命の話その1。もしくは死刑、の話。

お久しぶりのnote更新。

なんかねー、人死にの話題ばかりの世の中な訳で、そこら辺の事やスタンスを書き留めておくかなあ、みたいな時にちょうど死刑制度の話があったので、死刑制度の話からスタートですよ。
死刑制度ねえ。
んー。
まず最初に。
よく、
「被害者や被害者遺族の気持ちになって考えろ!」
って言葉が出るけど、これは正しい判断を損なう。
それは同時に、
「加害者や加害者家族の気持ちになって考えろ!」
と等価だからなのだ。
そもそも、当事者として考える必要はないし、考えたらダメな事なのだ。
あくまでも第三者として冷静でいなければならない。

法を私情で考えてはならない。
そんな事したら、
「おれの店で万引きしたヤツは死ね!全員死刑!」
も、まかり通ってしまう事になる。
よく考えればみんなそれではダメである事が分かると思うのだが…その前提が
イマイチ理解して貰えない事もあるので書かなければならない。

次に、
個人的にはどういうスタンスかと言うと、
被死刑求刑者に対して
・終身刑賛成
・死刑反対
・治験参加賛成
である。
これも理由を書かねばならない?
そりゃそうか。
誰もが自分と同じ考えである訳じゃないもんなあ。
まず、人が人を殺すのはダメです。
もう人類は早いとこ、同族殺しから脱却しなきゃダメです。
目には目を、と言う思考停止した概念は捨てないと。
文化が発展しないと思いませんか?
戦争が無くならないと思いませんか?
報復は何も生まない、と言う言葉は正しくはないと思う。
報復による達成感というものは現実に存在はするでしょう。
でも、それは被害者の立場での話。
上記の様に、第三者がそれを羽交い締めにしてでも止める必要があります。
そして、報復以上の何かを与える事を第三者の責務としなければならない訳です。
それが文化の醸造です。
あれ、これって先に『人権』の話をしなきゃいけない事になるのかな…

打って変わって3番目の治験参加の話は分かりやすいんじゃなかろうか。
「他人の人権を奪った者には人権など必要ない」
なんて思ってる人には特に。よく聞くでしょそう言う話。
かと言って無理矢理はダメよ。
無理矢理って事になると、薬学者が人権侵害をしなければいけないって事になるからです。
なので、自ら進んで参加したい、っていう反省してる人向けの物ですね。

なんかもうここまでの話の時点で世の中の大多数には理解してもらえないんじゃないかなー、という気がしてきた。
そりゃそうだよね、みんな感情むき出しで生きてるもんね。
だからダメだっつってんだけど。

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