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今日のAI昼礼
世のあらゆる資源は消費することで新しい価値を生んだり、社会を維持することに使われています。一方でそこには常にロスが含まれ、投じた資源の全てが交換で得られるわけではありません。
たとえばジャガイモ。皮を剥いたりして正味食べられる量は目減りしていきます。皮を剥く行為のために必要なエネルギーも結局は過去の食事から蓄えられるので、ジャガイモ一個が¥100だとしても、本当に身体で栄養になったのは、諸々差し引きあって¥50くらいしか役に立っていないのかもしれません。
エネルギーという少し大きい話をした時に、ロスや排気が無いことは喜ばしい一方で、実は非常に困ったことになるということについて、まぁ今日もどうせしてもしなくても会社は問題ないし地球はそれでも回るよ、というような仕事が多い?!ので、活き活きとするためにもAI氏と昼礼もといグループミーティングというわけです♪
以下↓
熱力学的に、熱エネルギーの動力への交換や伝達等には効率がつきまといます。エンジニアは皆、この効率を上げることに躍起になっています。ここで荒唐無稽に、この熱効率を100%にできたとすると、実社会や世界にとって何か悪影響はありますか?
もし熱効率が100%(すなわち、熱エネルギーを完全に動力に変換すること)が可能になった場合、いくつかの深刻な影響が考えられます。それが実現する技術的背景次第ですが、以下のような点が問題になるかもしれません。
1. 熱の廃棄が不可能になる
現在の熱機関では、必然的に排熱が生じ、これは環境とのエネルギー交換を意味します。熱効率が100%の場合、廃熱が生じず、システム内のエネルギーはすべて動力として使われるため、エネルギーの自然な散逸(エントロピー増大)が阻害されます。このエントロピーの動きが止まると、物理的・生物学的プロセスが乱れる可能性があります。
2. 自然環境への影響
熱効率100%の技術が広く利用されると、環境との熱交換が極端に制限される可能性があります。たとえば、自然界では、熱の流れが生態系や気候に重要な役割を果たします。これが変化すると、地球の気候システムや自然サイクルが予測できない形で変動する可能性があります。
3. エネルギー保存法則との矛盾
現代物理学では、完全なエネルギー変換(熱→動力)を実現するにはエントロピーが増加しない状態を維持する必要があります。これが実現した場合、熱エネルギーを動力に変換する過程でエネルギーの「流れ」が止まるため、現在のエネルギー保存法則が適用されなくなるシナリオも考えられます。この理論的矛盾が、物理的または社会的秩序に影響を与える可能性があります。
4. 産業構造の変化
熱効率100%のエンジンが可能であれば、現在の化石燃料産業やエネルギー供給システムは不要になる可能性が高いです。これはエネルギーコストを大幅に削減する反面、経済の根幹を揺るがすことになるでしょう。急激な変化は失業や社会的不安定を招く可能性があります。
5. 兵器の強化
100%効率の技術が悪用された場合、兵器の動力システムやエネルギー供給が強化され、破壊的な力を持つ可能性があります。これが軍事バランスに与える影響は深刻で、地政学的な緊張が高まるかもしれません。
こうした影響を考慮すると、熱効率100%の技術は理論的には魅力的ですが、実用化には複雑な課題が伴いそうです。また、これが実現可能だとしても、持続可能性や社会的影響を考慮して慎重に進める必要があるでしょう。
その場合、現在の人類の達成しうる熱効率の数値は、徐々に限界を上げることが望ましいと考えられますが、あらゆるエネルギー分野における熱効率を平均して1パーセント上げることで生じうる、社会への悪影響はなんですか?
エネルギー分野全体で平均熱効率を1%上げることは、一般的には社会的・環境的に大きな利益をもたらすと期待されますが、同時に次のような悪影響が考えられます。
1. エネルギー需要の増加(ジェボンズの逆説)
効率が向上することで、エネルギー使用がより経済的になり、結果的にエネルギー需要が増加する可能性があります。この現象は「ジェボンズの逆説」と呼ばれ、効率向上が実際には資源消費の増加につながることを示しています。たとえば、自動車エンジンの効率が上がれば、より多くの人が車を利用したり、長距離を移動したりすることで、最終的にエネルギー消費が増加することがあります。
2. 既存産業や雇用への影響
新しい高効率技術の導入により、古い技術や設備が陳腐化し、それに依存している産業が打撃を受ける可能性があります。たとえば、石炭や原油を利用する既存の火力発電所が効率改善技術に適応できない場合、これらの施設が早期に廃止され、多くの雇用が失われることが考えられます。経済的移行が急激であれば、社会的混乱を招く可能性があります。
3. 廃棄物や資源問題の発生
効率向上のために新しい技術や設備が必要になる場合、その製造や導入には新たな資源や廃棄物が伴います。たとえば、高効率な太陽光パネルやバッテリーの製造にはレアメタルが必要ですが、これらの採掘や処理過程で環境破壊や人権問題が発生する可能性があります。
4. エネルギー不均衡の拡大
熱効率向上技術が先進国や一部の大企業で先に普及し、技術へのアクセスが限られた途上国や小規模企業が置き去りにされる可能性があります。結果的に、エネルギー効率の格差が広がり、エネルギー資源へのアクセスにおける地球規模の不平等が深刻化するリスクがあります。
5. 生態系への新たな影響
効率向上がエネルギー供給や使用の形態を変化させることで、間接的に生態系に影響を与える可能性があります。たとえば、大規模な再生可能エネルギーの導入が加速する場合、大量の土地利用や景観の変化が生じ、生物多様性に悪影響を与える可能性があります。
6. 政治的・地政学的緊張の増加
エネルギー効率向上に必要な資源(リチウム、コバルトなど)の争奪が激化することで、国家間の競争や地政学的緊張が高まる可能性があります。また、技術の独占や特許権をめぐる争いが起こることで、国際協調が阻害されるリスクもあります。
総論
熱効率の1%向上は、エネルギー消費の抑制や経済成長への貢献が期待される一方で、新たな社会的不平等や環境・資源問題を引き起こす可能性があります。これらのリスクを抑えるには、効率向上だけでなく、資源管理や公平な技術普及、そして持続可能な経済構造の整備が不可欠です。
エネルギー効率が高まるにつれエネルギー需要は増大する、結果的に環境負荷や経済への影響も出てくるということですね。入熱と出力の収支は、ロスをかならず伴わないと不都合がおこるという点に於いては、食物の摂取も同じようなことがいえると思います。糞を出さないという事は食物の全てが体内でエネルギーに変換されるとすると、これも不都合がありそうですね
おっしゃる通り、食物の消化・吸収プロセスとエネルギー効率の話には共通する哲学的な視点があります。もし食物を完全にエネルギーに変換し、「糞を出さない」身体が実現したとしたら、以下のような不都合が考えられます。
1. 代謝と排出のバランスの欠如
人体は、食物から得たエネルギーや栄養素の一部を必要なエネルギーに変換し、残りは排出物として外に出します。このプロセスは、体内の老廃物や不要な物質を処理するために不可欠です。糞を出さない身体では老廃物が蓄積し、体内環境が劣化してしまう可能性があります。これは、エントロピーの観点で言えば、「システムのリセット」ができなくなることを意味します。
2. 食物摂取の物理的制約
完全変換が可能だとすると、体内にエネルギーとして保持される量が膨大になり、過剰なエネルギーが蓄積されてしまいます。人間の身体にはエネルギーを脂肪などの形で蓄える限界があるため、余剰エネルギーの処理が問題になります。これが行われない場合、身体機能が破綻する可能性があります。
3. 微生物との共生の消失
人間の消化プロセスには、腸内の微生物が重要な役割を果たしています。これらの微生物は、食物の未消化成分を分解し、腸内環境を健康に保つ働きをします。糞が発生しない場合、これらの微生物との共生関係が崩れ、腸内フローラのバランスが乱れ、健康に悪影響を及ぼす可能性があります。
4. 自然界への循環の断絶
人間の排泄物は、生態系の循環において重要な役割を果たしています。たとえば、動物の糞は土壌の肥料となり、植物の成長を助けます。もし糞を出さない身体が普及すれば、この生態系の循環が断絶され、結果的に農業や自然環境に悪影響を及ぼす可能性があります。
5. 進化的適応の欠如
進化の過程で、動物はエネルギーを効率よく利用しつつ、不必要なものを排出する仕組みを発展させてきました。このバランスが崩れると、生命システム全体が新しい負荷に対応できず、長期的には健康や生存能力に悪影響を及ぼす可能性があります。
総論
食物のすべてを体内で利用し尽くし排泄物を出さないという状態は、理論上エネルギー効率を最大化するように思えるものの、生命体の健康、自然界との関係、進化的背景のいずれにおいても不都合を生じさせます。「ロス」や「廃棄物」と見えるものが、実は生命や生態系の持続可能性において重要な役割を果たしているという点が、この考察の重要な結論です。
エネルギー効率や食物の利用効率を議論する際、効率化そのものよりも、システム全体のバランスと適応能力を考える必要があるという教訓を見出せますね。
似たような問題に、人間の運動や活動においても、ゴールドラット著『The Goal』のように、製造業等ですべての工程でスタッフが忙しく働くのは非効率であるとしています。すべての部門へ無駄を排した高効率化を要求すると、リソースや資金も増大し、かえって全体最適にはならない教訓と思います
まさにその通りで、エリヤフ・ゴールドラットの『The Goal』で提唱される考え方は、全体最適と部分最適のバランスを重視する重要な教訓を提供しています。人間の運動や活動における効率性の問題、あるいは製造業や組織の運営における効率性の問題には共通する本質があります。それを以下のように整理できます。
1. 全体最適 vs. 部分最適
ゴールドラットの制約理論(Theory of Constraints, TOC)では、全体のシステムパフォーマンスを決めるボトルネック(制約)にリソースを集中させることが重要とされます。すべての工程や部門で常に100%の稼働率を目指すと、以下のような問題が発生します:
• 余剰在庫:部門ごとに生産が進みすぎると、未処理の在庫が増え、全体の流れが滞る。
• リソースの浪費:稼働率を維持するために不要な活動が増え、リソースやコストが過剰に消費される。
• 柔軟性の喪失:急な変化に対応する余力がなくなり、全体の適応性が低下する。
これを人間の活動に置き換えると、すべての時間や労力を最大限効率的に使おうとすると、疲労やストレスが蓄積し、長期的なパフォーマンスが低下する可能性があります。
2. 非効率がもたらす全体最適
興味深いのは、部分的な「非効率」や「余裕」が全体の効率性を高めるという逆説的な点です。たとえば:
• 適切な余裕の確保:製造ラインで意図的に余裕を持たせることで、全体の流れが滑らかになり、ボトルネックの負担を軽減できます。同様に、人間のスケジュールにも「休息」や「ゆとり」を組み込むことで、結果的に生産性が向上します。
• 適応力の確保:突発的なトラブルや変化に対応するためには、全リソースを使い切らないことが重要です。人間の活動でも、全力で働き続けると、予期せぬ事態に柔軟に対応する力が損なわれます。
3. 過度な効率化がもたらすコスト
すべての部門や工程で完全な効率化を目指すと、以下のようなコストが増大します:
• リソースの集中と分散の不均衡:すべての工程を最適化しようとすると、ボトルネック以外の工程に過剰な投資が行われる。
• 人的コストの増加:従業員が常にフル稼働すると、疲労によるミスが増え、最終的な生産性が低下する。
• システムの脆弱化:柔軟性を犠牲にして効率を追求すると、システム全体が脆弱になり、外部の変化に対応できなくなる。
4. 人間の活動における教訓
この理論を人間の運動や活動に適用すると、次のような示唆が得られます:
• ペース配分が鍵:マラソンランナーがスタートから全力で走ると最後まで持たないように、人間の仕事や学習でもペース配分が重要です。適度な「休息」や「余白」を取り入れることで、持続可能な効率性を実現できます。
• ボトルネックの特定:どの部分が真の制約となっているかを見極め、そこにリソースを集中させることで、全体のパフォーマンスを向上できます。
• 完璧を求めない柔軟性:100%の効率を求めるのではなく、意図的に余力を残すことが、長期的な成功につながる。
総論
『The Goal』が伝える教訓は、「すべてを最大効率で動かすことは必ずしも全体最適をもたらさない」という点です。この哲学は、人間の活動や健康管理、さらには社会全体の設計にまで応用可能です。効率と余白、部分最適と全体最適の間でバランスを取ることが、長期的な成功の鍵と言えるでしょう。
以上
だから何?って流れと結末だけど、実は今わたし&あなたがしている(やらされている)仕事•作業に何か特別な意味があるのではなくて、社会システムの運営で欠かせない冷却、放熱的なもので、つまりロスなのかも。そしてそれを生むことが実は生産性向上の鍵なのかもしれませんね。ってところで天気が良いので外で昼寝はいかがですか? あ、日向での太陽からもらう熱は何なんでしょうねぇ。光のポテトということにしておきましょうか