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書き言葉で表現し、伝えるために。~文章力の地力を鍛える方法4選~


書こうとして、表現できない自分に気づいて、その穴を埋めるために四苦八苦する。その過程でこそ、文章力は育つはずです。

本noteでは「地力」に焦点を当てているため、目前の文章を分かりやすくする方策については述べていません。
私が(たった4年ではありますが)国語を教えながら考えた、「書き言葉で伝える」ということについて、つらつら綴っていこうと思います。

最も重要なのは「読み手への想像力」。

私たちは普段から、日本語を使ってコミュニケーションをとっています。
日本に住んでいるんだから当たり前?…確かにそうかもしれません。

しかし、

「言葉選びが悪くて相手を怒らせてしまった」
「テキストで上手く説明できなくて、相手に何度も確認の手間をかけてしまった」

という経験のある人も、きっと多いのではないでしょうか。

伝えたいことを、書き言葉でそのまま誰かに伝えるというのは、存外とても難しいものです。

というのも、言葉が伝わる時、そこには必ず「読み手」という、自分には制御できない他者がいるのですから。

文脈タイミング言葉の持つイメージ…そして読み手自身の経験・状態によってさえも、言葉の伝わり方は変化するでしょう。

そんな中、書き手が最も大切にすべきことは何か。
私は、読み手の読み方に、可能な限り想像を膨らませることだと考えています。

それでは、「読み手への想像力」や「自分の意図通りに伝えるための文章力」は、どのような過程で身に着くのでしょうか。

あくまで私の一体験としてですが、言葉への感度・想像力を高めるうえで効果的だったと感じる体験を、4点紹介いたします。

1.自分の書いた文章を添削してもらう。


(いきなり一人ではできないものを挙げちゃうやつ)
「自分の書いた文章が、自分の意図通りに伝わるかどうか」を、他者のフィードバック無しで判断するのはなかなか難しいと思います。

どんなに自信がなくても、短文でも、まずは他者からフィードバックを貰うことがとても大切です。

「そんな伝わり方をするのか(勘違いされている)!」
「私が言いたいことを伝えるためには、この表現だと足りなかったのか」

等、本当に多くの発見が得られることと思います。

赤字はバシバシ入れてもらえた方が私は嬉しいですが、入れられた赤字を鵜呑みにしないことも重要です。

「本当にこっちの表現の方が良いのだろうか」
「私の文章よりも、こっちの文章の方が良いのはなぜだろうか」

と考えることで、言葉の構造やイメージについて、より正確な認識を持てるようになると思います。(この場合の『正確』とは、自分の意図した通りに伝えられる確率が高い、ということを指します。)

2.他の人の書いた文章を添削してみる。

他の人の書いた文章に赤を入れてみる、というのもまた良い勉強になります。

周りの人が「完成物」として出してきた文章に赤を入れるというのは、自分で書いた文章を自分で直すことより遥かに精神的ハードルが高いです。難しいです。気楽にちょちょっとやれるものではありません。

とはいえ、読みやすく・分かりやすい文章を目指すのであれば、
「こうした方がもっと良くなる」というイメージを共有したうえで、
最終的にどうするかを一緒に決める方が良いと思いますし、
そもそも文法的に誤りがある部分は修正した方が良いでしょう。

事前に「どのレベルまで赤を入れてほしいか(直すべき部分を指摘するだけで良いのか、その先の改善案まで欲しいのか等)」を確認したうえで、自分の中でしっかりした根拠を持って添削することが大切です。

この時「なんとなく」赤を入れるのはNGだと私は思います。

確かに「なんとなく変…」と感じる文章はあるものですが、それならそれで「なぜ違和感があるのか」を自分の中できちんと言語化してから赤を入れないと、被添削者が書いた言葉に対して不誠実だと感じるので…。
さらに言うと、こうした「なんとなく」を言語化すること自体、自分の言語感覚を見つめなおすうえでとても良い経験になるのではないでしょうか。

3.最低でも2回は読み直す。


文章の難易度や長さにもよりますが、どんな文章でも最低2回は見直す癖をつけておくことも重要だと思います。

どんなに文章を書くのに長けた人でも、一発でズバッと完成形を出せる人はそうそういないはずです。
書いてる最中に楽しくなっちゃってつい脱線しちゃったり、タイプミスに気付いていなかったり、主語と述語がちぐはぐになってしまっていたり…。

読み手のスムーズな読解を妨げるミスは、やはり公開前になるべく取り除いておいた方が良いでしょう。

「自分のミスに自分で気づく」というのはなかなか難しいものですが、誤字・脱字、主述の食い違いなどは音読することである程度は発見できるのではないかと思います。(多分黙読だと目が滑ってしまって気づきにくいので。)

4.文章を読む時、「なぜこの人はこの言葉を使ったのか」と考えてみる。


当然のことながら、大抵の人は書き手でもあり、読み手でもあるはずです。

「書き手がどのようにその事象を捉え、考えたか」が文章に反映されるとするならば、「書く力を鍛える」ことは即ち「読む力を鍛える」ことでもあります。

普段から目にする言葉について、「この人はなぜこの言葉を選んだんだろう?自分だったらどう表現するかな」と考える過程で、こまやかなニュアンスや使い分けは身に着いていくのではないか、と私は思います。

誰もが使う言葉や流行り言葉でお茶を濁すのは簡単ですし、
誰かの言葉を援用して「その通りだ」と述べるのも簡単です。

でも、そのままでは思考のツールとしての言葉は永遠に育たないのではないか…という気持ちがしてしまいます。

簡単な言葉で表現した気にならないで、妥協せずに言葉を選びきること。
そして、自分の書いた文章と向き合い、何度も読み直しながら磨き上げることが、文章を、読み手を大事にすることに繋がると私は信じています。

今、改めて大切にしたい、「書く」という営み。


コロナ関連で気の滅入ってしまうようなニュースが相次ぐ中、それでも私たちの生活は着々と続いています。

言葉は、人を大いに傷つけることもありますが、その一方で、見ず知らずの他者を元気づけることもできたり、自分自身とちゃんと向き合う手助けにもなったりする、諸刃の剣のようなものです。

家族に、職場の方々に、学校の友人に、画面の向こうの見ず知らずの人に、そして自分自身に。
伝えたいことをちゃんと伝えるために、今一度「言葉を大事にする」とはどういうことか、見つめ直そうと思った…というnoteでした。

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