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母の芸術品


お袋の味…


なんとも有体なテーマかもしれない。


けれど、私にとってはそれは、大人になった今でもワクワクドキドキする一品なのだ。

 

母は料理が得意な上、気分の良い日は何品も作るので、食材自体はありきたりなものだが、食卓は華やかだった。


田舎ならではの三世代家族。


しかも、子供は私を含め3人。


きっと大変だっただろう。


家庭を持ち、子供こそいないが毎日三食作ることの大変さを日々痛感している中で、母は気前よく献立を一緒に考えてくれるので、何とか日々を回している。


そんな母だが、私が落ち込んだ時、元気がない時、又は誕生日など特別な日に振舞ってくれる一品が、これから紹介する「手作りコロッケ」である。


一般的なお惣菜のコロッケは衣が荒く厚みがあるが、母の衣は小麦粉、溶き卵、キメの細かいパン粉で構成された薄い衣である。


中身は、玉ねぎの微塵切りに挽肉と蒸したメークインに塩胡椒しただけのシンプルなもの。

これが非常にご飯に合うのだ。


母は油の処理が面倒だからと言う理由で、少量の油で揚げ焼きする。


故にコロッケは、所々に焦げがある。


釜飯のお焦げに喩えられるように、食事における「焦げ」と言うのは、時として「ご馳走」になる。


母のコロッケも、勿論例外ではない。


このコロッケを食す際、私には独自の作法がある。


まず、米は大きな丼に入れ、コロッケを三つ程投入。


ぐしゃぐしゃに米と混ぜ合わせたら醤油を加えて、一気に掻っ込む。


…女にしては行儀の悪い食べ方だろう。


だが、この…母のコロッケだけはこのスタイルで食べるのが、私の子供の頃からの流儀であり、楽しみなのだ。


今年の5月17日で私も43になったが、母は変わらない製法、変わらない味で、誕生を祝ってくれた。


綺麗な俵形のコロッケを、丼の中でぐしゃぐしゃに混ぜて、私も変わらない作法で、大好きなコロッケを頬張った。

母は今年で68だが、たいぎいたいぎいと言いながらも、精力的に台所に立ち、父と祖母と言う小さくなった家族に手料理を振る舞っている。


私はというと、母の味をろくに受け継がず、毎日お惣菜や冷凍食品で誤魔化す日々。


それでも、母のコロッケだけは真面目に取り組み、何とか作れるようになった。


揚げ物は正直面倒だが、時々無性に食べたくなる。


そんな時は大抵、何かに疲れた時。


ピーラーでジャガイモの皮を剥きながら、母の言葉にならないエールを思い出し、出来上がったコロッケを丼の中でぐしゃぐしゃにして口いっぱいに頬張るころには、自然と口角が上がっている。


様々なお惣菜のコロッケでも試してみたが、この食べ方で元気が出るのは、母から受け継いだお袋の味「手作りコロッケ」だけのようだ。

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