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【Legendry Series】モウリーニョとクアトロ・クラシコ #2 冷酷なメスタージャ

コパ・デル・レイ



第1話


冷酷なメスタージャ


■誇り高きマドリディスモ

クアトロ・クラシコ、セカンドラウンド。

舞台はバレンシアにあるメスタージャ。コパ・デル・レイのファイナルという舞台で再びモウリーニョはバルサと合いまみえる。


「ベルナベウのような試合はできない。モウリーニョもペジェグリーニもカペッロもどうでもいい。俺が願うのはコパ・デル・レイを勝つこと。それ以外のことはクソッタレだ!」




バルサはプジョルからマスチェラーノに、バルデスをコパ・デル・レイの正GKピントに変更。モウリーニョは、アルビオルから右SBにアルベロアを入れラモスをCBに配置。また前線にロナウドを中央。エジルを右にディ・マリアを左においた。


目の前にあるタイトル。マドリディスモは常にタイトルを求めてきてはいたが、3シーズン前のリーガを最後にタイトルから見放されている。さらにコパ・デル・レイといえば、全シーズンは4部のクラブに0-4の完敗を喫するなど相性が良い大会ではない。



モウリーニョは初陣と同様、3ボランチによるプレッシングでバルサのダイヤモンドを粉砕しようとしていた。だが、このメスタージャでのアプローチは4月16日とは異なっていた。ロナウドしか残ってなかった前線にはエジルを加えてカウンターの精度を上げる。ベンゼマのプレスバックがない以上、前からの圧力を掛けていく。ブスケツにはアロンソが、チャビやイニエスタにはケディラやアルベロアが果敢にプレッシングに行く。

マドリディスタが求めていた姿はそこにあった。勇敢に、果敢に前からボールを奪いに襲いかかる獣の集団。

だがモウリーニョは許していなかった。歴史が証明しているように、その勇猛果敢なレアルがガッツリとバルサと組み合っているから負けるのだと。



■バルサを苦しめたプレッシング

モウリーニョの思いと裏腹に、レアルのアグレッシブなプレッシングはバルサを確実に苦しめていた。エジルがバルサ最終ラインに対して牽制していることでアドリアーノを硬直させる。アルベロアが中盤のプレスに参加し、中盤の数的優位化をはかる。ブスケツ、チャビ、イニエスタをプレスで押し込み、メッシはぺぺがチェック。ビジャはサポートなく左で孤立し、ペドロはファルソ・9としての効果を産み出せない。


バルサから自由を奪ったレアルは、前回は存在しなかったカウンターの基準点であるエジルにボールを入れることで、ロナウドに時間とスペースを与える。

その起点ができたことにより、バルサは必要以上に最終ラインにスペースを埋める。前回みたいにアウベスが積極的に上がるシーンも少なく、バルサのポゼッションは押し戻されるかのように後方へ。ぺぺもダイヤモンドが作れず中盤で漂っているメッシを張り付きながらゲームから消す。攻守でバルサを上回ったレアルは、モウリーニョを他所にゲームのイニシアチブを握る。




■敵意

レアルの見せたサッカーは、バルサを驚かせた。1週間前にベルナベウでみせたスタイルとは大きく異なっていたからだ。だが、それはモウリーニョも驚かせた。モウリーニョからしても意図しないスタイルだったからだ。

カシージャスも、ラモスも、アロンソも、ロナウドも、皆モウリーニョがインテルでバルサを下したあのやり方では勝てないと分かっていたからだ。



「あの時のバルサにはイブラヒモヴィッチがいた。そこを起点にボールを集めるからインテルはバルサに勝てたのだ」


モウリーニョがバルサキラーになった所以は、あの3-1で逆転勝ちしたジュゼッペ・メアッツァの1戦だろう。確かにあのゲームでインテルが勝ったのには大きな価値があった。CLセミファイナルだったということ。そこを制したことでビッグイヤーを掲げられたという既成事実。

だが、もしファイナルでバイエルンに敗れていたとしたらモウリーニョの価値は半減したことだろう。バルサに勝っただけではなく、それでビッグイヤーを手に入れたまでがモウリーニョの価値を示すセットなのだ。
なぜならあのシーズン、実はモウリーニョは4回バルサと闘っている。セミファイナルだけでなく、グループリーグも同じだったのだ。勝敗はトータル2勝1分1敗。バルサからして。
つまりモウリーニョはあの試合しか勝てていない。印象が強すぎただけで、セカンドレグのカンプ・ノウでは90分ずっと耐えるだけの展開で最後にピケの決勝ゴールを許し0-1で敗れている。これをレアルの選手が知らないわけがなかった。



ファイナルの結末は、延長にディ・マリアのクロスをロナウドが打点高くヘディングで叩き込み、レアルがコパ・デル・レイを制した。だが、その後の雰囲気は異様だった。

アロンソやラモスは、スペイン代表でチームメイトであるバルサの選手たちと一切目を合わせず、またアロンソはリバプール時代のチームメイトであるマスチェラーノからの握手を素通りで拒否した。カシージャスはカップを掲げた後にスペイン国旗を背負い、まるで自らがサッカーの勝者かのように振る舞う。とてもタイトルを手にした喜びを表しているとは思えない雰囲気だった。


モウリーニョはバルサの選手への敵意をレアルの選手に求めた。10ヶ月前に南アフリカでワールドカップを共に制した戦友がいようとも関係なく。

バルサを目の前にしてタイトルを獲得する、という最大の価値を示したモウリーニョは、政治的メッセージとしてレアル・マドリードに表明した。結果としてだが、この1ヶ月後にペレスがSDのホルヘ・バルダーノという1番信頼していたパートナーをモウリーニョのために自らクビ切ったのは間違いなくこのコパ・デル・レイを制した既成事実を元にしたからだろう。


レアル・マドリードでトータルマネージャーという夢を現実に。憧れのファーガソンになるために、まずはマドリディスタからの支持をタイトルという結果とバルサという最大のライバルへ敵意を示す行動で得る。そして実際に結果として示すことでペレスからの1番の信頼を得る(その最大の障壁がバルダーノだった)。


だが、真のマドリディスタからは反応がなかった。
カシージャスは常にモウリーニョの政治的行動に懸念をしてきた。スペイン国旗を背負っていたのは、モウリーニョに対するカシージャスからの敵意だった。まず、我々はモウリーニョの部下ではなくレアル・マドリードの選手だということ。そして共にワールドカップを制したバルサの選手に対するリスペクトの表れとして。このあと、バルサとモウリーニョの間で場外乱闘ともいえる口での冷戦が展開されるのだが、カシージャスはその度にチャビやプジョルに連絡をしていたとされている。




■失くなった友情

モウリーニョは元々バルサのスタッフとして、ドリームチーム後のバルサを支えていた。ペップはそのときの選手であり、ボビー・ロブソン、ファンハールの下でコーチングを学んでいた(そのファンハールを倒してCLを制したというのも皮肉である)。



ペップとモウリーニョの間に、当時から確執などなかった。むしろ共に戦った友人として交流を深めていた。


そのモウリーニョとペップの最初の因縁こそが、2009年。フランク・ライカールトを解任し後任を誰にするかで争ったことだ。
バルサのDNAを知る人物として、在籍歴ありもっとも結果を残してきたモウリーニョは、2年連続無冠に終わり「黒い羊」で現場が揺れていた内部をカリスマで収めてくれるだろうと期待されていた。ある人物からの一言がなければペップではなくモウリーニョがバルサの監督になっていたことだろう。



バルサのアドバイザーであったヨハン・クライフは、当時まだ目立った実績のなかったバルサB監督ペップ・グアルディオラを支持した。これによりラポルタが方向転換し、ペップのバルサトップチームの監督就任が発表された。
モウリーニョからしたら寝耳に水。選手歴はないが、ペップと比べたら監督としてポルトでCLを制し、チェルシーでもプレミアを制した。ペップに負けている要素などなかったのだ。



「なぜ!?なぜペップなんだ!?」



モウリーニョは政治によってバルサ復帰が阻まれた。この感覚はこの4年後の件も同じことだったのだろう。



友情がなくなったのは現場も同じだった。同じスペイン代表同士がなぜいがみ合う必要がある?モウリーニョの仕組みによる被害を、実は1番多く受けていたのは、当時スペイン代表監督であったビセンテ・デル・ボスケだ。






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#3 ぺぺ




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