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我取出了外套的棉花嗎?

※和訳:私はコートの綿を抜けましたか?
四月一日の私を振り返って。初めの方は当日に書いています。
晴れやかな空気に水を差したくなかったので、後日投稿としました。写真だけは本日4/5に付け加えました。

昨日は入社式用のリクルートスーツや靴をまだ買ってないという強者(先日の中国人留学生の子)、、、

に青山、はるやま、SUITS SELECT、abcマートのリンクを送り、「日系の新卒女子は就活と同じファッションが無難、しばらく着飾るのは待つべし」という術を急いで伝授しました。日本の悪習に驚いていました。

いろんな意見があると思いますし、割と私は合わせつつも信念を貫き通すタイプなんですが、

なんかそんなことで優しい友達が誤解されたり嫌な思いをするの、嫌なんですよね。

夜は寝付けず後輩のES添削。私の血と汗と涙の結晶である就活ノートと自作の志望企業管理用エクセル表を託したんですよ。魂を預けたようなものです。

自己表現が苦手な子だからこそ、彼女の長所や魅力がちゃんと会社に伝わってほしいな。

、、、


でも、私、今年度入社できないんですよね。

昨日まではなーーんにも考えてなかったのに、今朝になって急にふっと寂しさや哀しさが顔を覗かせました。

やっぱり、たくさん考えて考えて受けて、受かった会社だから。

色んな企業のインターン、受けて受けて受けまくって、説明会、聞いて聞いて聞きまくって、選考も蹴って蹴って蹴りまくって。

この会社から初めて内定をもらって、他は全て宣言通りその日に辞退して。

内定承諾前に入籍の事も相談し、心の病や過去の経験も不利になるかもしれないと思いながら話して。

その答えが「待ってくれる」なのかもしれない。

、、、

でも、

もし元気だったら、今日はここではなくあの場所にいたはず。

もし元気だったら、夜は同期と飲みに行っていたはず。

どこが私の限界だったのか、どこまで頑張ればよかったのか。

休みがちだったり不登校になりかけたり休学したり、何とか足掻いてギリギリまで「日本の基準」にしがみついた。
海外に行く自信なんて、フリーランスを始める勇気なんてなかったから。

診断書は最も必要で最も邪魔なものだった。

会社の人たちは、休んでほしい。元気になってから働いてほしい。と言ってくれる。

正直今までの人生、贅沢な悩みだと言われてしまうことが多い。

しかし、その贅沢の裏には、何倍も何十倍も暗い深い闇があることは、大抵の人にはわからないし、理解したとしても受け入れられないようだ。

私は贅沢を贅沢で終わらせるために、暗闇と対峙しなければならないようで。

正直、気持ちの持って行き場がなくて辛い。

霞んで見えるのはフィルムのせい。太宰府にいました。
年に一度くらいは訪れます。

追記
珍しく暗ーいまま終わりました。
お焚き上げ、完了しましたので、もう大丈夫です。
こんな気分の時、文章は書かないようにしているのですが、今日ばかりは、ね。
身近な人たちには一番言えないんですよ。こういうの。

はい。ここまでが4/1当日の気持ちです。ちなみにこの記事は4/2に書いています。

この記事を書いた後、午後3時ごろかなあ、ホテルでお薬を飲んで(ちゃんと処方されたものです!ご安心ください〜)眠りにつきました。

母「叔父が遺品整理行かなくて良い、って。ああお薬飲んだのね」
夫「ああお薬飲んだのね、お休み〜」

とだけ途中電話があり、、

今朝起きました。スマホを見ると、母は三度、夫は一度通話履歴があり。

どうやら記憶がまた飛んでしまったようですね。夫曰くすぴーすぴー寝息が聞こえた、らしいですが笑

母に電話し、四月一日が辛いことを言うと、
自分の選択でしょ!
と言われ、電話したことを後悔し、

夫に泣きながら電話しました。夫ありがとう。
そこで初めて気持ちが落ち着きました。

ああ、早くに結婚するなんて、学生結婚なんて、周りに言われますが、
それなりの理由があるんだなあ、と後から気づいたり。

スーツの友人に今天加油!(今日は頑張ってね!)とLINEしたら、パンプスが大きすぎて困ってると返信があり、、調べながら対処しました。

彼女たちはデリカシーがないと言えばないけれど、自分を大事にできなければ他人も大事にできない、と人は言うけれど。会社の人にも言われたけれど。

私は出来る限り、周りも助けて自分も助かりたい。

大事な人たちを助けることで自分が助かっている、エゴかもしれない。

でも人間の行動なんて所詮全てエゴだから。

一、ニ年だけ、専業主婦及び療養者及びギャップイヤー生及び就活浪人生、、

いや、何者でもなく私として生きてみようかな。

ブダペストにて。ブダ+ペストでブダペストらしい。
だからあれはブダ城。

※追記(本物)
実は結婚しています。相手は5歳上の台湾人で、今は日本に住んでいます。

私は治療を始めてからは実家と夫の家を行ったり来たりしています〜(まあまあ近いので)

会社には学生結婚をしても良いか、内定承諾の際に聞きました。病名や現在の状況など、出来るだけ全て正直に話しました。

、、切ろうと思えば切れるのに。人事の方々は、助けてくれました。リスクを取りながら、私を信じて。

しっかり休んで、元気になって、家族との関係を整理してから、働こう。絶対その方が楽しいよ。
と。ついに泣きました。

絶対に元気になって、働いて、人を助けたいな。

ここまで読んでくださりありがとうございました。ちなみに今はなんとか元気です🌸

インスタもちょっとオープンにしようかな、とプロフィールに載せてみました。夫との旅行や生活がメインです。よろしければ。








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