日本人は、本当に欧米人に比べて主張しない国民なのかー犬猫にたとえてみる
よく、欧米人ははっきり主張するとか、海外で意見を言わないと脳内に何もないと思われて、不可解な人と思われる、とか聞きませんか。
一方で、日本人は意見があっても言わないし、感情も露わにしない、と。無言の圧力とでも言いますか。同調圧力とも言いましょうか。空気読めよ、って感じですよね。
北米とフランスに計20年以上暮らした私の見解としては、欧米/欧州人が日本人より主張するとか意見をはっきり持っているというより、単純に双方の「表現の仕方」が違うだけなんじゃないかなと思うようになりました。
私はこれを、日本人はねこ型、欧米人はいぬ型、とカテゴリー分けしています。
まあ、ざっくり言って、ですよ。
犬って、表現がストレートで、大袈裟なのか本当に喜んでるのか分からないけど、とにかくワンワン吠えたり、激しくしっぽふって走り回ったり、見ている人からしたら、いわゆる分かりやすい感情表現だと思うんですよ。
一方のねこは、ふと見るとジッとこちらを見てたり、名前を呼んでも出てこないでカーテンの裏に隠れてしっぽの先だけチラ見させてたり、飼い主だけにしか見せない顔を持っているのがねこちゃんって感じですよね。
ここで言えるのは、ねこちゃんもわんちゃんも、どっちも気持ちを表していると思いませんか。
犬派の人は「ねこは感情がない」と決まって言う。
猫派の人は「犬のキャンキャンした感じがウザい」と言う。
犬好きさんには、犬の元気なアピールが可愛くて、ねこのアピールが見えないだけなんですよね(私はがっつり猫派ですが)。体いっぱい表現することと、嬉しさの度合いとかが比例していると思うタイプなんだと思います。そのまま人間関係でも、犬派の人は、思ったことをストレートに言ったり、喜びとか怒りとか結構はっきり表現している印象があります。言わなきゃ分かんないじゃん、というタイプだと思います。
猫好きさんの多くは、ねこのさりげないアピールが愛おしいし、大袈裟に表現するからって何?って思いますよね。ネコ的アピールが好きなので、それをきちんと見つけれるし、ネコだって喜びとか怒りとかを体いっぱい表現することもある。それはただ犬のキャンキャンとは違う、というだけで表現してるんだよ、というのが猫好きさんの主張。ただ、人間関係においても、「いちいち言わないでも気付いてよ」ということになってしまいがちですよね。
こうして書くと、一概には言えないけど、犬は男性的、猫は女性的ですよね。
さて、話を冒頭の話題に戻すと、大まかに言って、欧米人はきちんと主張しないと分かんないよ、という犬タイプで、日本人は言わなくても分かってるでしょ、と言った感じの猫が多いのかな、と。
しかし、じゃあ日本人て主張しないの?と言うことになると、そうとは言えないと思うのです。複数の日本人と話し合いなんかすると、空気を読んで黙ってたりするけど、ひとりずつ話を振ると、みんなそれぞれ意見は持っていますよね。
もうひとつに、意見を言う訓練がなされていたかそうでないか、の違いだと思います。アメリカやフランスの大学で、授業で意見を言ったり質問したりする子は、実は決まって毎回同じ生徒がする傾向がある。先生がランダムに指せば、誰でもそこそこ話せるのは、それこそ訓練の結果であり教育だと実感しますが、みんながみんな手をあげて意見を積極的に言ってる訳でもないんですよ。日本人から見て外人は主張する、というのはあながち間違ってはいないけど、そういう教育があってそれが出来るというだけで、何もみんなが声高に発言する訳じゃないんですよ。
日本でも、先陣切って話し始めるタイプっていますよね。でも、おとなしい人にも話を振ったら「私はこう思いますが」って絶対意見は持っていると思います。ただ、欧米では教育上、主張をすることを教えられ(それがどんなアホに聞こえても)、結果的に犬的な人が多いように見えるんだと思います。逆に、日本では、阿吽の呼吸じゃないけど、猫のようにあまり大声で叫ばないでも察してよみたいな風潮があるのかな、と。
なので、海外で日本人はおとなしくて何を考えてるか分からない、という人に会ったら単に犬的人間だと思えばいいと思います。海外にも猫的人間はいますし、日本にだって犬的人間いっぱいいますよね。ゆっくり時間をかけて話せば、日本人にも主張や意見があることは伝わるし、逆に外人の前で意見言わなきゃって力むこともないと思います。日本人はおとなしくて意見がない、というのはあちら側の偏見ですが、外人がはっきり主張するというのもまた、日本人が外人に持つ偏見だと思いますしね。
補足ですが、犬好きさんやワンちゃんをディスってるように聞こえてたらごめんなさいね。きちんと考えを言えることは能力ですから、猫的人間からしたら羨ましい部分もあるんですよ。