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有松 祐梨 年表3

こんばんは、レッスン、ライブ終わりの有松です、こんばんは。


なんでこんな時間に書き始めて、“いける”と思っているんでしょうね。ばかなのかな?


というわけで、毎度すみません。



前回の、有松年表2 では、高校を卒業し、やっと憧れの東京に足を踏み入れるわけですが、そこからのお話をしようと思うと長すぎて(まあまだ東京に来て1年なのですがね。来年成人式♩)大変なことになりそうなのでざっと書いていこうかと思います。

書き始めたらとことん書きたくなる質なので、ざっといける自信はないですが、興味がある方は、隙あらば自分語りネキ こと 有松にお付き合いください。




高校を卒業して、東京に出てきたわけですが、東京に出るには何かしらの理由が必要ですよね。芸能界に憧れる私ですが、身一つで東京に行く勇気なんてものは一切ありませんでした。温室育ちのお嬢様なのでね。

という訳で、私は“とりあえず”服飾の専門学校に入学しました。

音楽大学を色々な理由で諦めたあと、“東京の”学校に行きたいな〜と、漠然と甘い考えをしていた私に、調律師やスタイリスト等、母なりに考えてくれた選択肢を私に出してくれました。ママ………。

調律師はピアノに関わるけど、もうピアノはいいやと思っていたし、未だ(高3)にオシャレが好きだった私は、スタイリスト学科のある学校に進学することを決めました。なんかキラキラしてそうだし♩(舐めてる)


という経緯で専門学校に入ったわけですが、1年生は基礎学科といって、広く浅く色々なことを学ぶことになります。ソーイング、デザイン画、パターン、ビジネス、スタイリスト、ファッション史、他にもあったかなあ?

その中で私は、パターンとソーイングが得意なことに気が付きました。デザイン画は本当に書けなかった。正確にパターンを引いて、正確に裁断して、正確に縫う。0から1を創らなければならないデザイン画は出来なかったけど、1から2.3のような、あるものを正確に丁寧に作ることは得意でした。


(これは余談ですが、ピアノを習っていたときもそうで、楽譜どおり正確に弾くことは得意だったけれど、その先の“表現”が本当に出来なかった。だから改めて、自分はそういう人間なんだとここで気が付いた気がします。これはのちに今のライブの在り方にも繋がってくるので、忘れなければ書きます())

基礎学科に入って、パターン、ソーイングが得意だと気付いた1年生。そして細かく学科が別れるのは2年生からでした。スタイリスト学科希望で入学したけれど、技術学科のほうが自分に合っていると思う。これで、スタイリスト学科、技術学科、どちらに進むか悩み始めました、18歳のつゆりちゃん。

今これを読んでいる人は、得意なほう(技術学科)に進んだらいいじゃん?と思いましたね?でも他にも悩む理由がありまして。

どんな理由かって?それは、



「アイドルになりたい!」



はい、出ました。“アイドルになりたい”


 



少し時は遡ります。東京1年目の夏〜秋頃。
私は欅坂46さんの「不協和音」に出会います。衝撃でした。それまで、アイドルはなんとなく好きだったけれど、そこまで興味はない。
今まで好きになったアイドルさんは、Fairiesさんとモーニング娘。'14さんでしたが、それはただの憧れのようなもので、彼女たちは小さな頃からスクールに通っていたり、それなりの環境で努力を積み重ねているから、ド田舎に住んでいる私には、なれる訳ない と、“なりたい”とすら思っていませんでした。


しかしそんな私の前に現れたのが欅坂46さん。それまでの坂道グループのイメージは、可愛らしい、綺麗だったのに対し、かっこいい曲をかっこよくパフォーマンスしていることを知り、驚きました。

そしてもうひとつ、平手友梨奈さんの声に惹かれました。


アイドルは、“可愛い声じゃないと、高い声が出せないと” が漠然と頭の中にあって。“自分はそうではないから無理なんだろうなあ、みんなかわいい声をしているんだろうなあ” と、元々諦めていたところに、平手友梨奈さんの歌声が耳に入ってきました。これで声の低いつゆりは、希望を持ちます。 


欅坂46さんに興味が湧いたので、冠番組も毎週観るようになりました。各メンバーを知っていくうちに、“この子たちは凄いパフォーマンスをしているけれど、このグループに入るまでは普通の学生だったのか…そんな子たちが努力であんなパフォーマンスをするんだ…” と感心すると同時に、それならば自分も頑張れば(グループに入れるかどうかは別として(舐めているわけではない))こうなれるのでは。と思うようになりました。



東京に来て学校に入学し、キラキラ芸能界の夢なんぞどんどん薄れていった中で見つけた、欅坂46さん。そこからはもう夢や希望で溢れ憧れる日々。毎日曲を聴いて、毎日動画を観ていたような気がします。




はい、ということがありましたが、一旦学校のお話に戻しますね。


「アイドルになりたい」これが進級に関して悩んでいる理由でございます。



もう、「アイドルになりたい」しか思っていない私は、“学校を卒業しても就職しないだろうな、うん、しません♩”  状態です。


まず“そんな状態で進級してもいいのか。どうせ就職はしないのに。学校を辞めるのなら今(1年生)なのでは。お金を出してくれる両親にも申し訳ないし” と思い始めます。

そしてもうひとつ、もし進級するとして、スタイリスト学科?技術学科?問題がありましたよね。これに関しては、なぜ悩んでいたかと言うと、スタイリスト学科はあと2年間、技術学科はあと3年間 通うことになるからです。本当は、進むのであれば技術学科がいいけど、“就職するつもりもないのに、3年間も通っていいのか?お金もったいなくないか?” これです。



が、冒頭でも言ったとおり、温室育ちのお嬢様 なので、辞める勇気もある訳なく…。ですが一応担任の先生に相談をしました。

アイドルになりたい。学校を(辞めたいわけでもないけど)辞めたい。もし進級するならスタイリスト学科?技術学科?どうしよう。と。

先生は、もし来年私が技術学科に進んだときにお世話になるであろう、パワフルな先生を紹介してくれました。(以下パワフル先生)


自分はアイドルになりたい、就職もしないのに技術学科に進んでもいいのか、をパワフル先生に相談したところ、「卒業しても就職せずに音楽をやってる人、好きなことをして生きてる人、いっぱいいるよ。イキイキとファッショナブルな人生を歩めたらいい」みたいなこと(うろ覚え)(大事なところ)(あんま覚えてない)を言ってくれました。


気持ちを受け入れてもらえたつゆりは、心の中のわだかまりが消えて、先生とお話をしたあとトイレに駆け込んで泣いたのをおぼえている。パワフル先生には感謝してもしきれないね……



そして、自分の中でも、スタイリスト学科より技術学科に行ったほうが、卒業した際に、「これができるようになりました!(服を作れるようになった)」が明確じゃん♩、と自分を納得させて2年生に上がるわけです。



1年生ながーい!これなら箇条書きのほうがラクー!




はい、そんなこんなで2年生に上がるわけですが、2年生に上がってすぐかな?なんと……




坂道合同オーディション開催!!!




年齢制限は20歳、つゆり19歳。これが最初で最後の挑戦だなと気合いを入れて、ダイエットをし、かわいい写真を送り付けた結果なんと、、、



書類選考落選!!!!




えー!!呆気なくつゆりの夢と希望に満ち溢れた日々は終わりを告げました。

受かるわけないことくらい、わかってる。
でも、もしかしたら……の未来の自分にワクワクし続けて。だからしんどかったー!呆気なさすぎるし!


でもきっと、選考が進めば進むほど、落ちたときのダメージは大きいんでしょうね。自分が望んでいる、もしかしたら…… がすぐそこまで来ているから。



そして年齢制限が20歳で、自分は19歳だったから、若くて、光る原石みたいな子がたくさんいるんだろうなあ、なんてポジティブ解釈をしていたのに、受かった子たちを見たら、同い年いっぱいいるー!あれれー!つゆりはー!となりました。^^



落ちてから少しの期間は、大好きだったグループの曲を聴けなくなっていた覚えがあります。現実を叩きつけられるから。
私と同じように普通に過ごしていた、普通の学生がキラキラ輝いていると思っていたけど、やっぱり自分とは違う世界の人たちなんだなあって。


でも受かった子たちを見たら、応援したくなるよね、同じ時期に同じ夢を見て一緒に戦った子たちだもん(おこがましいわ、書類落ちがよ!)
応援というか、リスペクトだね、本当に。



という訳で、呆気なく欅坂46さん、坂道グループさんに入る、という夢は閉ざされてしまうのですが、ここでへこたれないのがつゆり。




オーディションで話が熱くなっているところ申し訳ないのですが、就職するつもりもないのに進級したつゆりの話ですからね。これ。



学校では、特に目標もなにも無かったのですが、だからといって欠席したり遅刻したり、課題を出さないのは自分が許さなかったので、毎日しっかり授業に取り組んでいたような気がします。


仮に、私の良くない授業態度を見た人に、“だってあの子就職するつもりないらしいし、そんなもんだよね。”って、納得されたら悔しいから、最低限やることはきちんとやって、何も言わせないようにしていたと思う。



でも、モチベーションもなにもないのに、やらなければいけないことをこなしていくのはしんどかった。でもせっかく学費を出してくれて、通えているのだから、やることをきちんとやって楽しまないと勿体ない、とも思った。



そんなこんなで、2年生の終わりには担任の先生(パワフル先生ではない)からこんな言葉を頂きました。うれしい♩

せんせー!ありがとー!すきー!



こうして、中学のときに担任から言われた、「根拠のない自信があるところがお前の良いところだ」に、別の長所が追加されたわけです^^やったね^^



そんな調子で、真面目に3年生も4年生も過ごしました。



新学期になると、毎回担任の先生との個人面談があるわけですが、2~4年生、毎回の面談で「アイドルになりたい^^♩」と言っていました。
どの先生も、否定しないでいてくれてありがとうございました。



でもやっぱり、毎日必死に授業を受けていると、“夢”を忘れがちになりますよね。現実と戦っているから。



相変わらずモチベーションもなにも無いながらに、一生懸命学校に通っているわけですが、3年生の後半になると、つゆりの天敵!「就職」の話になってくるのです。


そこで改めて就職について考えることになります。東京に来てすぐの頃は、ずっと離れたかった地元の良さに気付き、“卒業したら帰ろうかな~~” なんて思っていたのですが、いざ、卒業が近くなると、“私はこのままでいいのかな?アイドルやらなくていいのかな?地元…?帰る…?本当に…?” となっていきます。



私は欅坂46さんや、地上アイドルになりたかった(バラエティーとか出てみたい)から、地下アイドル業界に足を踏み入れることなんて、これっぽっちも考えたことがなかったし、そもそも何も知らなかった(し、偏見もあった())のですが、4年生の冬に、とある地下アイドルグループのオーディションの広告が目にとまります。



曲を聴いてみたら、すごく良くて(自分が想像していた地下アイドルと全然違う)、衣装も可愛くて、雰囲気が坂道グループさんに似ていて、これは受けよう!と思い、つゆり人生初、地下アイドルのオーディションを受けます。


地下アイドルのオーディションに落ちるくらいなら、目指すのは諦めたほうがいいだろうな(地下アイドルなにも知らなくて舐めててごめんなさい)、と心の中で思っていたから、逆にプレッシャーがあったような気がします。()



まずは書類審査、合格しました。
今まで地上アイドルさんのオーディションは幾つか受けていたのですが、全部書類落ちでした。だから、書類通過のお知らせが来たときは嬉しかったと同時にホッとしたかな?


そのあとzoomで2次審査、対面で最終審査、可愛い服を着て、可愛い自分をアピールしようかと思っていたのですが、こちら側からしたら就活以外のなにものでもないので、リクルートスーツを着てオーディションに臨みました。



結果、4年生の2月末、卒業間近に就職先が決まったわけです、おめでとうつゆり。



卒業式の日に、担任に報告したら、報告した人の中で1番喜んでくれました、嬉しかった。



3年生のときの担任からは、「新学期の個人面談のときに「アイドルになりたい」って言ってたから、途中で学校辞めるんだろうなーって思ってた」と言われました。

そう!そう思われたくないからやることちゃんとやってきたの!へへ!



ちなみにうちの母親はと言いますと、「受かると思ってた〜〜」と言っていました。びっくりもしていなかったな…やっぱり当たり前に私が可愛いから…さ…



というわけで、東京に出てきて4年、紆余曲折ありながらも、第一志望?に就職が決まりました。



ここからどういう人生を歩み、何を感じながら何を思いながら生きていくのか。気になってくれた人はまた次回も読んでね^^




ここまで読んでくれてありがとう♩



またね〜^^

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