その男、救世主か悪魔か ジョアン・ラポルタ
ユートピア
その男は、2003年に我々の前に現れた。
2000年に、およそ22年間の長期政権を終えたホセ・ルイス・ヌニェスが会長を退いたバルサ。クライフが去り、ドリームチームから新たなバルサを構築する段階で、歴史が大きく変わる瞬間でもあった。
ヌニェス去るバルサは混乱期に陥る。ソシオ制のクラブであるバルサは、会長の方向性がクレに大きく反映される。20年選挙に勝ち続けたヌニェスの後釜は誰が務めても大変だろう。ヌニェス後に就任したジョアン・ガスパールは、歴代のバルサ会長の中でも汚点の見られる会長だっただろう。就任直後の2000年夏の移籍市場で、同時期にレアルの会長に就任したフロレンティーノ・ペレスによってキャプテンのルイス・フィーゴを強奪される。これで支持率の大幅低下から、バルサBより就任したセラ・フェレールは1シーズン持たず監督を解任。就任2年連続で4位の無冠に終わる。その後ルイス・ファンハールの監督再度就任も、現場との方向性の違いから結果は出ず、ガスパールとファンハールは共にシーズン途中リコール。後任にエンリク・レイナが暫定的に就任するも、02/03はクラブとして悪夢のようなシーズンに終わった。
そしてヤツがやって来た。
麻薬のような男
■クライフのバルサ帰還
2003年に行われた会長選挙。ヨハン・クライフの顧問弁護士という肩書で出馬したジョアン・ラポルタが当選する。1998年に「Elefant Blau」という組織を結成し、理事会にヌニェスの不信任投票を要求したことが、バルサにおいて注目されるきっかけとなった。当時のバルサはクライフを解任し、脱ドリームチームに向けて改革していた。今でこそクライフは哲学の礎だが、当時はクライフから脱却を試みていた。
今、それこそクライフがバルサの礎になっているのも、2003年にラポルタが会長に就任したからが大きな理由だ。クライフも監督解任後はクラブとの距離を置いており、2000年にフェレール解任後に就任したかつての右腕、カルレス・レシャックの監督就任によりむしろバルサとは亀裂が生じたとも思われていた(レシャックとは、クライフ解任後もコーチに残ったことが後の関係悪化につながっていると思われているが)。
ラポルタの就任より、クライフはクラブのアドバイザーのようにラポルタに助言を与えている(クライフはクラブの正式なアドバイザーではないので、外部から助言していたようなもの。ラポルタ会長就任して以降も正式にクラブ復帰をしていないのは、クライフには敵が多かったのが物語っている)。
クライフからの助言第一声は、フランク・ライカールトの監督就任。現役時代はミランの黄金期で腕を鳴らした勝者のメンタリティを持つ男をチームのトップに立たせた。
またラポルタが選挙公約にしていたのは、当時マンチェスター・ユナイテッドのキャプテンでもあり、世界的名手でもあるデイビット・ベッカムの獲得だった。結果的にベッカムはレアルに移籍したが、代わりにPSGから獲得したロナウジーニョが大成功。ラポルタ政権におけるバルサの象徴でもあった。
ヌニェス以降、無冠続きだったバルサは2004/2005にリーガ奪還すると、翌年はリーガ連覇しCLの優勝も果たしている。クライフイズムを取り戻したバルサは、まさにラポルタによって復活を果たした。
■伝説を作った決断
第1次ラポルタ会長時最大の功績こそ、ライカールト後の監督にペップ・グアルディオラを指名したことではないか。
当時のバルサは空中分解していた。
エヂミウソンの内部告発による「黒い羊」。ロナウジーニョの夜遊びにデコやその他主力に規律違反がありながらも、ピッチでの影響力を優先したメンバー選考。告発に助長したサミュエル・エトーの暴走。チームもライカールトラスト2年は無冠に終わっている。
勝者のメンタリティを身に付けたバルサ、クレが求めるはタイトル。ライカールトの後任候補最有力に挙げられていたのが、当時フリーだったOB、ジョゼ・モウリーニョだった。
OBとはいっても、ボビー・ロブソンの通訳とファンハールの分析担当コーチではあったがバルサにいた人物と、ポルト、チェルシーで見せたスペシャルワンとしての圧倒的メンタリティにカリスマ性。バルサに欠けていたものすべてを持ち合わせていた。
これにNOを突き出したのがクライフだった。ロブソンとファンハールという、脱クライフ期のコーチだったというのと、チェルシーで見せたサッカーがバルサのサッカーとは程遠いこと。そして復活したカンテラを元にするのであるならば、彼こそが一番ふさわしいのではないか。
ペップのことだ。
当時のクラブ上層部はモウリーニョ一択だった。それがクライフの鶴の一言でペップ派が増えた。最終的にはラポルタがモウリーニョ派が多かったのにクライフの助言でペップにしたとの話もあるが、結果的には大成功だった。2010年、伝説の最中で任期満了という形でクラブを去っている。
■負の側面
ここまで見れば、ラポルタはバルサの救世主だ。復活からサッカー史上最高のチームを生み出した。
ラポルタは、例えばペレスのような経営者としての圧倒的リーダーシップを持ち合わせているわけではない。元々は弁護士出身なのだ。
素晴らしかったのは、彼の周りが優秀だったこと、そして弁護士出身としての政治力の強さだ。
未だに謎のまま葬られたウズベキスタンとの不正ビジネス。副会長だったサンドロ・ロセイ期まで続くこととなる同僚幹部へのスパイ活動(発端は黒い羊事件とも言われてるが、その真相はこちらも謎のまま)。そして、当時スペイン2部だったレウスの消滅にまで追い込んだジョアン・オリベルのGM任命。
恐ろしいのが、そのすべての真相が闇に包まれたままということ。ペレスは経営者としての組織オーガナイズの凄みを見せる(クラブブランド上昇はマジで凄い)のに対して、ラポルタは政治力で生き残る道を探すのが凄い。ペレスに黒い噂をほとんど聞かないのと比べれば大きな違いがある。
バルサというクラブがソシオ制の市民クラブである背景が、ヌニェスもそうだし後の会長も政治色強いところが垣間見える。ただ、そのイメージを色強くさせたのはラポルタだ。
■脱ラポルタを図ることができたのか
第1次ラポルタ政権終了後に会長選挙を勝ち抜いたのが、ラポルタの右腕だったサンドロ・ロセイ。
ロセイは副会長ではあったが、後にラポルタを訴えている。「現在のクラブは運営は独自性がなく、透明性がなく、民主的ではない」からだそう。
ロセイのバルサは、チキ・ベギリスタイン(現マンチェスターシティSD)からアンド二・スビサレッタへのSD交代。またロセイ政権でクラブ史上初のユニフォーム胸スポンサーロゴを募集した(ユニセフはスポンサーというわけではない)。これにはクライフも異を唱えたが、そこには背景がある。
ロセイが会長に就任した際、クラブには481億の負債が存在することが発覚した。おそらく、ロセイはこの負債がラポルタの残した遺産であることを表明したかったわけだが、如何せんロセイはメディア受けが良くなかったことでラポルタに批判の目が行かなかったのはあった。
チームはペップバルサが終わり、次の黄金期へ向けてある選手への獲得オペレーションが実行されようとしていた。
ネイマール。2011年、横浜で行われたクラブワールドカップにて初顔合わせした両者は一気に距離を縮め、2013年に移籍が完了した。これがロセイ最後の仕事だった。
後に会長職を降りたロセイは、マネーロンダリングによって逮捕はされているが、それはまた別の話ということで。
ネイマール獲得オペレーションには不正の疑惑があった。それが発覚したときは次の会長ジョゼップ・マリア・バルトメウ。移籍不正問題はロセイだが、バルトメウも同時に批判の的に。バルトメウはバルトメウに大きな問題があったわけだが。
実際にネイマール移籍にもバルトメウが移籍金を実際よりも低く見積もっていた疑惑として脱税容疑が掛けられていた。法廷闘争を避けるために55万ユーロを支払うことで合意はしたが。
バルトメウは史上最悪の会長としても有名だが、選手や幹部からも評価は最悪。6人もの幹部同時辞職に、選手補強の一貫性のなさ。メッシの「オレ、バルサ出る」FAX。そしてとどめとしてマジでバルサを去っていった。
コロナ渦によって露になったバルトメウの先の見えない経営術。移籍オペレーションで高額な移籍金の使用。ネイマールのPSG移籍によってもたらされた高額収入が逆に相手に舐められる結果となったが(その移籍金で獲得したデンベレとコウチーニョにそれぞれ100億ユーロ以上出したのは明らかな失敗)、その流れを作ってしまったのがバルトメウだった。チームはよりメッシ依存が高くなり、最悪な結末を迎えざるを得なかった。
■戻ってきたのは救世主なのか、悪魔なのか
2015年にも、実は出馬はしていたもののバルトメウに敗れていた。そしてクラブ史上最大の危機に再び登壇した。
一般企業でなくとも倒産レベルの負債額。インフレ化の止まらない年棒。リーガの定めるサラリーキャップに見合わないことで補強が進むことなく、メッシも去ることとなった。
バルトメウの色を一掃すべく、まずはバルトメウが連れてきたロナルド・クーマンから念願のチャビへと監督のチェンジ。当初はクーマンを支える表明こそしていたものの、資金難を理由に補強はせず、クン・アグエロもシーズン途中で引退発表するなど本気で支えていたとは思えず11月ラージョ戦を最後に成績不振を理由に解任。
1月の移籍市場で、90億ユーロを使いシティからフェラントーレス、ウルブスからレンタルでカンテラ以来の帰還となるアダマ・トラオレ、そしてアーセナルと契約解除となったピエール=エメリク・オーバメヤンと3人を獲得。チャビになってからの本気度はやはり本命はクーマンではなかったことを表していた。
経営難の解決策として、放映権(バルサTV)や子会社の売却などでやり繰りし、大型補強を敢行。チャビへの万全なバックアップを行動で示すことに、反バルトメウであることをクレに印象付けるパフォーマンス。やはり政治は上手い。
ここまで振り返れば、ラポルタは1回目も2回目もバルサのピンチに現れ、クレに希望を見せている。それは間違いなく事実だ。救世主である。
ところが、政治力による闇への葬り案件も多数あることも事実。今夏に相思相愛であり、ラストチャンスでもあったメッシの復帰を実現できなかったのはラポルタの最大の失態である。
メッシの復帰はメッシ本人も望んでいたことでもあり、チャビも熱心に策を考えていた。そして全世界の全てのクレも願っていた。バルサの公式声明では、5大リーグでのスポットライトから離れる意思を持ったことでマイアミに向かったとされているが、実際はどうだろうか。サラリーキャップ問題が2年前と全く解決されてない同じ状況であるということが露になったことを証明された。皮肉な結末を迎えたということだ。
ラポルタはメッシの最大のファンではあったが、今夏のメッシ復帰に最大限の努力はしていなかった。理由はただ1つ。メッシ自身が世界の誰よりもクレだったからだ。メッシはバルサの財政事情を誰よりも理解していた。
復帰して以降のラポルタは、財政事情の解決のため、バルサの遺産を可能な限り以上を売却した。十分な利益は得ているはずだった。しかし、メッシ復帰を阻んだ最大の要因はメッシ退団と同じ問題。要は何も財務事情は変わっていなかったのである。莫大な資金を得たのは事実だが、その資金で大型補強を行い、結果元に戻った。これが現状のバルサだった。
確かにラポルタは以前と同じく、バルサに1番効果のある薬はリーガ奪還を含むタイトルの獲得だと思っていた。事実としてリーガは奪還できた。だが、重要な資金源でもあったCLの早期敗退にELも残れず、目先の勝負に行き過ぎてしまった感は否めない。
■逃げ道無き旅
バルサの現状が暴かれてしまった今、ラポルタとは心中するしかなくなった。ヌニェス以降、いやヌニェスも含めて直近10人のバルサ会長の中では最も優秀だろう。辞職しているわけでもない、唯一任期を満了している会長だ。
ロセイが言いたかったことも、今になれば多少は理解できる。ラポルタにあるのはリーダーシップではなく政治力だけなのだ。それだけで乗り切っている。でもそれで結果を残しているのもまた事実であり、他の会長と比べれば実績は雲梯の差だ。
タイトルは獲れる。素晴らしいチームは作ってくれるのは確かだろう。だが、来てしまったら逃げ道は一切なくなり心中するしかない。その道が天国に繋がっているのか、地獄行きなのかが分からなくても。
ジョアン・ラポルタ。実に麻薬のような男である。
次回予告
スペイン関係が続きまくってるので、少しスペインネタから外れようかな。
Thanks for watching!!