風情があるということ
7月4日は、アメリカにとって一番大きな国民の祝日です。
7月14日は、フランスの革命記念日で、こちらも一年の中で最も重要な祝日となっています。
どちらの祝日でも、大きな花火が上がります。
人々は皆フィーバーして、
「Fo〜!」と叫びながら、その晩を楽しみます。
私は、どちらの花火も見たことがあって、まあ、住んでいるからなんだけど、一緒になってお祭りムードで騒いだりもしました。
よく、日本の花火の技術は素晴らしく、海外で花火を見るとなんだか色彩に欠けるし、華やかさもちょっと落ちる、と聞く。
確かにそうなんですよ。ちょっとちゃっちい感じがする。
でも、私が海外の花火に一番欠けていると思うものは、
「風情」だと思うんですよ。
花火を上げている理由が、
季節を彩る、季節を楽しむ、そういった四季を愛しむ行事だったり、
季節感を大切にする気持ちからではなく、
オレたちの国スゴイぜハッピー!みたいな、お祭りムードなのもあるんだと思うんですが、
日本人なので、花火を見ると「夏」を感じるし、同時に昔行った夏祭りや、山登り、蝉の声や、そうめん…。
そういった四季や自然とのつながりや、それに伴う感情というのが、海外の花火を見た時に湧き起こらなかった。
花火を見るために浴衣を着て、うちわも持って、
ああ、夏だね。
といったあの感覚。
風情を感じる、という「感覚」こそ、
日本人が持つ美しさなのかな、と思いましたね。
日本で暮らしていた頃は、こういったことが当たり前で自然だったので、
それが日本特有の風習や、それこそ感覚であることに、
海外に出て初めて気がついた。
虫の声が聞こえたり、赤トンボが飛んでいたり、ススキが風になびいていたり、
自然の音や、季節ごとに行われる行事など、
四季を意識し、何気ない日常に見える移り変わりを楽しむ。
わざわざ森や山に行かぬとも、そういった身近にある季節を慈しむことは、
日本の文化において素晴らしいものだと改めて思います。
風情だとか、情緒あふれる、趣がある、といった、
日本人が何気なくよく使い、移りゆく季節をちょっと哀愁を込めて表現する言葉は、英語でもフランス語でも、やはり適切な訳しがないように思います。
線香花火は特に、風情と哀愁の塊のような気がしますね。
今年も、まもなく革命記念日の花火が見れますが、
今回は、日本の夏に想いを馳せながら鑑賞したいなと思います。