クリエイターの自分、flowの自分
こんにちは。長尾早苗です。
昔、ミヒャエル・エンデの『モモ』という小説に影響を受けて、『モモ』の中に出てくる詩人、「ジジ」という名前で活動していた時期がありました。
ジジは陽気で若く、有名になりたいと願う欲が誰より強かった。同じ物語を二度繰り返さないということで、観光案内ガイドとしてこの町の物語を次々と生み出しては、ツアーガイドとして日々その日暮らしをしている青年です。
ジジはとにかくしゃべる。いわゆる「クリエイター」と呼ばれる人なんだと思う。モモは、ただ「聞く」だけ。でも、モモがいることによってその場の空気が生まれて、世の中がうまくまわっていく。
モモは、「flow(フロウ)」の女神だと読んでいて思いました。もともと故郷もなく、ただ世の中を流していく役割としてモモは生きている。
世の中には、クリエイターのジジタイプの人と、フロウのモモタイプの人がいるんだと思う。それで、面白いことに世の中がまわっていく。
自分の中にもきっと、クリエイティブな自分とフロウな自分がいるのだと思います。自転車や自動車が安全通行をするために、そのアクセルとブレーキがどちらも自分の中にも、家族の中にも、組織の中にもできているのではないかと最近思いました。
児童文学を読んでいて、わたしが最初に好きになったのはミヒャエル・エンデでした。わたしもこういった物語を書ける人になりたいとずっと思ってやってきた。
今、フロウの自分が見えない状態になっていました。クリエイティブな自分は多分にあるのだけど、それを実行するチカラというか、世の中に流していく仕組みが見当たらなかった。
やり方ってたくさんあって、クリエイティブのやり方も、フロウのやり方もほんとにたくさんあるのだと思う。
わたしはSNSやPodcastやYouTubeと活動の幅を広げてはいるけれど、肝心なflowのやり方を忘れないでいきたいな。
時間はたっぷりある。けれど、やりたくない理由はあるにはある(めっちゃくちゃある!)けれど、やりたいことがある自分をあきらめたくない。
病を持っていても、障がいがあっても、社会は安心安全に働ける「やり方」を共有しようとしてくれている。福祉とか医療をハブにして、働ける「やり方」は幾通りにもある。
わたしたちが安心・安全に暮らして生きることができるようにするには、世の中はデザインされていないけれど、そういうデザインの中でどう生きるのかが問題なんだと思う。
がむしゃらに走らなくていい、走れなくていいから、今できることをがんばりすぎないでやっていきたいと願う今日この頃です。