、ますます私は父を恨んだ。離婚前からあまり家に寄りつかなくなっていたのは、その女性のところに身を寄せていたからに違いない。二十歳になった私の成人の日、父の提案で元の家族4人がホテルの高層レストランに集まった。広いテーブルに並べられた豪華な料理を前に、私は父とほとんど口をきかなかった。父は私に小さなハート形のルビーの石がはまったネックレスをくれた。気障なふるまいに身震いした。その日から10年以上、私は父と一度も会わなかった。

いまの夫と大阪を離れることになった。もう戻らない可能性が高かった。私は父の血を継いで、立派な酒飲みになっていた。子どもの頃に見た父の奇行を私は思った。たぶん寂しかったのだ。寂しいと人は酒を飲む。飲める人は飲みすぎる。私は父にずいぶん冷たい態度を取ってきた。大阪を去る前に会っておこう。再会を果たしたら、たぶんもう二度と会うことはない。父には父の家庭がある。たまに連絡を取っているという弟に仲介してもらい、父の住む家の近くの喫茶店で顔を合わせた。ジャージにつっかけという出立ちの父は、想像していたよりも若かった。弟と3人で囲んだテーブルで、父と私は2時間も喋った。馬が合ったのだ。父は案外いいやつだった。話せる相手だった。「次からは2人で勝手に会ってくれよ」と、別れぎわ弟に文句を言われた。

鹿児島、福岡と、夫の転勤に合わせて引っ越しを重ねる間も、父とはたまに電話で話した。半年に一度ぐらいのペースで、私からの電話に父が出た。タクシー会社の若い上司にムカつくからいま仕事サボってんねんとか、定年退職したらちょっとおもろい「蛍光たすき掛け」を作って儲けるからチラシ描いてくれとか、ふざけた話をいつも聞かされていた。休日に博多駅の近くで私が友人と昼から酒を飲んでいたら、父から電話がかかってきた。私は友人に断って、店の外で父の話を聞いた。「なんか最近おもろないねん」「そうなん?なんで?なんかあったん?」「別にないけど、なんか生きとってもおもろない。おまえはいま何しとったんや」「友だちと飲んでんねん」「昼から飲んどんか。たいがいにせなあかんで」「お父さんに言われたないわ」「俺もう酒弱なってなあ。あんまり飲んでないねん」父の声はいつになく沈んでいた。気弱になるのはめずらしい。私は父を元気づけるつもりで言った。「お父さん、いっぺん二人で飲もうや。一緒に飲んだことないやん。年末にそっち行くから、二人で忘年会しよ」「せやなあ」「約束やで」「うんわかった」この電話を切った4日後に、父は脳卒中でこの世を去った。

夜6時、夕飯のビールをコップ1杯飲んだところでひっくり返り、そのまま意識を失ったらしい。家族みんなが見守る中、救急車で運ばれて、3時間後にはあの世の人となった。旅立つ4日前にわざわざ私に「生きとってもおもろない」と言い、その電話を受けたとき私はルビーのネックレスを身につけており、出棺前に葬儀屋が「故人の好きだったビールを最後に飲ませてあげましょう」と言って、白装束の上から缶ビールをじゃぶじゃぶかけられて、笑わせるにもほどがある。ゆうべ久々に夢に出てきた父は、商売を始めたいからと私に300万を無心した。そんな大金持ってへんし、貸すわけないやろ。

ほろ酔いで天に召された父は、神さまからほんのちょっぴり愛されていたのかもしれない。願わくば私も父のように人生を締めくくりたい。

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猫野ソラ
最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。