文字だらけの低度情報化社会・言葉の海を泳ぐ
文字だらけ、言葉だらけである。インターネットが普及する事で圧倒的に文字情報が増えた。これが出鱈目な事や気分次第な物や、発した人間がさして何も考えてない物ばかりだったら、まだどんなに楽だったろうか、と思ってしまう。実際には「正義は我にあり」と言わんばかりの強い言葉や、マイノリティ故に声を大にして叫ぶ物なんかも沢山あって、考えなしに聞いていればうっかりと流されてしまいそうになる事もままある。
ままある、と言うのは個人的な事であって、大多数はそのままその大きな波にそのまま流されて居るのが分かる。そんなんで大丈夫かよ、と思いはするが、かと言って大して何かを発する事はして来なかった。面倒くさくて。
そんな中、「やっぱり何かを発してみようかな」と思ったのは、〈noteを始めた理由〉に書いた通りである。
2020年、今の時代は言葉の海で溺れてしまいそうな時代なのだ。
これを読んでる君はいつの時代の人間なのだろうか、世の中はどうなっているのだろうか。
それでも、この大きな情報と言う言葉の海が簡単に穏やかになるとは考えにくい。
実際に溺れてしまった人も沢山いる。
その時にどんな波が起きたかという具体的な話をするなら、フェイクニュースなんかが良い例かもしれない。
そのフェイクニュースに乗せられた人間はみんな溺れた、と言う訳だ。情けなやと思う半分、仕方ないかと思う半分。世の中の人間は、そんなに自己を持って生きてはいないらしいからだ。人間は波に乗って流されて生きるのが普通、それが群れで生きる生物と言うものであって、いちいち何
かに引っかかっていたら、身体中が傷だらけで身が持たない。そんなのは思春期で終わらせておくべき事なんだろうが、残念ながらそれを引きずって大人になって、それでもまだ上手く流されて生きられない人間もいる。
この自分がそうなのだ。
そして、このnoteは、そんな自分みたいな人間の為に書こうと思って書いている。
周りを見渡した時、「自分だけが変なんじゃないか」と思う事は、生きていれば経験する事だろう。だが大抵はそれはみんなが感じている事で、しばらくもすればちゃんと流れに乗れる物なのだ。だけれど、本当に独りだって事もある。思った事をこの広大な言葉の海を検索しても見つからなかった時のように。その事に他者とは違う優越感を感じられるならそれを大切にすると良い。
けれど、漠然とした不安を感じる人もいるだろう。そんな人に、少しでも寄り添えれば良いな。
突然、夜寝られなくて漠然とした不安に捕らわれた時、この文章があって良かったな、と思って貰えるような物が残せたらと思っています。