【詩人の読書記録日記】栞の代わりに 9月26日~10月2日
はじめに
こんにちは。長尾早苗です。秋分を過ぎ、お彼岸を過ぎ、だんだん秋らしくなってきましたがみなさんどうお過ごしでしょうか。季節の変わり目なので、お大事に。今週も平和な心でいられますように。
9月26日
締め切り開けだったけれど睡眠不足。昨日行けなかったスーパーなどで気分転換。ganbarimasu!!町田そのこ『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』回送中。今夜は秋鮭ときのこの炊き込みご飯にしてみました。新作エッセイ1本。
・深緑野分『ベルリンは晴れているか』筑摩書房
舞台は戦後のドイツ。蔑まされ、大変な目に合う少女アウグステの成長と共に描かれていくミステリーも多分に含んだ小説になります。戦争というものはすべてを喪うことなんだなと思いました。それは大切な人であったり、自分の「良さ」であったり、人として当たり前に生きる権利だったり。そういうものをしっかりと持って生きていくことが必要だから、人と人は憎しみ合うことなく、生きていきたいと思います。
9月27日
季節の変わり目なので少しバテ気味、ですががんばれました。新作1編、新作エッセイ3本。
・武田百合子『犬が星見た ロシア旅行』中公文庫
愉快なロシア旅行ですね。武田百合子さんは武田泰淳の妻で、当時だからこその時代性もありましたが、彼にあだ名で「ポチ」と言われていたのを懐かしがっていたそうです。彼女の書く文章は日記なのですが、まなざしと文章が即物的で、きちんと冷静に客観的に物事をみている。そこに色気などはなく、感情的にもならない。その「世の中の面白さ」が一貫してこの一冊のロシア旅行日記を作り上げています。泰淳に書くことを勧められ、最初に書いたのが日記、というのはわたしにとっても救いでした。記録は大事。毎日書くことは大事。本当にそう思います。
・伊吹有喜『風待ちのひと』ポプラ社
こころがなんだか疲れたなあと思う時にしんみりしみてくる本。この季節の変わり目は、誰だって体調を崩しやすいです。気温や気圧の変化に、体も心もついていかないひとが多いでしょう。そんなわたしたちにとってもやさしい卵がゆのようにしみてくる「生きる喜び」をもう一度教えてくれる物語。家族が破綻してしまって休職中の39歳の哲司。彼を救ったのはひと夏の海辺町での出来事でした。生きているとたくさんの困難が待ち受けていますが、立ち向かっていく静かな勇気を与えてくれる小説です。
9月28日
今日は朝2時ごろから移動図書館の時間まで執筆。エッセイ8本。わたしのこと、について散文的に毎日生きているので、それを即物的に作品にできるのがエッセイの楽しい所です。いつか(いつになるのかわかりませんが)たまってきたら紙媒体で公開したいなと思っています。百年後に残るものを日々作っていきたい。武田百合子『あの頃 単行本未収録エッセイ集』、同じ著者の『富士日記 不二小大居百花庵日記 上』予約。
・谷川俊太郎『ひとり暮らし』草思社
毎朝毎朝、違った日々をわたしは生きています。たぶんそれはわたしが若いからだともいえますが、日々を記録しておくとどんなにつらい日でも、今わたし、こうして生きているということが素晴らしく思う。谷川さんはわたしにとって神様のようなひと。毎日を大病もせず、「いつも通りに」生きている日々の方がどんな生き方よりはるかにドラマティックだと彼は語ります。そうだと思います。そうであるべきだと思います。いつも通りに過ごしていることの大切さを、改めて実感する随筆・日記でした。
・松浦弥太郎『ベリーベリーグッド』小学館
弥太郎さんには毎日お世話になっています。「くらしのきほん」というウェブサイトを、毎日見るようになって数か月。それと向き合う中で、わたしにとって「わたしのきほん」とはなんだろうと思い始めました。毎日心を動かして過ごすということは、難しいし大変です。でも、毎日手紙を書くように、相手に恋するように文章を書くということこそ、物書きの醍醐味ではないかと思います。だからこそわたしは毎日、noteという媒体で読書から得た日記を手紙にして書いているんです。弥太郎さんの手紙はすべてが静かな愛に包まれていて、そうしてその文章がまとまった本はすてきだなと思いました。
・角田光代『月夜の散歩』オレンジページ
おいしいものはおいしくいただきたい。角田光代さんのエッセイを読んでいるとおなかがすきます。わたしは一日の始まる朝も大好きなのだけど、静かに過ごす夕食のあの三十分が忘れられなくて。わたしにとって得意料理と好きな料理はカレーライスです。小さな時から変わりません。我が家では毎週三回は昼にカレーを食べるのですが、同じルウでも同じ食材でも、あんなカレー、こんなカレー、と思い出すと全部違う味に感じます。そして夕食に残ったカレーを食べる時の至福の感情。そういったものと料理と暮らしは切り離せないと思っていて、なんだかほっとしました。
9月29日
武田百合子『あの頃 単行本未収録エッセイ集』回送中。昨日はオーバーワーク気味だったみたい。地域のセンターの「リユース図書」に読まなくなった本を持っていったら喜ばれました。わたしの本、図書館勤務時代のなごりがあって仕事の練習用にラミネートがかかってるのでブックオフとかで売れないんです。なんだか本を誰かに手渡したほうがいいかなあと思いまして。服もどんどん着なくなったものを整理しました。
・安野光雅『少年時代』山川出版社
みなさんは、どんな幼少期を過ごしたのでしょうか。安野光雅さんのこの随筆が書かれたのが2015年。震災後になります。それでも、震災を4年過ぎてから書きたかったものがあったというのは物書きにとっても励みになります。わたしの幼少期は「ノストラダムスの大予言」がめちゃくちゃ流行って、それでも2000年を生きた時は小学生ながらも、自分が日々生きているということが面白くて仕方なかった。毎日が楽しかったように思います。きっと、毎日「明日が最後の日かもしれない」と緊張していた糸がほどけたんでしょうね。安野光雅さんは戦中の焦土を過ごしましたが、それでも「スタート」と思っていたそうです。毎朝毎朝はじまりはやってきます。それは、何もないという昨日があったから。絶望は希望のはじまりです。
・カレル・チャペック 飯島周編訳『未来からの手紙』平凡社
カレル・チャペックは相当インテリな人だったようです。彼が預言した未来は結構的中していて、それはなんでだったんだろうと考えました。彼は新聞社に勤めていましたから、実際仕事で「今現在」を見るしかなかったんですね。今現在って、過去の歴史が作り上げているもので、その今現在が積み重なって未来になっているわけです。だから、SFというジャンルは過去の歴史とか「リアルタイム」を重んじるひとでないと書けない気がする。未来だから何を書いてもいいというわけじゃないんです。だからこそ、1930年代から1945年以降の世界情勢、政治情勢を見ることができたのかもしれません。
・司修『本の魔法』白水社
装幀家って、相当大変な仕事ですね。まず、作者が生きていたらその作者の人となりを知る。そしてテキストにおいて描かれた作品からたくさんのアイデアを出していく。毎日毎日、本を読まなければ、そして本やテキストが本当の意味で好きではなければ装幀という仕事はできません。表紙や本の作りって、そういうふうにできていると思うんです。たくさんの人を知り、たくさんのことをテキストから学び、そして自分の脳と常に格闘している感じさえ受けました。だからこそ、人脈が広い方が多いのかなと思います。
9月30日
今日からがんばらないと、という日々が続きます。とりあえず自分のためにも、家族のためにもおいしいものを用意してわたしのからだも家族もがんばってもらわないと。今日も図書リユースに行ってきました。57冊も読まなくなった本があった……大切な本を選ぶ作業も大変ですが、押し入れにはもっとある……。できるだけ身軽に生きる暮らしをしたいです。武田百合子『富士日記 不二小大居百花庵日記 上』回送中。服を断捨離できてすごくうれしいです。
・町田そのこ『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』新潮社
4か月待ちました……本屋大賞を取った著者の本なので、すごい人気だったんです。読むのを楽しみにしていました。まなざしがとてもあたたかく、そして最後に希望に持っていくという作者の意志を感じました。女性として生きること、母から娘への思い、そういった問題提起がすべて「海」「魚」という「水」を想起させるものへと向かう短編小説集です。ひとはだれしも海から生まれました。そしてわたしたち女性は本当に海になるのです。いつか誰かを愛しく思う気持ちがあたたかく描かれていました。
・ヘスス・カラスコ 轟志津香訳『太陽と痛み』早川書房
罪ということ。それでも生きていくということ。少年が何かを踏み外し、逃亡するところから始まるスペイン文学です。しかし、彼はある老人と出会い、次第に心を通わせていきます。老人の正体はわかりませんが、何もかもに絶望した少年に「それでも生き続けること」を問うていきます。罪における少年の罰は、自分自身に課されたものでした。そこで彼がピリオドを打たなかったのは、冷静でそして滋味に富んだ老人の一言ひとことがあったからのように思えてなりません。
・マリリン・ロビンソン 篠森ゆりこ訳『ハウスキーピング』河出書房新社
とても美しい描写が鮮烈な一冊でした。死者が眠る湖。そこで「家族を喪失した」登場人物たちの悲しくも美しい物語が紡がれていきます。母から子へ。子から孫へ。三代にわたった女性達を貫く愛と失ってしまったもの。題名の「ハウスキーピング」から主婦・主夫の物語かなと思ったのですが、それよりもスウィートホーム、帰る場所としての「ハウス」という居場所が描かれていると思いました。
10月1日
深夜と呼ばれる早朝にゲラのチェックを終えた原稿を提出しました。先日お伝えしたクラウドファンディング、ご支援いただいたみなさま、本当にありがとうございました。わたしの140字小説と共に、星々のみなさんの文章がお手元に届くことを祈っています。武田百合子『富士日記 不二小大居百花庵日記 下』予約。台風、みなさん大丈夫ですか? どうぞお大事に。
・ミシマ社編『THE BOOKS 365人の本屋さんがどうしても届けたい「この一冊」』
できれば毎日本を読みたいです。しかも良質なものを。秋になると夜がどんどん長くなってくる。それだけ昼間できない知的活動ができるのだと思います。この本は本当に面白くて、この日におすすめ、という本が365冊並んでおり、そこに書店員さん直筆のポップと推薦理由が書かれます。そしてその本を読み終わった次に読みたい一冊もあげられています。本という媒体があまりにも人に浸透しなくなってきていることに危機感を抱きます。紙とインク、という確かにあるものが、今のわたしたちを過去と未来、そしてわたしとあなた、の架け橋だとするならば、本というものを失うのはあまりにももったいないと思います。だれしも思い出の本を持っていて、その物語を紡ぎたいのが物書きの性かもしれません。
・ウィル・シュワルビ 高橋知子訳『さよならまでの読書会 本を愛した母が遺した「最後の言葉」』早川書房
人は生きる道の最後に何を思うのでしょう。誰しもが抱える「最後」というドラマティックな出来事は、それと同じように大事に未来へ何かを託す、自分では生きられなかった未来を生きる人々へ何かメッセージを伝えることだと思っています。だからこそ、本を愛する人はすてきだ。ことばを残せる人はすてきだ。この物語は末期がんを抱えた母親と、病院の待合室でモカを飲みながら息子と交わした読書会が根幹を成しています。たった会員二人の読書会。何を読んでどう思ったかを相手に伝えるのは、自分が生きてきて感じ取ったことを相手に伝えるのと一緒です。だからこそ、読書感想は読者のすべてを映し出す鏡のようだと思います。わたしのこのnote読書感想文日記もそうであれたらと願ってやみません。
10月2日
新作エッセイ8本。書くことだけがわたしの生きがいになっているよう。自由に書いていいと言われたらどこまでも書ける気がします。エッセイはかなり即物的なものなので、よい作品として残せるものをもっと書いていきたいと思います。次回のイベント打ち合わせ。
・野原広子『妻が口をきいてくれません』集英社
家族4人で仲良くやってきたはずの夫婦。ある日、妻が5年口をきいてくれなくなったら……夫にとっては想像するだけで生き地獄ですよね。わたしも夫婦3年目に突入し、どちらもお互い忙しい中ぼちぼち夫婦を続けています。結構3年目にしては仲の良い方かもしれないんですが……。ただ、なんだろう。夫婦って本当にコミュニケーションが大事なんだなと思う時がたくさんあって、いちいちうるさいほど自分の感情とか、悲しかったこととか、言っていいんだと思います。あと、なるべくありがとうとかすごいねとか感謝を伝えるのがコツなんですかね……夕食の時、「実はこういうことがあって今わたしすっごい疲れてるから食器洗いお願いしていい?」というと、絶対やってくれます。ありがたいです。まずは相手に対する思いやりと、自分に対する自己観察・態度の丁寧さがモノをいうのかなと思ったりします。
・武田百合子 武田花編『あの頃 単行本未収録エッセイ集』中央公論新社
武田泰淳は晩年、口述筆記を妻である武田百合子さんに頼んでいたそうです。家族でもあり、夫婦でもあり、よき仕事のパートナーでもあったんですね。そんな泰淳が亡くなった後、日記というものをつけなくなった百合子さんは随筆筆記に精を出します。わたしの中で結晶化されたよい随筆を書いていらっしゃるのは、「大切な誰かを喪った人」だと思っています。武田百合子さんは多分、「夫」というかけがえもなく大切な人を失ったからこそ書けるものがあったのではないでしょうか。わたしは彼女の冷徹な観察眼、生活ということ、家族の記憶、そういったものを文章に結晶化させる心意気をすごいと感じました。今、わたしは日々「家族について」の詩や随筆を書いています。わたしにとって大切な人は祖母でした。ちょうど彼岸から書けるようになったので、きっと祖母が呼んでくれたのだと思います。
来週はちょっと遠くの病院に行ってきます。毎年のことなのですが、もう15年以上前に手術した背中を診てもらいます。ここ14年は異状なしなので大丈夫です。移動用にスマホに青空文庫を入れたので、来週も青空文庫特集になります!今回外国文学はフランスにしてみました。どうぞよろしくお願いいたします。