見出し画像

「姫枕」 #膝枕リレー

脚本家・今井雅子さんの作品「膝枕」に感銘を受け、オマージュを書いてみました。

お楽しみいただければ幸いです。


猫野サラ作 「姫枕」



切り揃えた白い顎髭あごひげを撫でながら、太郎は日々、いていた。
開けてはならぬと言われた箱を、なぜ開けてしまったのか。
亀の誘いを断ればよかった。
そもそもあの日、浜釣はまづりなどへ行かなければーー。



住まいの小屋から眺める海には、いい波が寄せていた。大物が釣れる予感がした。

「おっ母、出かけてくるよ」

「また釣りかい」

太郎が肩へかつぐ長い釣り竿に、老母は弱々しい目を当てた。

やまいちのおっ母に、久しぶりのご馳走を食べさせてやりたい。火の上にしたたり落ちるあぶら、ぱりっとよく焼いた皮、箸の先でほぐれる白い身と、香ばしく匂い立つ湯気。

太郎は自身もごくりとつばを飲み込むと、威勢いせいよく小屋を出た。松の並木に沿って歩く。やがて大きな岩が近づいてきた。あの岩陰にある狭い足場が、太郎の定めた釣り場なのだ。

子どもの声が聞こえた。何かをはやし立てるような。複数いる。岩影を覗いた太郎は驚いた。子どもが四人、輪になって、棒切れを振り回している。足元にいるのは大きな海亀だった。子どもらは声高こわだかに笑いながら、亀の甲羅こうらを叩いている。

太郎が太い声を上げた。

「おい! 何をしている!」

四人の子どもはびくりと肩を震わせ、おそるおそる太郎を見た。太郎が肩にかついでいた釣り竿を大きく上に振りかざすと、子どもらは棒切れを投げ捨てて、一目散に砂浜を駆け去った。

「ひどいことをする」

太郎は海亀に近づき、傷の具合を確かめた。どうやら無事であるらしい。

「幸い怪我はないようだ。もう海へお帰り。二度とここに来るんじゃないよ」

太郎の言葉に応じるように、海亀は頭をゆっくりと海のほうへ向けた。分厚いヒレのような足で不器用に砂をつかみ、のろのろと浜を歩む。長い時間をかけて、海亀は波の向こうへ消えていった。

その日太郎が釣ったのは、結局いつもの雑魚ざこだった。つましい食事に母と向き合う日がしばらく続いた。

ある朝、太郎は波打ち際に、大きな亀の姿を見つけた。

(もしや、あの海亀ではないか。もう来るなと言ったのに)

駆け寄った太郎を、海亀が首をもたげて見上げた。

「太郎さん。先日は危ないところを助けていただきありがとう存じます。お礼に海のお城へ案内しましょう。どうぞ私の甲羅にまたがってください」



そこから先は、まるで夢物語のようだった。

海亀の背に乗って青い海を深く潜る。やがて太郎の目の前に現れたのは、まばゆいばかりの竜宮城。楽しげな舞い、たらふくのご馳走。ほどなくして現れた、この世のものとも思えぬほどに、美しくきらびやかな乙姫。

太郎は我を忘れた。片時もそばを離れない乙姫をいつくしみながら、終わりなきうたげに酔いしれた。

どれほどの日が過ぎたろうか、ふと太郎はおっ母のことを思い出した。途端に太郎の顔が青ざめた。

(何をやっているのだ俺は。一刻も早く帰らねば。おっ母が心配している!)

太郎がいとまいをすると、乙姫はたじろいだ。

「突然帰るだなんて、そんな」

「家で年老いた母が待っているのです」

「でも、もう少しいいじゃありませんか。せめて明日あすの朝まで」

「いいえ、十分長居ながいしました。これまでのお心尽こころづくしに感謝します」

太郎の決意は固かった。
乙姫は太郎の顔を涙の浮かぶ目で見つめたあと、観念したように小さな息を吐いた。

「ではこれを」

乙姫の可憐な手の中には、小振りの木箱が1つあった。

「私たちの出会いの印です。どうぞ記念に持ち帰ってください。ただし」

乙姫は長いまつ毛をしばたいた。はらはらと涙がこぼれる。

「ただし、なんです」

太郎の声があせりで乱れた。乙姫は切なげに眉根まゆねを寄せ、早口にこう言った。

「決して開けてはなりません。ただ記念に持っていてください」

太郎は小箱を受け取ると、大急ぎで海亀の甲羅にまたがった。乙姫のことは一度も振り返らずに青い海を昇っていき、ついに元の浜へと帰った。

はずだった。

海から上がった太郎は呆然とした。

ありとあらゆる色彩が、太郎の目を刺すようにチカチカと光っていた。浜辺に群がる裸同然の人々。無数に開く巨大なキノコの傘。やかましく鳴り響く音楽と、人々の雄たけび。その騒々しさは竜宮城のうたげの比ではなかった。太郎は慌てて耳をふさいだ。

(どこなんだ、ここは。これも夢なのか?)

海亀の姿を必死に目で探した。砂浜には行き交う人の足ばかり。

(せめて城へ戻りたい!)

太郎は小箱に手をかけた。決して開けてはならぬと乙姫から言われたことを、太郎はまったく忘れていた。いまとなってはこの箱があの城に通じる唯一の品なのだ。なにか手がかりになるものが入っているに違いない。

固い蓋を太郎は無理にこじ開けようとした。強い力で持ち上げる。太郎の上腕が震え、真っ赤な顔のこめかみに血管が浮き上がる。

ミシッと木の裂ける音がした。壊れた小箱の蓋が開く。

その瞬間、白い煙がもくもくと立ち上がり、太郎の全身を包んだ。

太郎はその場に気を失った。





ピンポーン。

インターフォンが鳴った。いそいそと玄関に向かったのは亀山だ。

ワンルームマンションでの亀山との暮らしに、太郎はこの頃ようやく慣れてきた。浜辺で昏倒こんとうした太郎を助け起こし、この部屋に寝かせたのは亀山である。

50代の女性のような外見をした亀山は、どうやらあの海亀の化身のようだった。いまの太郎とはちょうど夫婦か、兄妹のように見えなくもない。

両手に大きなダンボール箱を抱えて、亀山が部屋へと戻ってきた。

「なんだい、それは」

切り揃えた白い顎髭あごひげを撫でながら太郎が尋ねた。亀山は床の上へ丁寧に箱を置くと、上に貼られた伝票を黙って太郎に指し示した。太郎がそれを覗き込む。

「『枕』……新しい枕を買ったのか?」

亀山は曖昧あいまいに笑っただけで太郎の質問には答えず、箱のテープを爪の先で丹念にがし始めた。浮いたテープの端を持ち、ゆっくりと右手へ引く。

開いた箱の中身を見て、太郎は思わず声を上げた。

そこには女の下半身があった。
腰から下が、膝を折った正座の状態で、箱の中にちんまりと収まっている。

亀山は箱に両手を添えると、太郎のほうへずいと押した。太郎はたじろいだ。

「なんなのだ一体」

「膝枕でございます」

「膝枕?」

「はい。乙姫様の膝枕です。どうぞ手にとってお確かめくださいませ」

躊躇ちゅうちょする太郎に、亀山は「さあ」「どうか」と膝を詰めた。おっとりしている亀山が、このときばかりは譲らなかった。太郎はついに根負けし、「膝枕」なるものを箱の中から取り出した。

ずっしりとした重み。薄い絹の着物をまとった二つの膝が、正座の形で閉じられている。
大きさといいたたずまいといい、本物の女さながらの膝である。りんとして美しい。太郎は知らず、見惚れた。

「太郎さん、どうぞ頭を」

「え」

「乙姫様の膝の上に頭を乗せてみてください」

「そんな」

「乙姫様もそれをお望みです」

亀山のその言葉に、膝がわずかに動いた。巻きついた絹地きぬじが揺れる。
目を見張る太郎に亀山が言い添えた。

「その膝枕には人工知能が入っているのですよ。乙姫様のお人柄がそっくりそのまま移植されております」

「移植?」

「ええ、つまり……乙姫様はあのお城も、ご自身の体をもお捨てになられたのです。あなただけの膝枕として……生まれ変わるために……」

亀山の語尾が震えていた。

太郎は乙姫と竜宮城で過ごした夢のような時間を思い起こした。
遠い、遠い記憶。
本当に夢のようだ。
竜宮城も。
浜の小屋での母との暮らしさえも。

「お母様にはお気の毒なことをしました」

太郎の思考を読み取ったかのように、亀山がしんみりと言った。

「あなたの行方をさぞ心配されたことでしょう。竜宮城での時の流れが地上よりもはるかに早いことを失念していたわたしの責任です」

肩をすぼめ、背中を丸める亀山に、太郎は優しい声をかけた。

「いいんだ、それは。俺だってあの城で散々浮かれていたんだからな。おっ母のことなどすっかり忘れて」

乙姫の膝がまた少し動いた。
ふわりと揺れる絹地きぬじに誘われるように、太郎はゆっくりとそこへ上体じょうたいを倒していった。

乙姫の膝はひんやりとして心地良かった。
太郎のまぶたが自然と落ちていく。
亀山の声が聞こえた。

「わたしの役目は終わりました。もう海へ帰ります」

太郎は目を閉じたままうなづいた。
ほどなくして玄関のほうから、パタンとドアの閉まる音がした。

乙姫の膝は心なしかしおの香りがした。
冷ややかな絹地きぬじに触れる太郎の耳には、穏やかな波の音が、ざざーん、ざざーんと繰り返し響いた。








お読みいただきありがとうございました。

先ほど今井雅子さんから、このようなお言葉をいただきまして。

なななんと!
美声のみなさまに朗読していただける機会があるかもしれないなんて!
声フェチの私の膝が、喜びでガクガクと震えております。

読んでいただけるならぜひとも、お好きなタイミングでお使いください。ありがとうございます!

VIVA!HIZA!


clubhouseで朗読してくれた方の紹介

【追記】
clubhouseで朗読してくださった方のROOM URLを紹介します。replayで聴けるものもあるので、お疲れ気味の人はどうぞ美声に元気を分けてもらってください。イヤフォン推奨。

①小羽勝也さん

小羽さんは、テレビやラジオ番組、CMなどで活躍するプロのナレーターさんです。地声からすでにイケボですが、朗読に入ると「そこはもう別世界」。あらゆる感情が呼び起こされます。失神して倒れてもいいよう、ソファで聴くことをおすすめします。(朗読部分は15:00〜32:00あたりです)


②鈴蘭さん

鈴蘭さんは、clubhouseで毎日15:00から、主に「膝枕作品」を朗読しているそうです。毎日!すごい。トーン高めの地声がとてもキュートで、雑談は小鳥がおしゃべりしているようですが、朗読になると男性のセリフが突然低い声に変わって驚きました。かっこいい。(2作朗読のうち「姫枕」は4:35〜19:34あたりです)


③鈴蘭さん(2回め)

初回の朗読でご自身が課題とした箇所を、クリアするために読まれた2回めです。素人の私が聴いても、より洗練された印象を受けました。太郎が更にイケメンに、乙姫はいよいよ儚く。亀山の震える声が本当に泣いているようで、その演技力に感動しました。(4話朗読のうち「姫枕」は3:22〜19:10あたりです)


④金井将明さん

「膝枕」を初めて朗読してから1年が経った金井さんが、1周年を記念して「姫枕」を読んでくれました。聴き手であることが多く、今回は久しぶりに「読み手」になったそうで。声に緊張感があり、物語がスピーディーに展開していきます。選んでいただき光栄です。(朗読部分は10:10〜25:05あたりです)


⑤鈴蘭さん(3回め・4回め・5回め)

鈴蘭さんは毎日のようにROOMを開かれており、3回めの朗読時点で「#膝枕リレー」通算120回を達成されたとのこと。すごい!まさに継続は力なり。声で演じることをとても楽しんでおられる様子が伝わってきます。今井雅子さんの作品「箱入り娘白雪姫」で鈴蘭さんが演じた7人のこびとの声がとびきりキュート!そして男性キャラの声がイケボ!ぜひこの多彩な世界に浸ってください。


⑥わくにさん

clubhouseで有志が始めた「膝枕リレー」が、なんと500日めを迎えたとのことで、おめでとうございます!その記念すべき日に、わくにさんが読んでくださった姫枕。情緒たっぷりに、しっとりとした世界観を築き上げてくださいました。長年劇団員として全国を飛び回っておられたそうで、目を閉じて聴いていると、ホンモノの竜宮城へ連れて行かれるよう。ゆったりと癒やされます。


⑦わくにさん&鈴蘭さん

お二人で役割を分担し、朗読してくださいました!なんという贅沢。ナレーションと太郎の声を担当されたわくにさんが、抑揚や緩急をつけた朗読で物語を盛り上げる中、鈴蘭さんの亀と乙姫のセリフが息ぴったりに呼応し、彩り豊かな世界を築いてくださって。次の作品ではまた違った明るく楽しいキャラを演じられたお二人。演じ分ける力に脱帽です!


⑧櫻隼人さん&富永理恵さん

「いい膝の日」11/13に男女二人で読めるものを、と選んでいただきました。櫻さんは声のお仕事をされているプロの方。よく響く低音の渋いナレーション、短いセリフにも感情のこもった太郎のセリフに魅了されました。艶っぽい乙姫と、落ち着いた亀(亀山)を演じてくださった富永さんもプロ顔負けの演技力。二番めに読まれた江戸カップルのお話、お二人のセリフの掛け合いが楽しくて最高です!

最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。